0話-②:アフガニスタンの霧

 雨がますます強さを増し、辺りの視界は霧と雨粒に包まれてぼんやりと曇り、山岳の静寂をさらに際立たせていた。副長率いるm分隊の半数は北側入口付近に防衛ラインを敷いている。現在の状況では、村人たちとの複雑な状況に加え、敵勢力の圧倒的な人数が脅威となっている。敵の到来は間違いなく、そして圧倒的な数を前にしても、エイダは的確な指揮を執る必要がある。


「総員、ROE(交戦規定)の再確認だ。 攻撃は北側防衛ラインの半数は副長の、残りは私の合図があるまで待て。 武力紛争法に基づき、先に敵に撃たせるのが理想だが、自衛権の行使が最優先だ。 発砲許可後は兵器の使用制限は解除する。 目標と使用火器の優先度決定は各自に任せる。 村民に対する発砲は、緊急時の自衛を除いて禁止し、極力、無力化を旨とする」


 エイダは無線機を通じて、全隊員に指示を下す。いくら危機的な状況とはいえ、国際法理論上、武力行使が許容されるのは、自衛権に基づく場合と集団安全保障措置による場合だけである。


 つまり、民主主義国家の軍隊であり、法の統制化に置かれるアメリカ軍は、基本的に『撃たれるまで撃ってはならない』。m分隊も例外ではない。


 さらに、m分隊は特殊魔法作戦群であるため、一般的なROEに加えて、もう一つ重要な要素がある。それは魔法の使用についてだ。


「また攻撃魔法は、私か副長の指示に従い、自主的な発現は原則禁止する。 戦闘開始後は、防御魔法の発現は各自の判断で自由に行ってよし。 貴重なマナチャンネルの使用は防御魔法を中心とする」


 戦時ROEの遵守は、心理的な倫理観に反さないため、という目的もあるが、エイダと部隊の立場上非常に重要である。特に魔法使いの部隊は、その特殊な能力ゆえに、一般の軍隊とは異なる扱いを受けることが多い。魔法使いたちは、その力を適切に制御し、必要以上の被害を与えないよう細心の注意を払わなければならない。そのため、エイダたちは常に厳格な規律と高い倫理観を求められているのだ。


 とはいえ、現実問題として銃を所持しているものの、兵士と民間人の区別がつきにくい状況は存在する。警察などがまさにその例だろう。また向けられた物が銃なのかカメラなどの無害な物なのか、瞬時の判断は困難だ。『撃たれてから撃ち返す』という原則は、法律上の理想論にすぎず、実際の現場では必ずしも適用できないこともある。


 国際法は慣習に基づいて制定されるが、現場での完全な遵守は難しく、時に形骸化する場面もある。そのため、エイダは自衛権の行使を強調した。意図不明な武装者が接近する状況下では、ただ手をこまねいて待つわけにはいかないのだ。


 民間人の命は尊い。しかし、兵士もまた同じ人間であり、その命も等しく尊重されるべきだ。エイダは指揮官として、部下の命を不作為によって危険にさらすことがあってはならないという責務を担っている。


 静けさが続く。部隊の兵士たちは、息をひそめながらバリケードの後ろに隠れ、マナチャンネルを研ぎ澄ませていた。魔法による感覚強化のおかげで、彼らは音や振動の微細な変化に敏感に反応できる。


「エム・ツー、北側から敵の動きが確認できるか?」エイダは無線を通じて北側の防衛ラインを確認する。


「エム・ツーからワン。 タンゴは三つのグループに分かれ、接近中。 前方集団との距離は約一五〇メートル。 霧が深いので、まだ我々に気づいていないようです」


「エム・ワン了解。 総員ROEを厳守。 まだ発砲は許可しない。 敵を射程内まで引き付ける」


「エム・ワン、エム・ツー。 敵先方集団五〇名ほどが接近中。 五〇メートル付近まで約二分。 一〇〇メートル先の起伏に後続集団と機関銃を装備した車両を確認。 さらにその先にも後続が続く。 機先を制するため、至近五〇メートル到達時点の敵勢力に対し攻撃魔法を使用し戦端を開きます」


