ep.32

 私が屋敷に帰ると、たくさんの使用人たちが笑顔で迎えてくれた。

「お帰りなさいませ。奥様」

「お帰りなさいませっ。奥様っ」

 私の専属侍女であるナナとミアが、私にまっさきに駆け寄ってくれる。

「ただいま。みんな」

 どうしてだろう。

 皆の顔を見て、ほっとしている自分がいる。

 私もだいぶ、ここに馴染んできたのだな、と感慨深いものがあった。

「奥様。晩餐のご用意は整っております」

「旦那様は遅くなるとのことですので、お先に召し上がりますか?」

「そうね・・・・・・・」

 ソルダとシェーヌからの問いに、私は少し考える。

 そうか。旦那様は遅くなってしまうのか。

 私は屋敷に帰って最初の夕食を旦那様と共に食べれないことに、落胆を隠せない。

 旦那様を待ちたい気持ちはあるが、私も遅くなっては料理人たちが負担だろう。

 それに、旦那様は王宮で食事を済ませてしまうかもしれない。

「先に、食べるわ」

「かしこまりました」

 一礼したソルダが、奥に去る。

「では奥様。食堂へ」

 シェーヌが先導してくれるのに従って、私は久々の屋敷で歩を進めた。


「おいしかったわ」

 私は自室に戻りながら、変わらずおいしい屋敷の食事に満たされていた。

 満たされた、はずなのに。なんだろう。この、少しだけ物足りない感じは。

 ・・・・・・・分かっている。分かっているとも。

 旦那様がいなかったからだ。

 旦那様と、共に食事をしたかったのだ。私は。

「おやすみなさいませ。リアラ様」

「ええ。おやすみ」

 ラナとナナとミアを下がらせ、自室で私1人になる。

 少しベットに横になってみたりもしたが・・・・・・・眠れそうにない。

「はあ」

 仕方ないので、私はベランダに出ることにした。

 冷たい風が私の頬をなでる。

 以前、王宮のベランダで旦那様と話したことがある。

 最近のことのはずなのに。ひどく昔のことのようにも思えた。

 あの時、ほんのりと抱き始めていた感情が恋だったのだと今なら分かる。

「旦那様・・・・・・・」

「なんだ」

 返ってきた、返ってくるはずのない答えに。

 私は、目を丸くして声のした方向――――つまり、私の真横を見た。

「旦那様・・・・・・・!?」

「そうだが」

 旦那様が、そこにいた。

 正確には、私の横の部屋、旦那様の部屋のベランダに立っていた。

 なにかしら、このデジャヴ。

「ど、どうして。今日は、遅くなるはずじゃ」

「ああ。少し急いだ」

「で、では夕食を」

「大丈夫だ。もう軽くすませてきた」

「そう、ですか」

 私は、唐突なサプライズにトクトクと胸が高鳴っていることを感じる。

 わ、私、大丈夫かしら。顔、赤くなってないかしら。

「リアラ」

 私の名前は、こんなに素敵な響きだったかしら。

「遅くなってすまない。話をしようと、約束していたのに」

 旦那様の、その言葉に。

 私はいくばくか冷静さを取り戻す。

 そうだ。王宮でバタバタしているからうやむやになっていた、約束。

 私も無意識な恐怖から、避け続けてしまった話題。

「いいえ、旦那様。まず、なにからお話ししましょうか」

 旦那様から見えないように、ナイトドレスの裾を握りしめた。

「そうだな。まずは」

 バクバクと心臓が嫌な鼓動を刻む。

「場所を変えるか」

「へ?」

 疑問符を口にしたときには既に、旦那様が私のすぐそばにいて。

 それはつまり、旦那様がベランダを跳んで移ってきたということで。

「ふ、え。ひゃっ!?」

 驚きっぱなしの私を旦那様は容赦なく抱え上げる。

 旦那様の右腕は私の背中に。左腕は膝の裏に。

 そう。つまるところは――――お姫様だっこされていた。

 こ、こここここここれはまずいのでは!?

 今私の心臓は大暴れしている。

 それを、こんなに、密着して。旦那様にバレやしないだろうか!?

