23 ルカ、アリス、それから誰か(2)

 広い通り沿いは、ノーチラスがあった商店街みたいな小さなお店じゃなくて、大きいスーパーとか電気屋さんとか、レストランとかが並んでいる。歩道もわりと広くて、車道との間にはちゃんとガードレールがあって、落ち着いて歩けるはずなのに、ノーチラスの前の通りの雰囲気に慣れてしまうと、周りの人は妙にせかせかして見えた。でもルカはいつもどおりなので、なんだかそこだけ時間がゆっくり流れているみたい。

 図書館でも、メイユールさんは大股でかっこよく歩き、きびきび本を運ぶけど、マーゴは見た目どおりぽてぽてした感じで、ルカのペースはどっちかというとそっちに似ている。遅くていらいらするなんてことはないのだけど、なんだかちょっとふわふわしているのだ。おかげでアリスは今日も、うしろをついて行くのにそんなに苦労しなかった。ワタライのあとをつけたときは、こうはいかなかった。


 ときどき振り向く人がいるのは、たぶん、ルカの格好が珍しいからだと思う。ルカが踏み出すたび、足さばきに合わせて、しゃっしゃっというすがすがしい衣擦れの音が聞こえた。アリスは小走りでルカの横に並ぶと、聞いた。

「仕立ててくれたっていうことは、オーダーメイドですよね」

「そうだよ」

 ルカはアリスのほうを見ず、歩みも緩めずに答えた。アリスは、すごいなあ、と呟きながら、ルカの袖の黒い生地を見つめた。少し光沢があるけど、サテンみたいなほどにはつるつるしていない。洋服の袖のような腕の形に沿った縫い方はされていないけど、ぼわんと広がったりも、逆に静電気でぴったり腕に張り付いちゃったりもしない。肩から袖口や裾にかけて、すとんとまっすぐ地面に向かって落ちていくラインは、アリスが着ているウールのコートに比べると、すごくスマートに見えた。アリスは、今日図書館に行ったら、ちょっと着物のことを調べてみようかな、と思った。


 通りの少し先に、ぴかぴかの黒い車が駐まっている。アリスの家族が遠出するときに借りる車とは形が違って、偉い人が乗ってるようなやつ。でも運転手さんは留守だ。エンジンも切れてるみたい。

 その車の横にさしかかるとルカが立ち止まったので、アリスも一緒に止まった。ルカはようやくアリスを見、車道とは反対側の、建物のほうを指差しながら言った。

「僕はここに用があるから」

「ここですか?」

 アリスが見上げると、そこにはコンクリート造りの建物がある。入り口まで階段を五段くらい上がる作りで、地面に近いところにも窓があるから、半地下階があるみたい。階段の上の玄関は両開きの扉で、その両脇にも窓があったけど、その窓も地面に近いほうも、どっちも鉄格子がはまっていた。

 玄関のひさしには、その建物が何かが書いてある。貼り付けられたアルファベットを読む。思ったとおりだ。

「警察に行くんですか?」

 アリスはルカを見た。ルカは眉を寄せた。

「なんでそんな顔で見るの」

「だって」

「落としものしただけの人だって来るでしょう、警察には」

「落としものしたんですか?」

 ルカは大きなため息をついた。

「違うよ」

「でもワイラーさんって怪しいじゃないですか。年取らないし。だから……」

「怪しいだけで捕まってたら、今司書なんてできてない」

 アリスは、確かにそうだな、と思いながらもう一度警察署の扉を見、それからルカを見た。


 どんな用があるのかは、もちろん気になったけれども、ルカはきっと、自分のことは聞かれたくないタイプだ——というか、聞かれていいことなら、さっきみたいに話してくれる。だから、ここから先はルカはアリスに知られるつもりはないし、そうである以上、きっと聞いても教えてくれない。嫌な顔をされるかもしれないだけだ。

 アリスが下を向くと、その視界の端でルカは左の袖口に右手を入れ、そこからスマホを取りだした。アリスは思わず顔を上げた。

「そんなところにスマホ入れてるんですか」

「おかしい?」

「えっと……」

 ルカがスマホを持ってるのも、それが着物の袖から出てくるのも、もう何もかもおかしい気がしたけど、アリスは頭を横に振った。

「おかしくないです」

「じゃあ、僕はこれで。人と待ち合わせしてるので」

「わかりました。明日は図書館きますか?」

「いや。次の出勤は明後日」

 アリスは、わかりました、と言いながらうなずくと、ルカをそこに置いたままひとりで図書館のほうに歩き出した。


 少し先で信号を待ち、横断歩道を渡った。振り向いたら、さっきの黒い車の前でルカが黒いスーツの男の人と話をしているのが見えた。グレーの髪の毛を整え、眼鏡をした、しっかりした体つきだけどお父さんよりは年上っぽい人。

 アリスは、きっとあれが待ち合わせをしている人なんだなと思ったけれども、それ以上いろいろ想像されるのはルカもきっと嫌だろうから、大きく息を吸い込むと前に向き直り、歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る