オーロラ:Magic Warfare
イズシ
バランスオブパワー
0話-①:アフガニスタンの霧
アフガニスタンの山岳地帯に、冷たい雨がしとしとと降り続いている。音が岩肌を滑り落ち、道の端に泥を作り出す。辺りは灰色の空に包まれ、薄い霧が周囲の視界をぼんやりと曇らせていた。エイダ・レヴィーン大尉は、冷たい音を背中に感じながら、じっと村の外れを見張っている。
エイダの体内に流れるマナチャンネルが周囲の自然と調和し、わずかな異変にも敏感に反応する。魔法使いの身体には、生まれつきマナチャンネルと呼ばれる特定の回路が存在し、魔導器(マナアクチュエーター)がマナチャンネルを活性化させ、魔粒子(マナ)を感知することで、通常の人間では捉えきれない微細な感情や動きまでをも感じ取ることができるのだ。
ほとんどが砂漠色でまばらに緑が散らばった雄大な山岳に、とある小さな村が広がっている。アフガンの伝統的な石造りの古びた家屋が並び、住民たちはその小さな家々の中で過ごしている。その小さな家々の中で、少しばかり大きい村長の家があり、軒先で雨から身を守るように何人かが列を作っていた。村長の家の一部を診療所として借り受け、チームのドク(医療兵)が、村人たちを一人一人診察しているのだ。
必要に応じて予防接種や簡単な治療も行う。エイダのチームは、村人たちに医療を提供することで、現地の住民たちに安全な生活を保障し、敵対勢力に引き込まれるのを防ぐことを目的としつつ、また敵対勢力の活動情報の取得を試みるのが任務である。
エイダはふと感覚が少し揺らぐのを感じた。この地に赴任して以来、何度も感じ取っている感覚だ。村の人々の心の中に、何か重苦しい感情が漂っている。彼女の能力が、自然な形で人々の不安や恐れを感じ取っていた。雨の音が、さらにその不安感を助長させている。
村の様子をもう一度見回し、ドクが診察を続けている様子に目を移すと、村人たちはおとなしく順番を待ち、子どもたちはその周りで不安そうに親の服の裾にしがみついている。彼らの表情に表れているのは、この場所を巡る二〇年続く長い戦乱への疲れだった。
エイダの所属するアメリカ魔法軍の特殊魔法作戦群は、陸軍(アーミー)・海軍(ネイビー)・空軍(エアフォース)・海兵隊(マリーンズ)・宇宙軍(スペースフォース)・沿岸警備隊(コーストガード)・魔法軍(マジックフォース)からなるアメリカ七軍の特殊部隊を統括する特殊作戦群(USSOCOM)にあって、唯一、構成員の全てが魔法使いである部隊だ。
構成員の全員が心理学の教育課程を修了し、人間を観察する手法を、魔法的な手法も含めて訓練で叩き込まれている。
特殊部隊は華々しい戦闘技術で局地的な戦闘を制することがメインの集団と思われがちだ。映画『ブラックホークダウン』を思い出してもらえるといいかもしれない。あれは実話をもとにした映画だが、墜落したヘリのパイロットを救出するため、二人のデルタ隊員が降下し、せまりくる多数の戦闘員を撃退していた。しかし、特殊部隊の任務としては、むしろ同盟国の軍隊を訓練したり、敵対勢力内にある現地人に医療や教育を施し情報を得るといった任務の方が多い。
そういうわけで、表面上に現れにくい人心まで含めた情報収集を得意とし、また魔法を用いて高度な医療を現場で提供することができる特殊魔法作戦群m分隊にとっては、今回のような任務はうってつけなのであった。
それとは別に、本質的な意味合いで、なぜエイダたちアメリカ魔法軍の特殊魔法作戦群m分隊がこんなところにいるのかというと、二〇〇一年九月十一日のある朝、自爆攻撃を計画したテロリストグループがアメリカの旅客機四機をハイジャックし、ニューヨークに建っていた大きなビル二つと、米国防総省に突入したからだ。
四機とも、ボストンやニュージャージー、ワシントンといった東海岸の出発地から、ロサンゼルスやサンフランシスコといった西海岸を目指す便だった。そのため、最大四万三〇〇〇リットルもの燃料を積んでいた旅客機は、大量の燃料を積んだ誘導ミサイルと化し、二棟の貿易センタービルを倒壊させ、国防総省での被害やハイジャックされた四機の乗客乗員を含めると三〇〇〇人もの人が亡くなった。