 そんな私の内心を知ってか知らずか、旦那様は私を見下ろし、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。

「行くぞ」

「え、どこに」

 私の問いに答える前に、旦那様はベランダの手すりに足をかけた。

 まさか、と思う暇もなく。

 旦那様は、夜の庭園へと、跳んだ。

「ひ、あああぁぁあ」

 迫り来る地面。

 浮遊魔法を展開しようかともよぎるが、旦那様にお姫様抱っこされてる状態でそんなことを冷静に行うなんて、不可能。

 だから私ができたのは、旦那様の首にがっしりとしがみつくことだけだった。

 衝撃を覚悟していた、のだが、そんなものは一向に来ない。

「もういいぞ。リアラ」

 旦那様の声に、ゆっくりと腕から力を抜く。

 目をしっかりと周りの景色に向けて、ここがすでに地上であることを確かめる。

 さすが旦那様。なんて柔らかな着地かしら。

「あー、リアラ」

「?」

「その。別にくっついてくれているのは悪くないんだが、その・・・・・・・1度降りてもらってもいいか?」

「・・・・・・・ッ、申し訳ありませんっ」

 私は旦那様に言われてようやく、まだ私が旦那様の首から腕を離していなかったことに気づいた。

 私は慌てて腕を放し、旦那様の腕から解放された。

 心臓が、うるさい。

 ・・・・・・・変なの。旦那様のぬくもりがなくなって寂しい、なんて。

「リアラ」

 旦那様が私の手を引く。

 私は旦那様に従って、庭園の中央へと歩みを進めた。

 屋敷の庭園の丁度中央。腰丈の植木が円形になるよう配置されているそこに、旦那様は私を導いた。

「旦那様」

 旦那様が歩みを止めた瞬間に、私は口を開く。

 先に旦那様に話を切り出されてしまうのが、怖かった。

「私の、瞳のことですけれど」

「ああ。それだが」

 旦那様が私の声を遮る。

 私の心臓が、一段と大きく、はねた。

「なぜ今、あの色じゃない」

「え?」

「言っただろう。もう、偽るなと」

 それは。それは。認めてくれるということだろうか。私を。

「俺は、リアラの瞳を綺麗だと思ってる。常にじゃなくても構わない。せめて俺たち2人の時は、なにも偽らないでくれないか」

 震える。身体が。肩が。瞳が。心が。

「なあ、リアラ」

「・・・・・・・はい。はいっ」

 私の目に涙がにじむ。

 視界が、ぼやける。

 ああ、やめてよ。私、少し我慢して。旦那様の顔が、見えないじゃない。

 私はたまらずに、涙を一粒、こぼす。

 同時に、私は私の瞳にかけていた魔法を解き、紫水晶と黄金の瞳を露わにする。

 旦那様は、そんな私の瞳を見つめて目を細める。

「やっぱり綺麗だ」

「・・・・・・・っ」

 本当に、この人は。どれだけ私を喜ばせれば気が済むのか。

「ああ、それからな、リアラ」

「はい」

「俺は、全てを知っている。だから、心配することはなにもない」

「それ、は」

 私はじわりと目を見開く。

“全て”とは、それは、私の出自や母国の扱いのこと、だろうか。

 調べて、いたのか。

 なら、私のことは、全て筒抜けで。

 加えて私の本当の瞳の色を知ったならば、賢い旦那様は私が秘めてきた真の力も悟っていることだろう。

 だから、それが示すことは。


 旦那様が私を見つめている。

 その群青色の瞳が、全て分かっていると。その通りだと。もう、安心して良いんだと。

 そう、明言していた。


 許された。そう、思った。

 そばにいていいと、言ってくれている。

 私の恐れは、抱かなくて良いものだと、言ってくれている。

「リアラ」

 名前を呼ばれる。

 紫水晶と黄金の瞳と群青の瞳が交差する。


「愛している」


 風が吹く。

 温かく、優しく、柔らかな、風だった。

 私は、こみ上げてくるものを抱きしめるように胸の中で包み込んで。

 今度は溢れ出す涙を止められずに、旦那様を見上げて。

 必死な思いで、伝えたいという思いだけで、言葉を紡ぐ。


「わたっ、私もっ。愛して、おりますっ」


 旦那様の細くて長い指が、私の顎を捕える。

 次の瞬間には――――唇を、深く深く落とし込まれた。

 私は羞恥心で逃げ出したくなる。が、それ以上の幸せが全身を包んで。

 抗えない程の多幸感に、私は腰が砕けた。

「おっと」

 かくん、と力が抜けた私を旦那様が支える。

 顔を赤くした私を見下ろし、旦那様が愛おしい者を見る目で、うっとりするような笑みを浮かべる。

「リアラは、意外とうぶだよな」

「余計な一言ね」

 私は旦那様の挑発するような一言にむっとして、足でも踏んでやろうかと思うが、今の状態ではそれもできない。

 だが、それでも嫌ではない自分がいて、なおさら納得がいかない。

「悪い。すねないでくれ」

「すねてません」

 我ながら、子どもの見え透いた嘘のような言葉と声音だ。

 実際、旦那様も苦笑して、私のことを再度お姫様抱っこする。

「なっ」

「もう今日は寝る。連れて行くからおとなしくしていろ」

 旦那様の優しげな瞳、その奥にかすかに揺れる熱を確かに見て取って。

 私はそれ以上何かを言うことが出来なくなってしまった。

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