第2章 普通の王女と血の鬼神

ep.6

 執務室に、紙をめくる音だけが響く。

 俺――ヴェルト・ディン・シュヴェルは、目前に積まれた書類を全て裁くべく、一心に手を動かしていた。

 俺は、自分の気持ちのコントロールを得意としている。

 戦場では、少しの動揺が致命的な隙になる。自分の心の制御ができない者は、未熟者。未熟者だ。


『旦那様。私があなたの妻。リアラ・ヴィリ・レ・でございます。ぜひ、記憶に留めてくださいませ』


 ピタリと、手の動きを止める。

 それから、頭の中の声を振り払うように頭を横に軽く振り、作業を再開する。


『分かりました。あなたは、私のことを本当の妻にするつもりはないのですね。私もそれで、結構だわ。私は今後、あなたに干渉いたしません。その代わり、私のやることにも干渉しないでくださいませ』


 ゴツッ

「ヴェルト様、どうされました?」

「・・・・・・なんでもない。気にするな」

 同じ執務室で書類仕事をしていた側近がこちらに目を向けたので、なんとか平静を装う。

 ちなみに、先ほどのゴツッという音は、手に持っていたペンを額に突き当てた音である。

 ・・・・・・おかしい。なにかがおかしい。

 いつから、なんて決まっている。婚姻の儀からだ。

 あの帝国の姫と話してからだ。

 なんとか他のことに集中しても、唐突によみがえるあの時の光景が俺の心を乱す。

 はあ、と深いため息を吐く。

 婚姻の儀からもう3日。俺は一度も屋敷に帰っていない。

 そろそろ帰らなければ、陛下あたりに何か言われてしまうだろうが・・・・・・。

 はあ、ともう一度ため息を吐く。

「ヴェルト様、1度紅茶を入れましょうか?」

「・・・・・・ああ、頼む」

 頼れる側近は、俺の返事を聞くなり即座に立ち上がり、紅茶を入れてくれる。

 彼の入れる紅茶はうまい。おいしい紅茶を飲めば、少しは心が安らぐだろう。

「どうぞ」

「ありがとう」

 俺は、ティーカップを手に取り、傾ける。・・・・・・うまい。落ち着くな。

「ヴェルト様、本日はお屋敷に帰られますか?」

「ぐっ」

 思わぬ問いかけに、危うく紅茶がつまりかける。

 それを紙一重で耐え、咳払いをひとつする。

「あー、そうだな。そろそろ、帰らないと、とは思っている」

「はい。今日あたり帰らないと、陛下が強硬手段に出かねないかと」

「そう、だな。陛下なら、やりかねない」

「でしょう?なら、そろそろお帰りください」

「・・・・・・そうしよう」

 俺は、思わず苦虫をかみつぶしたような顔になってしまう。

「ヴェルト様。やはり、婚姻の儀の日の夜、奥方様となにかありましたか?」

「ン゛!?」

「やはり、そうなのですね」

 はあ、というため息が頭上から降ってくる。

 俺は、半ば睨むような視線を彼に向けた。

 だが、それにひるむような人間が、俺の側近をやっているわけなどなく。

「だから、言ったではないですか。帝国の人間だからといって、最初から忌避するような態度はよくない、と。やるなら優しくして、つかず離れず、帝国の情報を搾り取りましょう、と」

「お前もなかなか、ひどくないか?」

「当たり前でしょう。私にとって大切なのは、ヴェルト様ですので。ヴェルト様が帝国に利用されるなど、許せません」

「そうか」

 帝国に利用、か。だが、そのつもりがあるなら、あの時の、あの態度、あの言葉は、一体。

「それに、奥方様に関して、気になることがあります」

「瞳の色、か」

「はい」

 それは、俺も気になっていたことだった。

 あの、クリーム色と薄紫色のオッドアイ。

 薄紫は、魔法の力が最下位であることを示している。魔法の力を誇るソルシエール帝国の王族であるにもかかわらず、だ。

 加えて、もうひとつのクリーム色。

「薄紫の方は置いておくとして、問題はクリーム色の方ですよね。クリーム色は、黄の薄いバージョンです。黄は、聖女の力を表わす。けれど、聖女の力を帝国が外に出すとは思えません」

「ああ。瞳の色から素直に考えれば、彼女は聖女の血統ということになる。だが、そうならば、帝国が国外にその血をだす意味が分からない。今まで、聖女の力は帝国が独占して、一切他国に出そうとしていなかったのに」

 彼女がなんらかの方法で瞳の色をごまかしている、という可能性もあるが。

「そちらの方は、少し調べを進めてみます」

「ああ。頼む」

 瞳、か。

 俺の頭に、俺を見下ろすオッドアイのまっすぐな光が思い起こされる。

 ・・・・・・そういえば、とても綺麗だった、な。

 ゴツッ

「・・・・・・ヴェルト様?」

「・・・・・・なんでもない」


 俺は、自分の屋敷に向かう馬車に憂鬱な気分で揺られていた。

 王宮での執務が終わり、側近に執務室から追い出されてしまったのだ。

 確かに、そろそろ1度帰らなければ、陛下がいらぬお節介を焼いてきただろうから、帰るのが最善だ。

 だが、今家には、帝国の王女がいる。

 憂鬱になってしまうのも、仕方ないだろう。

 屋敷に着くと、ソルダが真っ先に出迎えてくれた。

「お帰りなさいませ、旦那様」

「ああ。屋敷に変わりはないか」

「ええ。問題なく」

 その言葉に、ピクリと、眉を動かす。

 問題が無い?帝国の王女がいるのに?

「ああ、旦那様は奥様のことが気になるのですかな?」

「は?」

「奥様のことでしたらご心配なく。屋敷の使用人にも良くしてくださっております」

「そう、なのか?」

「はい。初めは驚きました。まさか、帝国の王女様が、使用人の名前を全て教えて欲しいとおっしゃるなど、つゆにも思わず」

「は??」

「旦那様。奥様は、大変素晴らしいお方ですねえ」

 俺は、ソルダの言葉に唖然とする。

 素晴らしい?帝国の王女が?

 ・・・・・・まさか、間違っていたのは俺の方だとでもいうのか?

 屋敷の中に入ると、使用人一同が礼をして出迎えてくれる。俺の日常、見慣れた光景だ。

 だが、その中に、見慣れない者が1人。

「旦那様。お帰りなさいませ」

 帝国の王女が、俺を出迎え、礼をしている。

 ソルダに上着を預けたタイミングで、彼女は俺を先導するように手のひらを屋敷の先へ向けた。

「夕食の用意は整っております。旦那様がよろしければ、すぐにお召し上がりいただけます。湯浴みをご希望でしたら、そちらも準備はできております」

「夕食で、頼む」

「承知いたしました」

 そう言うと、王女は側にいた深緑の髪の侍女に耳打ちした。その侍女は、彼女の言葉を聞くとすぐに奥へと行ってしまった。

 おそらく、調理場へ夕食にすることを伝えに行ってくれたのだろう。

 そういえば、あの深緑の髪の侍女は初めて見る顔だな。王女が、連れてきたのだったか。

「旦那様、こちらへ」

「あ、ああ」

 言われるがままに王女について行く。

 食堂につくと、ソルダが扉を開けてくれ、王女はその扉を堂々と通っていった。

「旦那様、ご着席くださいませ」

 中に入ると、シェーヌが待っており、俺のイスを引いてくれる。

 いつものことなので、そのイスになんの疑問もなく座る。

 そういえば、王女はどうするのだろうか。そう思って王女がいたであろう方向を見て、思考をピタリと止めた。

 王女は、角を挟んだ俺の左隣でナナに引かれたイスに座っていた。

「お前も、ここで食べるのか?」

 思わず、考えたことをそのまま口に出してしまう。出してから、しまった、と思うが

「あら、いけませんか?私もこの屋敷の住人なのです。ここで夕食を食べる権利くらい、あると思いますが」

 すまし顔の王女に、さらりと言い返されてしまった。

「そう、だな」

「それから、私の名前はお前、ではございません。リアラです。リアラ、とお呼びください」

「あ、ああ」

 何で俺は、こんな会話を帝国の王女と交わしている?

 そして俺は、なぜ簡単に承諾している?

 俺が混乱している中、前菜が運ばれてくる。

「生野菜サラダでございます」

「ありがとう。いただくわ」

 王女は、ごく自然にナイフとフォークをもって料理を口に運ぶ。

 そして、一口食べ

「おいしい」

 その小さなくちびるを、ほころばせた。

「あら、旦那様。食べないのですか?」

「あ、ああ。今、食べるところだ」

 俺は慌てて、サラダを口に運ぶ。

 分からない。王女が、分からない。最初に思っていたとおり、帝国の刺客なのか。俺を油断させる作戦なのか。

 もし、そうでないと、するならば。

 彼女は一体何者で、目的は、なんだ。

 それからも終始にこやかな王女とともに、俺は落ち着かない夕食の時間を終えたのだった。

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