当時まだ八歳だったエイダにとって、その日の出来事は鮮明な記憶として残っていた。テレビの画面に映し出される燃え盛るビル、そして火災に追い立てられ逃げ場を失った人々がビルから飛び降りる映像、大人たちの動揺した表情、そして国全体を覆った不安と怒りの空気。この経験が、後に彼女がウィンチェスター(アメリカ魔法軍士官学校)に入隊する動機となった。二〇〇〇年代以降、多くのアメリカ人の入隊動機であった、アメリカによる世界の平和(むろんアメリカが第一である)という理想を持った一人の若者であった。
以来アメリカは、テロの根絶を国策として掲げ、テロリストのせん滅と、その支援基盤の解体を目指して、アフガニスタンを含む中東地域での軍事作戦を展開してきた。エイダたちの任務も、この大きな戦略の一環として位置づけられている。エイダは、自分たちの活動が単なる軍事行動ではなく、地域の安定と平和構築に向けた重要な一歩であり、その積み重ねが世界とアメリカの平和につながることを常に意識していた。
そういう事情で今、特殊魔法作戦群m分隊の隊長として、エイダはアフガニスタンの一集落で、現地勢力の懐柔任務にあたっている。
雨の中、じっと立ち尽くしていたエイダは、目の前の村が不安に包まれているかのように見える静けさの中で、その裏でなんとも言えない不快なむず痒さが高まっていることを感じ取る。村の中に潜む不安、そして遠くから押し寄せる不穏な気配。嫌な予感がする。
「レヴィーン大尉、大丈夫か?」
突然、エイダの後ろから声がかかった。振り向くとチームメイトの副長、ホークス中尉がいる。190cm以上の長身かつ、厚い胸板と強靭な腕が象徴する全体的に筋肉質な体つきに、鋭さと知性を感じさせる深いブルーグレーの瞳は、まさに特殊部隊員といった出で立ちだ。全体的にシャープな顔立ちだが、嫌味にならない程度に口角がわずかに上がっているおかげで柔和な雰囲気をまとっている。
彼もまたm分隊の一員として、エイダと同じくこの村の安全を守っている。厳しい訓練をともに乗り越え、長くともに活動しているエイダたちにはお互いに気兼ねがない。
「ええ、大丈夫。 でも、注意して。 村人から、普段の不安とは違う緊張が感じられる」
エイダは冷静に答えたが、内心では警戒を強めていた。この静けさは、嵐の前の静けさだと、彼女の知覚は警告を発していた。
「ああ、先ほどから俺も少し感じている。 何か様子がおかしい」
エイダは副長の険しい表情を見てわずかに口角を上げ、肩をすくめて答えた。
「こんな雨の中でじっとしていると、何でも悪い予感に思えるものよね。 だけど、この手の勘を無視するわけにはいかない」
副長は鼻を鳴らして笑いつつ、「そうだな。 大尉の勘が外れたことなんて、ほとんどないからな。 でも、こんな雨じゃあ、敵も襲ってくる気にはならないだろう。 むしろ、俺たちが風邪を引くんじゃないかって心配だよ。 風邪を引いたら大尉が福利厚生の一環で温めてくれないか?」
「風邪ならドクに頼めば何とかなるけど、敵が襲撃してきたら彼も忙しくなるわね」
エイダは軽く笑いつつ、温めるとかどうのとかいう冗談は無視する。普通の会社であれば、こういった冗談は深刻なハラスメントになりかねないが、男所帯な軍隊である上に、長い付き合いのある同僚同士では、このくらいの冗談は日常的なものだった。エイダは副長の軽口を受け流しつつ、再び周囲に注意を向けた。
「雨の音と霧に紛れて何かが近づいてくる可能性はある。 俺が少し偵察してくるよ」
心配そうにしている様子を気取られたのか、副長が提案してくれる。
「お願い。 ここからだと北西の山道の見通しが少し悪い。 そこを中心に確認してきて」
