22 ルカ、アリス、それから誰か(1)
何も言わないルカの前で少し店長とおしゃべりをしたあと、アリスはさていよいよ本のことを紹介しようと思ったけれども、ちょうどそのタイミングでルカが立ち上がったので、店長には慌てて本のタイトルだけを伝えた。
「読んでみてほしいんです。今日、わたし、返してくるので、すぐ借りられると思います」
店長は座ったまま、そう? と言うと、手元でささっとメモをとった。きっとタイトルを書いたんだろうなと思って、アリスは満足した。話すのは店長もその本を読んでくれてからのほうが楽しいだろうし。
ルカのうしろについてノーチラスを出る。ルカは少し怪訝な顔で振り返ったが、アリスが自分の背中を見上げているのを見て、アリスのほうに向き直った。
「なに?」
「おばあちゃんから、『ルカ』は前は違って、日本語の名前だったって」
「名付けた祖父が日本人だったからね」
「それでですか?」
アリスは聞きながら、ルカの袖のあたりを指さした。座っているときにはてろんとしたカーディガンに見えていた上着も、立ってみたら形がちゃんと分かる。たぶん日本の着物だ。ルカは首を振った。
「日本人でも今は着てる人はほとんどいないと思うよ」
「お休みの日はいつもそうなんですか?」
「これが似合うって言って仕立ててくれた人がいるから……ノーマンと話したいことがあったんじゃないの」
アリスは首を振りかけて、固まった。話したいことは確かにあって、後回しにしただけなので。
「今日じゃないほうがいいなと思ったので、また今度にすることにしました。今日はこれから図書館に、本を返しに行きます」
「そう。でもマーマレードの受け取りは今日のほうがいいんじゃない」
「あっ」
アリスは慌てて店内に戻り、店長がにこにこしながらカウンターに置いて待っていたマーマレードの瓶を受け取ると、急いで鞄に入れながらお店の外に出た。ルカはちゃんと待ってくれていて、アリスはほっとしてため息をついた。
歩き始めたルカのあとをついていきながら、アリスはルカの紹介で読んだ本のことをちょっとずつ伝えた。
石畳の道路は両脇の建物から流れてきた水が少したまっていて、歩くとぴちゃんぴちゃんと音を立てた。ルカの足元はブーツだ。アリスよりは当然大きいけど、お父さんよりは小さい。
一歩ずつ進む足元にあわせ、言葉を選んで話していただけなのだけど、ルカはアリスに「感想は相手の顔色を見ながら言うものじゃない」と言った。アリスは、そうですね、と返事をして前を向いた。
「脇役のエリオットを、劇でやったんです。ミルヤさんのいとこが。脇役だったけど、だからって手抜きなんか全然してなくて、でも劇の学校卒業したのに俳優にはならないって」
「好きなことを仕事にするべきかは人によるからね」
「ワイラーさんは、今の仕事好きですか?」
ルカは片眉を上げてアリスを見、それから前を向いて言った。
「好きか嫌いかで言えば間違いなく好きだけど、でも選んだ理由は違う気がする」
「そうなんですか?」
「たとえもし嫌いだったとしても、僕にはこれしかないという判断は変わらなかっただろうし」
「それっていつごろのことですか?」
ルカは少し考えて、「大学のころかな」と答えた。
「僕は母との折り合いがあまりよくなくて、きみくらいの年のころから家を離れて全寮制の学校に通っていたんだけど」
「そうなんだ」
アリスは、ルカが自分のことを話すのを少し意外に思いながらも、興味津々なのがばれないように控えめに相づちをうった。
「門限があったし、何より僕は外で遊ぶタイプではなかったから、談話室にあった本をずっと読んでた」
「想像できます」
ルカはちょっと苦笑いして、続けた。
「正直そのときはまだそんなに本を読むことも楽しいとは思っていなかったんだけど、ただ雑に並べられただけの本を、内容のつながりに応じて、ああでもないこうでもないと悩みながら整理して、なんとか並べ直せたら、それにはとても満足感があった。彼らのあるべき形を取り戻せたというか、絡まっていた糸をほどけたみたいで。だからなんとなく、そういう知識を身につけられる方面に進学した。就職はピンとこなかったし、奨学金ももらえたから」
「優秀だったんだ」
「運が良かったんだよ。それで結局図書館に勤めるようになって。エスターに会ったのはその、何年目だったかな」
アリスは少し考えて、口を開きかけたが閉じ、言葉を選び直して聞いた。
「今の仕事、ずっとするんですか?」
「そうだね。できれば」
ノーチラスのある通りから、広い通りに出た。目の前が
アリスは大きく息を吸い込むと、数歩前に行ってしまったルカのあとを追いかけた。
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