 副長から先制攻撃の提案が入る。つまり『撃たれる前に撃つ』ということだ。戦時ROEの完全な遵守に反することになるが、 戦術的な判断としてやむを得ないだろう。敵の数は圧倒的で、機関銃を装備した車両まで確認されている以上、先制攻撃による戦術的優位の確保は必要不可欠だ。エイダはROEを遵守した結果、部隊員を死なせる愚かな隊長にはなりたくない。しかし、ROEに一部反する行動の責任はエイダ自身に帰属させなければならない。そのためのROE確認と命令だ。


「追認する。 こちらも砲撃魔法を使用して後続の車両を中心に、同時に攻撃する。 エム・ツー、探知魔法レーダーで目標をマーキングし、私のマナチャンネルに一方向同期しろ。 砲撃結果はこちらも観測するので同期は維持されたし」


「エム・ツー、了解。 探知魔法レーダーで目標をマーキング完了! マナチャンネル同期します」


 その瞬間、魔導機により活性化したマナチャンネルの同期により、魔粒子を通じて他者の感覚と情報が共有されたことで、少しだけめまいがする。エイダ自身を含めた二人分の知覚情報の処理に、脳が熱くなるのを感じる。一瞬目を閉じ、深呼吸をして意識を集中させた。マナチャンネルを通じて流れ込む情報を整理し、戦場を把握する。副長の知覚する敵の位置、数、装備、そして周囲の地形まで、マーキング情報と一緒に、すべてが鮮明に頭の中に描き出される。エイダは目を開け、透き通るような声で指示を下し始める。


「ロドリゲス、カーター! データリンクで端末に目標箇所を指示した。 砲撃魔法を展開し、副長の攻撃合図と同時に砲撃せよ! その後は砲撃停止。 別名あるまで、避難場所の防御を主目的にしてくれ。 ウィルソン、南側の警戒を強化しろ。 撤退経路として保持する。 ドク、村長の家と村人たちを引き続き注意して見ていてくれ!」


「了解!」打てば響くような返答だ。マナチャンネル同期による情報共有も可能だが、共有される側は、知覚情報の増加により神経と脳に負担がかかるため、可能であれば文明の利器を使用する。指示を出している一方で副長も行動を開始するようだ。


「各員、近接攻撃魔法を発現準備。 俺の合図で前方五〇メートル付近の敵に対し攻撃開始。 その後、向かってくる敵に対し制圧射撃によるけん制に移行する。 敵集団、前方五〇メートル付近への接近五秒前。 五、四、三、二、一。 攻撃開始‼」


 その瞬間、副長含めた五名が、前方の敵に対し攻撃魔法を発現し、直径一〇㎝ほどのエネルギー弾が接近中の敵集団に向かって高速で放たれ、敵の至近で爆ぜる。近接攻撃魔法の一種であり、手りゅう弾と同等ほどの殺傷力をもち、爆発時、半径五メートル範囲内にいる敵に深刻な損傷を与える。


 同時に、ロドリゲス軍曹とカーター伍長が準備していた強力な砲撃魔法が同時に発現される。近接攻撃魔法よりも倍ほど大きい二つのエネルギー弾が上空に放たれ、マーキング目標に向かって降下を開始する。遠方の敵に対し命中させるのには、高度な技術を要するが、私たち特殊魔法作戦群m分隊は、長年の経験と訓練によって、そのスキルを磨き上げてきた。彼らの砲撃魔法は、高い精度で目標に向かって飛んでいく。


 砲撃魔法の閃光が雨音を切り裂き、遠方で轟音が響き渡る。エイダは一瞬目を閉じ、マナチャンネルを通じて砲撃の結果と前方を確認する。敵の車両が炎上し、混乱に陥った敵兵たちの姿が、レーダー上の気配として彼女の脳裏に浮かび上がった。


「エム・ツーからワン、ビンゴですね。 帰投したら皆にキンキンのビールをおごってください」


「そうだな、たっぷりくれてやる! エム・ツーはアツアツのソーセージでも焼いてくれ。 それより前方にまだ敵残存がいるようだ。 注意を怠るな」


 感情調整魔法があるとはいえ、部隊が過度に緊張しないように気を使ってくれる良い副長だ。その副長から同期される知覚情報では、前方の敵の八割ほどは先ほどの近接攻撃魔法で排除できたようだが、残存がよろめきながら立ち上がろうとしている。


 手足を失った敵の一部が泣き喚いている。別の一部は死への恐怖か爆発による衝撃と熱波の混乱で立ちすくんでいる。しかし、一部は憎しみに顔を曇らせ、戦意を失っていないようだ。薬により恐怖心をどこかに置いてきてしまっていそうな輩もいる。また、後続の数百名の一部が残存に合流し、突撃しようとしてきている。


「エム・ワン、エム・ツー。 やつらまだ戦意は失っていないようです。 ひとまずは現有戦力で持ちこたえますが、いざとなったらロドリゲスとカーターをこっちにください。 RPG! 障壁二重発現‼」


「エム・ワン了解。 だが確約はできないので、広場まで後退し、こちらに合流する選択肢も視野に入れてくれ。 そっちは任す。 エム・ワン以上」


 エイダは部隊の指揮を執りながらも、ドクの緊張した声が無線を通じて届くのを聞いた。


「ドクよりエム・ワン。 避難している村民のうち、数人の男たちから異常なアドレナリン反応が見られます。 興奮していて、恐らく敵勢力に呼応しようとしている可能性があります。 警戒が必要です」


「エム・ワン、了解」


 エイダは一瞬考え、近くのカーター伍長に指示を出す。


「カーター、ドクのいる村長の家へ向かえ。 不穏分子だけを無力化するが、殺さずに拘束するんだ。 対象に対し、混乱魔法を使って対応しろ。 スタングレネードは使用禁止。 子供たちに後遺症が残る可能性がある」


「了解、大尉。 混乱魔法で無力化します」カーターが鋭く復唱し、ドクと共に村長の家に向かった。


 エイダは指示を終えた後、再び周囲の状況を確認するために同期された情報に集中する。絶え間なくはあるが、数人規模で突撃を繰り返してくる敵勢力を、今のところは破綻の兆候なく副長チームはさばいているように見える。戦闘開始から十分ほどが経過し、QRFの到着まであと最大十分というところだろう。


 無線からドクの声が再び入る。


「ドクよりエム・ワン。 エム・フォー(カーター)が無力化に成功しました。 それと数丁のAKが村長の家の床下から見つかりました。 どうやら奴らは裏で武器を隠し持っていたようです」


 頬に雨を滴らせながらエイダはため息をつき、顔を曇らせた。


「ぬかったな……。 裏切りを画策していた村長の家なのだから、武器を隠していることも考慮すべきだった。 エム・フォー、ファイブ(ドク)は村人たちを見張りつつ、家宅捜索、現場を保持し続けてくれ」


「エム・ファイブ、了解」


 その時、無線が再び鳴り、ホークス副長からの報告が入る。


「エム・ツーよりワン。 敵が迫撃砲を展開しているのを確認しました。 発射準備をしているようです。 こちらと広場付近への攻撃が来る可能性が高い!」


「エム・ツー、了解。 こちらで防御対応する。 そちらは接近中の敵に集中されたし」


 広場の予備戦力はすでにエイダ自身とロドリゲス軍曹しかいない。


「ロドリゲス、風魔法で迫撃砲の軌道を東にずらせ。 南は撤退経路として、ウィルソンが保持中だ。 私は防御障壁を上空に展開する!」


「了解です、大尉!」


「エム・ワン、発射されました! 二発こちらに、三発そちらに行きます‼」


 マナチャンネル同期により、口頭による共有がなくとも知覚は可能だが、複数の状況が進行しているため全てに意識をふりまけない。そんな中で副長の警報はありがたい。


 同期中の魔法行使は大きな負担がかかるが、防御魔法はエイダが最も得意とする魔法の一つだ。この状況でも、部隊内で最も防御力の高い障壁を構築する自信がある。


 エイダは大きく息を吸い、集中力を高める。胸に下がっているペンダント風の魔導機を通して、マナチャンネルを活性化させ、空中に巨大な防御障壁魔法を発現させた。魔法障壁は透明だが、空気の振動を感じさせるような異様な圧力が空間を満たし、村上空を覆い守るように広がる。


 ロドリゲス軍曹の風魔法により、五発のうち、二発は村からそれていくが、三発はギリギリ村を射程に収めている。三発の砲弾は見えない壁に衝突し爆発したが、エイダの魔法障壁は見事にその役目を果たした。爆発の衝撃波は難なく障壁に吸収され、村への被害を抑えることに成功し、障壁は霧散していく。エイダは額に汗を浮かべながら、ふたたび目を閉じ、同期情報に集中する。どうやら副長の方も被害はないようだ。


「エム・ワン。 さすがの防御障壁ですね。 こりゃビールは俺がおごった方がよさそうだ」


「この際、誰がおごるとかはどうでもいいから浴びるほど飲みたいよ」


「‼ さらなる迫撃砲の発射を確認。 すべてこちらの北側防衛ライン付近を指向しています。 また前方から接近してくる敵増大中」


「こちらでも確認した。 再度防御魔法を展開する」


 エイダは再度集中力を高めて空中に巨大な防御障壁魔法を発現させる。ロドリゲスもまた風魔法を発現させた。


 大きな村ではないが、村全体を覆うような障壁となるとかなり負担が大きい。チームの展開箇所だけに発現すればいいだけかもしれないが、エイダはここに住む人々の暮らしを極力守りたかった。エイダの発現させた障壁は見事に迫撃砲を防ぎきってみせる。


「エム・ツーからワン。 敵の集結が完了し突撃体制に移行しつつあります。 ロドリゲスとカーターを送ってもらえますか? 現有戦力での防衛ライン維持が難しくなってきました」


「エム・ツー、ネガティブ。 村民の対応に必要だ。 敵の迫撃砲地点をマーキングしてくれ。 ロドリゲスに砲撃させる。 タメが少ないから威力は低いだろうが、圧力は減らせるはずだ。 マーキング後、家屋を盾にしながら、広場まで遅滞防御しつつ下がってこい」


「了解。 マーキング完了!」


「ロドリゲス! 砲撃地点を共有した! タメずに準備でき次第、砲撃を実施せよ‼ 砲撃実施後、北側に前進し、副長たちの後退を支援。 QRFの到着時間を再度確認のち、私も支援に合流する!」


「了解しました! 砲撃実施します」


 エイダはQRFの到着を再度確認するため無線を司令部系に切り替えた。


「ヴァンガード、こちらマーヴェリックワン。 QRFの到着は? 応答せよ! QRFに接続してくれ」


 〈マーヴェリック、ヴァンガード。 QRFの到着まであと五分。 レイヴン・リードに接続する、待機せよ〉


 無線に一瞬の静寂が流れた後、別の声が割り込んできた。


 〈マーヴェリック、レイブン・リードだ。 どうぞ〉


「レイブン・リード、マーヴェリック。 すでに村落内にタンゴが侵入。 総員にストロボをたかせる。 村落内の中心にある広場付近でストロボの点在が見えるはずだ。 そこから北側前方の敵を薙ぎ払ってくれ! 繰り返す、ストロボは味方だ。 誤射してくれるなよ!」


 〈リード了解。 村落の南側から侵入次第、ストロボを確認し、CAS(近接航空支援)を開始する。 五分以内に交戦に入る〉


 戦場での死者の内、十五%から二十%は誤射や誤爆と言われている。最悪の結果を未然に防ぐため、気を使いすぎるほどに丁寧に伝えても足りないと感じるほどだ。エイダは無線機を手に持ったまま、再度副長のチャンネル同期に集中する。副長率いる部隊が増大する敵の圧力に耐えながら後退しているのがわかる。


 エイダは急いで無線を部隊系に変えつつ、「ドク! 村人の様子はどうだ?」


「おびえていますが、おとなしいもんです。 そちらに加勢しますか?」


「いや、この決定的な状況で不安要素は排除したい。 村人たちの制圧を継続してくれ」


「エム・ワンよりウィルソン! 状況を報告!」


「こちらエム・シックス。 散発的に武装員が少数現れますが、自分のみで対応可能です!」


「よし、あと五分でQRFが到着する! 各員ストロボをたけ! QRFに位置を知らせるのだ。 私は副長たちに合流し、防衛ラインを維持する。 各自持ち場を保持しつづけろ!」


「了解‼」


 エイダを含めた各員はストロボを装着し、位置を知らせるために点灯させる。ドクはさらにもう一つのストロボを村人が避難している村長の家の外の近くに投げ捨て、QRFが位置を把握できるようにした。村人の非難先である村長宅の誤射を避けるためだ。


 エイダは脚力を強化し、急いで副長たちの防衛ラインへ向かい走り出す。そして走りながら副長とのマナチャンネル同期を解除した。近接戦闘では、複数人の知覚情報を処理し、即座に行動に移すには負担が大きすぎるからだ。


「副長! マナチャンネル同期を解除した。 QRFの到着まであと五分だ。 総員にストロボをたかせろ!」


「ようやくですか、大尉!」副長は顔を上げ、部隊に向かって声を張り上げる。「総員、ストロボをつけろ! ここまで来て誤射で死んだら、大尉と俺が遺族に顔向けできんぞ!」


 その瞬間、隊員の一人が緊張した声で叫んだ。


「大尉! 前方から複数名、RPG持ちの接近を確認!」


「制圧射撃を続けつつ、手りゅう弾投擲! 魔粒子を付与しろ! 私が前方に障壁を発現する。 障壁が消え次第、制圧射撃を再開!」


「フラーーグ、アウト!」


 隊員たちは即座に行動を開始する。魔粒子を流し込み、威力を強化した手りゅう弾を投げ込む。エイダはすぐさま前方に巨大で分厚い障壁を発現させ、敵の攻撃を防ぐ準備をする。


 手りゅう弾が爆発すると同時に二発のRPGが発射され、爆発を突っ切ってこちらに突進してくる。RPGが障壁にぶつかる。二発のRPGは、弾頭から発生するガス噴流で、障壁を焼き切ろうとしてくる。エイダは衝撃に耐えきるため、さらにマナチャンネルを活性化させた。歩兵が携行するロケット弾頭は、通常なら二名以上で行う二重障壁が必要な攻撃だったが、エイダの障壁はそのまま二発のRPGを見事に防ぎきった。


 爆発の余波が静まった後、前方にはまばらに残存する敵が見えた。後続からさらに敵が村落内に侵入してくる。制圧射撃を続けていると、突然、後方から四本の尾を引くロケットが上空を通り過ぎ、侵入してくる敵を薙ぎ払う。


 後を追うように、二機の戦闘ヘリ『アパッチ』が頭上を通りすぎる。隊員たちが歓声を上げた。


 〈マーヴェリックのお嬢様方! こちらレイヴン・リード、騎兵隊の到着だ! これより五分間、空中支援を継続する。 お迎えのバスに乗り遅れるなよ!〉


 お迎えのバスだと⁉エイダはその言葉に違和感を覚える。


 ウィルソン伍長が保持している南側の撤退経路の先を、強化した視覚で確認すると、村落を出た先に、先ほどの戦闘ヘリに護衛されながら到着したであろう輸送ヘリ『チヌーク』が一機と、その周辺で展開する四人の兵員が確認できた。だが、それだけだ。


 防衛ラインを維持しつつ、村の周囲に展開する敵勢力を押し返すには、明らかに地上戦力が足りない。


「副長、様子がおかしい。 確認してくるから、防衛ラインの維持を頼む」


「今我々が下がっちまうと、この村の悲惨な未来は決まったも同然ですからね。 急いでくださいよ!」副長は顔をしかめながらも、ニヒルな笑顔で了承してくれる。


 エイダは身体強化魔法を使用し、地面を蹴りながら高速で輸送ヘリまで駆け寄った。荒々しくヘリに乗り込むと、すぐに操縦士に詰め寄る。


「どういうことだ! 戦力が少なすぎる! 後続に増援があるのか?」


 操縦士は困惑した表情を浮かべながら、冷たく答えた。


「我々の命令は、貴隊を収容し、速やかに離陸、撤退することです」


「今我々が撤退すると、この村はどうなる! 虐殺が起こるのは火を見るより明らかだ‼」


 その瞬間、魔法強化された聴覚が、操縦士のヘッドホンから漏れる音を捉えた。


<レイヴン・スリー、こちらヴァンガード。 貴機の命令は、マーヴェリックを収容し、即座に離陸、撤収することである>


 操縦士がその命令を復唱する。


「我々の命令は即時撤退です! 困らせんでください、大尉殿。 意見具申は帰投後に直接司令部へお願いします」


「~~~~ッ‼」


 エイダはその言葉に、拳を強く握りしめた。冷静さを保とうとするも、内心では怒りがこみ上げてくる。だが、感情調整魔法が作用し、すぐに冷静な思考に戻った。しかし、その冷静な頭でさえ、命令があまりにも非情であり、この村の住民を見捨てる結果になることが容易に想定できた。


 合理的な思考と、自らの倫理観との葛藤が、心の中でせめぎ合う。感情調整魔法により、感情は追いついてこなくとも、倫理観のハードルはあるのだ。合理とは、所詮それぞれにとっての合理でしかない。合理は人によって形を変える。エイダはその矛盾に何とも言えない気持ち悪さを感じながらも、軍人としての務めを果たさなければならない。


「総員、我々は撤退する! 相互に支援しながらLZ(着陸地点)まで即座に撤退を開始せよ! 副長、ドクとカーターが村長の家にいる。 忘れずに撤退してくれ」


「了解! 総員、撤退だ! ロドリゲス、ドク、カーター。 ウィルソンと共に先に撤退しろ。 その後、部隊残余の撤退を支援してくれ‼」


 村長の家からドクとカーターが慌ただしく現れる。だが、ドクは納得がいかない様子でエイダに向かって無線越しで叫んだ。


「大尉、いいのですか⁉ 我々はこの村を見捨てるのですか!」


「口を慎め、ドク! 命令だぞ!」エイダは反射的に無線に怒鳴りつけていた。


「母親たちが……子供だけでも連れて行ってくれないかと懇願しております」


「……私たちの任務には含まれていない」エイダは絞り出すかのように答えた。運動による発汗とは別種の脂汗が大量に額に浮かび上がっている。額から垂れ落ち、目に入ろうとするそれを懸命に袖で振り払った。


 その瞬間、副長が一喝する。「命令だぞ、ドク! 二度はない‼ 即座に撤退を開始しろ!」


 そして、エイダは部隊が次々とLZに向けて撤退していくのを見守っていた。ドクたちが先に撤退してきて、その後、支援を受けた副長たちが撤退してくる様子が見える。全員が身体強化魔法を使用しているのと、戦闘ヘリによる空中支援が継続されているため、ほとんど反撃する必要なく速やかに撤退してくる。


 撤退を完了したm分隊がプロペラを回しながら待機しているヘリに乗り込んでくるとき、ドクが何とも言えない顔でこちらを見てくる。


「今は何も言わんでくれ……」エイダは心の中でつぶやきながら、唇をかみしめた。感情調整魔法が働き、怒りや悲しみは冷たく抑え込まれているが、その虚無感は言葉では表現しがたい。


「大尉、総員の搭乗を確認しました」最後に副長が報告してくる。チヌークから展開していた四名の兵士も乗り込んできて、一人が機銃につく。


 エイダも全員が搭乗したのを再確認し、無線越しに操縦士に伝える。「全員搭乗を確認! 離陸してくれ!」


 操縦士が振り向き、確認の一言を口にした。「全員搭乗完了。 これより離陸し、帰還します」


 巨大なチヌークは徐々に高度を上げ、激しいプロペラ音と共に地上から離れる。空中支援を完了した二機の戦闘ヘリが引き返してきて、帰投するチヌークの護衛をしようとしている。村から飛び去る間、エイダは無言で窓の外を見つめた。雨は変わらず降り続いている。m分隊と戦闘ヘリの空中支援が消えた村に、武装勢力がなだれ込むのが見える。村人たちの避難先である家にたかれたストロボが、むなしく光り輝いていた。その光が、エイダの胸に重くのしかかった。

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