「了解。 俺がいなくて寂しくなったら、ドクと猫の話でもしてくれよ」副長は軽く手を挙げ、冗談めかした言葉を残してから、静かに霧の中へと消えていった。
エイダはその言葉に一瞬微笑んだが、すぐに表情を引き締める。副長の冗談は心を和ませてくれるが、今は笑っている場合ではない。勘が外れることを願いながらも、戦場では油断が命取りだ。
雨は依然として降り続けている。エイダが周囲を警戒しながら立っていると、無線からドク少し緊張した声が聞こえてきた。
「ドクより大尉」
「こちらエム・ワン。 どうした?」
「診察中の女性が突然叫び始めました。 なんでも、今日この村が武装勢力に襲われるという情報を掴んでいるみたいです。 来てもらえますか?」
「一分で向かう!」
足早に村長の家へ向かいながら、頭の中で情報を整理し始める。この状況と勘が真実であれば、すぐに行動を起こさなければならない。エイダは村長の家にたどり着くと、すでに騒然としている様子が目に飛び込んできた。診察室から女性の叫び声が聞こえる。
「落ち着け!」ドクが何とか女性を落ち着かせようとしていたが、彼女の恐怖は明らかに尋常ではなかった。
エイダはその場に駆け寄り、脅かさないよう女性に向かって極力優しい声で話しかけた。
「どうしたの? 何が起こるのか話して」
息を荒げながらも、女性は震える声で、「今日、武装勢力がこの村を襲うって……。 男と村長が話していた。 彼らが来る……。 今日、たくさんの男たちが、山の向こうから……」
心臓が一瞬大きく跳ね上がり、息が止まりそうな感覚に襲われた。このタイミングでの情報は、偶然ではないはずだ。この村が武装勢力に襲われる可能性だけでなく、村長がその一部を知っているかもしれないということ、さらに村人たちがエイダたちm分隊の到着を利用して、何かを企んでいる可能性が高まった。
「村長はどこだ!」エイダは鋭く問いかける。村長の姿が見当たらないことに気づき、周囲を見渡す。
「さっきまでここにいたはずですが……」ドクが困惑した表情で答える。「診察を始めた頃は、外で村人たちをまとめていたのに」
女性はエイダの表情を見てさらに震えたが、その視線に耐えながら続けた。「村長は……きっと、彼らに……知らせに行ったんだ。 あなたたちが来ることを伝えて、見逃してもらうために……子どもたちを守るためだと……」
その言葉に、エイダの背筋が冷たくなる。村長は武装勢力と手を組み、エイダたち特殊魔法作戦群m分隊を引き換えにしようとしている。そう、村の大人たちは皆殺しにされ、子供たちは武装勢力によって誘拐され、薬付けにより女性は慰み者か、男性は人殺しの道具にされる引き換えに、憎きアメリカの兵士を差し出そうというのだ。私たちアメリカ軍を皆殺しにしても、武装勢力がその約束を守る保証などないというのに……。
「この村を守るために私たちを差し出すつもりか……!」エイダは冷静さを保とうとしたが、その中には怒りが沸き起こっていた。しかしその怒りはすぐに消え、冷静さを取り戻す。作戦行動中のみに使用を許可される感情調整魔法が作動したのだ。
偵察中の副長に確認するため、エイダは分隊内系の通信を用い、急いで連絡を取る。
「エム・ワンよりツー。 村長が裏切った可能性が高い。 現在、村長は行方不明。 状況は?」
「エム・ツー。 ワンの勘が当たっちまいましたね。 山の向こうに数百人規模のタンゴを確認。 雨で気配が読み取りづらいですが、間違いありません」
「了解。 タンゴの村までの到達時間は?」
「最小20分」
「エム・ツー。 村に戻って、部隊に合流しろ。 私は司令部と連絡を取る。 QRF(緊急即応部隊)の即応支援が必要だ」
「エム・ツー了解。 ETA5分」
今度は司令部系の通信を切り替え、HQと連絡を取り始める。
「ヴァンガード、マーヴェリックワンだ」
〈マーヴェリックワン、了解〉
「至急、QRFの派遣を要請する。 当該地域に数百人規模の武装勢力が接近中、時間がない! 二十分以内に戦闘が発生する見込みだ!」
