寂寥中毒

憑弥山イタク

寂寥中毒

 閑静な住宅街に産まれた私は、幼少から静かな日々を歩んできました。

 共働き家庭なので、学校が休みの日は、自分以外の誰も居ない家の中に篭っていました。前述の通り、私の産まれたのは閑静な場所だったので、土日の昼間も、酷く静かでした。

 自分の体から発せられる音だけが聞こえてくる中で、私は、この世から私以外の全人類が消えたかのような、圧倒的な孤独を感じていました。当時は子供ながら、あの孤独感は中々に……味わい深かったです。

 ただの静寂。ただの夕暮れ。それなのに、外を走るバイクの音も、外で遊ぶ子供の声も聞こえない。この場、いや、この世界で、私は孤独。子供であったにも関わらず、あの静寂が、あの寂寥感が、私はたまらなく好きでした。

 中学生の時です。修学旅行で、初めて地元から飛び立ったことがありました。テレビで見る都会は、騒がしくもどこか温かい、楽しげな街。それなのに、いざ飛行機から下りてみれば……そこは楽しさの欠片も無い、地獄のような場所です。

 刺激的な匂いと、排ガスの匂いと、タバコの匂いと、ゴミの匂いと、汚物の匂い。全てを足して大気で割った最悪の匂いが、空港を出た私を迎え入れました。今でも忘れません。本当に臭くて、トイレに行って胃の中を全てひっくり返しましたから。

 最悪の匂いの中で、私は想像以上の喧騒に頭を痛め、また吐き気を催しました。さすがに2度目の嘔吐には至りませんでしたが、それでも、酷く苦痛でした。

 大人になった後は、ひたすら働いて、お金を随分と貯めて、1人で旅を始めました。騒がしいところには行かず、静かで、落ち着いた、白紙のような場所を求めて。

 けれども、私は満足できませんでした。

 どの国の、どの場所に行けど、子供の頃に抱いたあの寂寥感に、何故だか二度と至れないのです。

 人の立ち入りが無い廃墟で目を瞑っても、霧に覆われた静かな湖で呼吸をしても、街灯の無い土地で星空を眺めてみても、私の求める寂寥には程遠い。ただ静かなだけで、理想には至らないのです。

 私はある日、決めました。何処に行っても理想に届かないならば、に帰ればいい、と。なので、子供の頃に住んでいた、あの家に向かいました。

 両親と、姉の暮らす実家です。

 数年ぶりの帰宅ながら、まるで数時間ぶりに帰宅したかのようで、懐かしさなんて抱きませんでした。

 あの時と同じ、逢魔時。家族を外食に行かせ、私は1人で家に残ります。そして、あの時と同じように、自室で、仰向けに転がるんです。全身の力を抜いて、瞼を閉じて、肌と耳で世界を感じる……そうすると、眠りにつかずとも、心地よい寂寥感を得られるんですよ。

 やはりあった。理想的な寂寥は、確かにあった。私は歓喜しました。けれども……予想外の自体が起きたんです。

 子供の泣き声でした。私が実家を離れている間に、隣人が入れ替わっていたようです。前に住んでいたのは物静かな作家さんでしたが、今はどうやら、騒々しく低脳な野蛮な連中が住んでいるようです。

 あまりにもうるさく、私は、漸く実現した寂寥をぶち壊された気分でした。

 この世界には私一人。そんな感覚を容易く狂わせてきやがりました。


 その時……私は思いました。

 人に迷惑をかける奴は、居ない方がいい。今まで感じてきた怒りの中で、最上。この上ない憤りでした。なので私は、胸の内に芽生えた怒りを鎮めるべく、件の隣人宅へ向かいました。


 実家に帰ってきてから、1ヶ月が経ちました。多額の貯金を投資で増やし、そのお金で家族と生活をする。出社の必要が無い為、私はいつでも、この家の中で寂寥感を味わえる。無論、家族の居ない時間に限定はされます。それでも、世界中を飛び回るよりも圧倒的に効率がいい。

 そういえば、少し前に、色々な意味で近隣が騒がしくなったことがあります。どうやら、隣人宅で遺体が発見されたようです。それも、家族全員の。

 付近に監視カメラはなく、自宅のセキュリティにも引っかかっていない。それに、その家族の周辺を探れば、容疑者になりうる人間が多数いるようで、怨恨という線で捜査を進めていますが今なお解決には至っていません。

 私も警察とは話をしましたが、そもそも私はこの家から離れていた為、件の隣人に関しては名前さえ知りません。隣人宅に侵入する怪しい人物だって見ていませんし、警察への協力は殆どできませんでした。

 まあ、遺体なんてどうでもいいんですがね。

 私はこの寂寥さえ維持できればそれでいいのです。

 この静かで孤独な時間を、毎日と言えずとも味わえたら、他のことなど……どうでもいいのです。


 尤も、私の寂寥を脅かす者が現れれば、その時は……あの家族のように、また私がこの手で殺すのですが、ね?

 だって、殺さないと……私の寂寥が壊されるのですから。

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