月 5

 気がついたら狭い場所にいた。真っ暗で何も見えない。体とほぼ同じだけの広さしかなかった。今までにこれほど狭いところに押し込められたことはない。これが地上なのか、と思っていたときだった。


 突然、大きな衝撃とともに強い光が差し込んだ。私はあまりの光の強さに袖で顔を覆った。それでもまだ光を感じるような気がする。風を感じる。竹の匂いがした。ここにも竹があるのだろうか。宮中をぐるりと覆っていた竹を思い出す。


「あなや、なんと可愛らしいことか」


 頭上からしゃがれた男の声がする。光に少しずつ目が慣れてきたのを感じて、袖をずらして外の気配を探ってみた。


 なんと、私は竹の中に入っているではないか。私が驚いていると、目の前にいた大きな男が私を抱き上げた。なんと大きな男であろう。地上とは大きな人が棲むところであったのか。確かに月よりもずっと大きな星であるから、さもありなんなどと思う。


「これは本当に可愛らしい。子の成せない我らに天の思し召しだろうか」


 大男はそんなことをこぼしながらも、私を胸に大事そうに抱えて歩き出した。


 私は連れられていった小さな小屋で育てられた。私を拾った翁と妻の嫗は心優しく、貧しい暮らしながらも私を大事に育ててくれた。


 どうやら私は童にまで小さくされた上に、大きさも人ならざるほどに縮められていた。しかしまるで竹のような速さで成長し、あっという間に嫗を追い抜かし、かつて月にいた頃のような姿になった。


 そして、翁が竹を取るたびに財宝が中から現れ、貧しかったはずの暮らしはあっという間に貴族のように豊かになった。


 豊かになれば、それを聞きつけた商人がやって来て、商人の口から噂を伝え聞いた貴族が物珍しくやって来るなどした。初めは嫗と共に相手をしていたけれど、私のことを見て貴族がこぞって求婚するようになってから、家人以外に会うのは一切やめた。


 そんなことよりも私がやらねばならぬのは、犀を探すことだ。ここにいる間に何としてでも探し出さねば。そう思って出入りする商人に話を聞いても、それらしい話は全く聞かなかった。貴族はもってのほか、私の話など聞いてはもらえぬ。


 犀の居場所が掴めぬまま、時だけが過ぎていき、焦りを感じていたときだった。


「かぐや姫、見つけたぞ」


 夜空を眺めて名をくれた犀を思っていたときだった。唐突に声をかけられてぎょっとした。家人でさえもこの刻には姿を見せないというのに、一体何者か。


 そう思って見やれば、身なりだけは随分と上等であった。今までここに来たどの貴族よりも身なりが良い。おそらく、かなり高位の貴族なのだろう。富んではいても、我が家は平民だ。貴族の不興を買えばこの先苦しい思いをするのは、翁と嫗である。そう思い大事にはせず、貴人に話しかけた。


「このような夜更けにいらっしゃるとは、どちらさまでしょう」

「そなたは、何者なのだ。何故光っておる」


 しまった、と思った。地上に堕りてからは、月の出ている間は光らなかったため油断していた。今夜は新月だった。煌々と己から光が発せられている。気のいい翁と嫗は何も言わずに受け入れてくれたけれど、この貴人はどうだろうか。


「私は」


 何と答えたものか窮していると、相手から答えが返ってきた。


「月から参ったのか」


 まさか言い当てられるとは思わず、つい頷いてしまった。


「そうであったか。地上に光を放つ人などおらぬからな」


 そういって笑う顔は、あまり日の光を浴びていなさそうな色をしていた。おそらくかなり高位の貴族であるのに、あまり権力を感じさせない。


「失礼ながら申し上げます。貴方はどなたさまでしょうか」

「私はこの国の帝だ」


 まさか。帝は後宮を離れて、こんな田舎に来るのだろうか。それも平民の家に上がり込むなど、誰が考えるだろう。これでは大王も驚きだろう。


「何故、帝がこのような平民の家にいらっしゃるのでしょう」

「竹から産まれたと名乗る世にも美しい姫がいると聞いて、鷹取りの道すがらやって来たのだ。噂は本当であったな」


 そう言って帝は私に寄ってきた。貴族の求婚を断り続けていたのが仇となったのだろうか。厄介なことになってしまった。帝は私を気に入ったのか、すぐ近くまで来ると腕を掴もうとした。私はそれを避けて隅まで下がる。


「ひどいことはせぬ、逃げるでないかぐや姫よ」

「いいえ」


 私は自らを抱きしめながらそう答えた。己の名を他の人に呼ばれるということがどういうことなのか、思い出していた。私の名を呼んでほしいのは彼だけなのだ。私に名を与えてくれた、愛しい人。


「かぐや、良い名であるな。輝くような美しい姫によく似合う」


 うっとりするように帝は言う。お願いだから、そのように私の名を呼ばないでほしい。呼ばれる度に、私の心の泉が汚されていくような心地がして胸が痛い。


 私が隅でじっとしていると、帝は意外なことにもそれ以上近寄ってくることはなかった。ただ切なげにこちらを見つめてくる。その眼差しさえも、今は恐ろしいものだった。


 しかし、今の私は一の君ではなくただの平民の娘だ。ここで帝の機嫌を大きく損ねるようなことがあれば暮らしてはいけぬ。それどころか命を落とすことさえあり得る。


「そなたの意思を今は尊重しよう。また顔を見に来よう」


 帝はそう言うとさっと身を引いた。助かった。そう胸を撫で下ろすのもつかの間、そう間をおかずに帝の遣いを名乗る者から文が届けられるようになった。来る日も来る日も文が届けられる。無碍にすることもできず、女房を通じて返すのが苦痛だった。届けられる恋の歌のなんと呪詛のようであることか。

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