〈マーヴェリックワン、ヴァンガード。 QRFを即時手配する。 ETA(到着予測時間)は最大四十分だ。 持ちこたえてくれ〉
「マーヴェリックワン、了解」
エイダは短く答え、無線機を閉じた。QRFが到着するまでの間、m分隊は自力で防衛を続けなければならない。彼我の戦力差は数十対一で、途方もない差に感じられるが、私たちは特殊魔法作戦群m分隊だ。全員が魔法使いである上に、経験豊富な特殊部隊である。厳しい防衛戦になるだろうが、戦闘発生から即応部隊が到着するまでの二十分はなんとか持ちこたえられるだろう。
「総員、戦闘準備!」エイダは部隊内通信系に声を張り上げ、「村人たちを村長の家に避難させろ! 数百人規模の武装勢力が接近中だ!」
エイダは部隊員に、最も大きく村人全員を収容可能な村長の家への村人の避難を指示する。ドクを含んだ隊員三人がテキパキと村人たちを誘導し始めた。
その後、すぐに村の防衛ラインの構築に取り掛かるべく、部隊に指示を出す。村は石造りの家々が密集しており、それを利用してバリケードを構築することができる。エイダは瞬時に魔法での探知レーダーで村の構造をスキャンし、戦術的に重要な防衛拠点を決めていった。
「村の出入り口を塞ぎ、無人の家屋を利用した防衛ラインを構築する! 北と南の村入り口に近い二名はそれぞれ入り口にバリケードを築け! 家屋の破壊まで含めたあらゆる手段を用いて物資調達を許可する」
エイダは部隊の指揮を取りながら、隊員たちに配置を指示し、村の防衛ラインを整えていく。ここで暮らす人々のため、できれば家屋は破壊したくないが、最低限は仕方がないと割り切る。
また、こういった許可は事後に何か問題が発生する場合に備えて、部下から上司に責任を移しておくためにも重要である。時間との戦いだ。防御力を高め、どれだけ持ちこたえられるかが勝負となる。そのために部下が余計な悩みを抱える種は排除しなければならない。
そうこうしているうちに、副長が帰隊してくると、「ホークス中尉、帰隊しました!」
魔法による身体強化により、副長は偵察に向かうよりも早く帰隊する。五分以内、時間ぴったりの帰隊である。
「副長、偵察ご苦労! 敵戦力について、副長の所感を踏まえつつ報告してくれ」
「敵戦力は五〇〇人以上。 武装はAK小火器が中心ですが、機関銃を装備した軽装甲車両タクティカルとRPGの携行もいくつか見受けられました」
「魔粒子反応は?」
「現時点では魔法を使っている兆候はありません」
緊急時には口調が丁寧になる副長の報告を聞きながら、エイダは一瞬安堵する。魔法戦力がいないということは、敵は標準的な火器や戦術に頼る可能性が高い。それは、エイダたち魔法使いの特殊部隊にとって優位な点だ。特殊魔法作戦群は、魔法の力を使って防衛を固め、通常兵器を凌駕する防御能力と火力を持っている。
「敵に魔法戦力がないことが勿怪の幸いだな。 しかし彼我の戦力差は甚大である。 QRFのETAは最大四十分だ」
「敵勢力はこの雨と霧を利用して近づいてきているようです。 この気候で探知魔法レーダーの精度が下がっていますが、村の北側の山道を利用して村を半包囲しようとしている可能性が高いでしょう」
エイダは即座に情報を頭の中で整理し、部隊に新たな指示を出す。
「部隊を二分する! 村の北側の入り口防衛を強化する。 副長、部隊の半分を率いて、そちらの指揮を執れ」
「了解!」
「私は広場に待機し、残りの部隊とともに南側を警戒しつつ、予備戦力となる。 村人たちは既に村長の家に退避済みだ。 敵勢力に呼応した村人たちの裏切り可能性への対応を含め、私の受け持ちだ。 敵接近前に防御を固めろ。 QRFの到着まで耐え抜くぞ!」
「了解! 各員、村北側の入り口で防衛ライン構築中の隊員に合流せよ!」
副長は即座に部隊の半数を率いて、北側の防衛拠点へと急行し始める。頼もしい副長とチームメイトたちだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます