唐松 1
夜半に内裏から文が届けられた。差出人は宵宮さまだったので、中を確認することなく皇后さまにお渡しした。梨壺さまの里邸に来てからも文が届くとは思わず不思議に思っていると、皇后さまも首をかしげていらっしゃる。
「何か、良からぬことが起きてしまったのかしら」
「それはないかと存じます」
「あら、どうして分かるの」
皇后さまは文を手にしたまま私にお尋ねになる。
皇后さまが手にしていらっしゃる文は、紫苑色の紙に夕顔が添えられた結び文だ。こんなにも優雅なものが至急の話題とは思えない。
「花の添えられた結び文に至急の用をしたためる殿方はいらっしゃらないかと」
そうお答えしても、皇后さまはまだ思い当たらぬよう。殿方からの文はすべて左大臣によってなき物にされてきている皇后さまは、恋文の話は聞けども実際にお手に取った経験がない。
「結び文は恋文に用いられることがほとんどでございます」
「他の文にしてはならぬもの、というわけではないわよ。今までだって、宵宮さまは結び文でくださっていたでしょう」
皇后さまはそう答えながら文をほどく。今までの文が恋文だとはお考えにならないのね。宵宮さまが弘徽殿にいらっしゃってもそのような艶のある話はなさらないから、皇后さまもそれとは感じていらっしゃらないのかもしれない。
宵宮さまは恋の噂がひとつも流れたことがないと有名だ。主上が梨壺さまが現れるまで女人嫌いと思われていたように、宵宮さまも密かにそう噂されている。皇后さまにもし気がおありなら、これは宮中を揺るがす話題となるに違いない。
紫苑色の紙に添えられた夕顔は萎れずに咲き誇っている。夜闇に浮かぶ満月のような美しさに、皇后さまと重ねてしまう。宵宮さまも、そう思ってこの花をお選びになったのかしら。
うっとりと文を眺めながら思いを巡らせていると、皇后さまのお顔がだんだんと朱らんでくる。
「どうなさいましたか」
昼間、牛車で体調を崩されたばかりであることを思い出し、皇后さまの側に寄る。肩をお支えしようとすると、手で制された。そしてしばし顔を背けられる。
「皇后さま?」
心配になって声をかけると、大きく息を吸って整えたあとに皇后さまはこちらを向いた。依然として顔は朱いままだけれども、お加減が悪いわけではなさそうだわ。
「本当に、これは恋文なのかしら」
自信がなさそうにそう呟かれる様子は、初恋のように見えてはっとする。
「どのような内容が書かれていたのですか」
私の問いに、しばらくお考えになった後、小さな声でお答えになる。
「今日の内裏と主上のご様子が綴られているわ。それから、無事であるようにと、心配していただいてる」
「それだけでございますか」
文の見た目に反して、中身は期待に沿わぬ色のない内容だわ。そう思っていると、皇后さまが文の最後を指で示した。
「初めて、和歌をいただいた」
皇后さまの指すところを読むと、流麗な文字で一句綴られていた。
「まあ、恋の歌ですわ」
まごうことなく恋の歌だった。今まで文に和歌など添えられたこともなかったのに、ついに来たかと思えば随分と熱のこもった歌を送ってくださる。切ない思いが滲んだ歌に、私までつられて顔に熱がこもりそうになってしまう。
やはり、宵宮さまは皇后さまに思いを寄せていらっしゃったのね。もしやと思うことはあっても、ご本人が言い出さねばこちらから手引することはできない。もんもんとしていたけれど、これでようやく晴れ晴れとした気持ちになれそうだわ。
主上でも、追風の君でもなく、誠実で一身に皇后さまのことを思い支えてくださる宵宮さまに皇后さまを託したい。女房であれば、そのように主人の幸せを願うもの。
宵宮さまが帝であれば、今頃は宵宮さまの皇后とおなりだったのに。そんな暗い望みをつい抱いてしまう。
皇后さまはまだ朱い顔に手を添えて、困り顔になりながらもじっと文を眺めていらっしゃる。
「これが恋の歌なのね」
文に書かれた歌の箇所をそっとなぞる指は、絵巻物の一部のよう。切ない歌に感じ入ってか、皇后さまの表情もやや切なく見えた。
「何故、宵宮さまは私などにこの歌を送ってくださったのかしら」
戸惑いつつも、花ひらくような心の綻びが感じ取れる。皇后さまの小さな悦びを見て童のように跳び上がって喜びたいところだけれど、単の裾を握りしめてぐっとこらえた。私が騒いだらきっと皇后さまは今のお心をしまい込んでしまわれるでしょう。
「何とお返事したらいいのかしら」
文から目を離せぬまま、皇后さまがそうこぼされる。
「皇后さまが今感じていらっしゃることを、歌にしてお返しするのが良いかと思いますわ」
「これに代筆は頼めないわね」
皇后さまはそうおっしゃいながら、文をたたみ胸に抱いた。
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