賤ケ岳血戦 3:百鬼夜行

 冬の夜に、しゃんとどこかで鈴が鳴った気がした。

 ついで退魔師たちの感覚は、周囲に漂い始めた妖気を捕らえる。

 笛と鼓の音が、今度ははっきりと耳に届いた。

 半透明の、小妖とも呼べないほどか弱い有象無象のあやかしが、夜の闇から溶け出るように次々と姿を現す。

 現世うつしよ幽世かくりよを行き来しながら、彼らは峰々を越え、谷を渡ってやってきた。

 ――あやかしたちの行進、百鬼夜行。

 野に人の姿が減る冬、その群れは他の季節よりも大きく、強くなる。

「おうおう、ぎょうさんお揃いで。こりゃあ結構な規模やなァ」

 滋賀県、賤ケ岳の山頂で当主代行直志なおしをはじめとした葛道かずらみち家の退魔師たち、そして紫雲しうん家長女すずりの六人はあやかしを待ち構えていた。

 あたりには間隔を置いてかがり火が並び、さながら古の戦場のような雰囲気を醸し出している。

 直志の側に控える年かさの男が握りしめた錫杖を地に突き立てると、遊環ゆかんが澄んだ音を立てた。

「代行、妖鬼が渡ってくる気配は感じられません。これらは先駆けかと」

「あいよ、そのまま気をつけといてや」

「は」

「どうする、ナオにい。私はそちらの流儀に従うつもりだが」 

 退魔師にとって本家筋の人間は守るべき主君であると同時に、戦場における最大戦力であることがほとんどだ。

 そのため集団や強敵にあたる際の戦法は、家々によって大きく異なる。

 例えば兵庫神部かんべ家は本家の術師を衛士隊と呼ばれる戦闘部隊で囲んで守り、一気の術で片付ける方針である。

 すずりの家、紫雲家は本家の術師を精鋭で固めて切りこみ、他が後に続くというもっとも定番の戦術を好んだ。

 そして葛道家はと言えば――

「もちろんボクが前、君らは後や」

 最高戦力である本家の術師がいの一番に突っ込み、他のものたちは息を入れる必要が生まれたときに、一時戦線を支えるという極めて稀な戦法を採用していた。

「強いものが偉い」が家訓とうそぶくのも頷ける。

 一見乱暴な葛道流だが、未熟な術師の犠牲を抑えられるという利点があった。

 神部や紫雲の戦法では、特に強力なあやかしを相手にしたときにどうしても消耗を避けられないが、葛道流なら本家の術師が相手を上回っている限りにおいて犠牲は少なく済む。

「わかった」

「なぁに心配いらへん、木っ端の相手なんざ準備運動がわりにちょうどええわ」

 じじ、じじと空気が焦げる音があがる。

「――――っ」

 長く側で仕える葛道家の精鋭も、梅田の大妖で共闘したばかりのすずりも、思わず息をのむ。

 一気に練り上げられていく直志の霊気が発する圧力はさながら嵐のようだった。

 轟、と風が吹く。

「――鎧袖一触やね」

 宣言通り、ただあやかしの群れへと向け駆け込んだだけに見えた直志の突撃で、十を越えるあやかしが文字通りに吹き散らされていた。

 直志の周囲に、闇に光る無数の目が浮かび上がる。

 夜行が、進軍の妨げとなるものを敵と認識したのだろう。

 見守るものたちに緊張が走る中で、当の直志は悠々と腕を広げて宣言した。

退け、ここはボクの道や」


 §


「――クククッ、ヌルいヌルい、ヌルいなァ! 百鬼夜行、なにするもんでもあらへんわ!」

 男の哄笑が夜に響きわたる。

 声の主、葛道直志は自ら築きあげた屍山血河の上で笑っていた。

 無尽蔵に次から次へと現れるあやかしを、まさに破竹の勢いで蹴散らしていく彼は疲れを感じているようにも見えない。

「……ずいぶんとテンションが高いな、今日のナオ兄は」

 さかのぼること今年の一月、九州にて彼の地の雄、来島くるしま家当主、鉄心てっしんが鬼族の娘をふくむ百鬼夜行を単騎で蹴散らした一件はまだ記憶に新しい。

 その彼にあるいは伍するのではと見られる直志であれば、現状は当然の帰結、ことさら不安視するものでもないのかもしれない。

 見守るすずりは、想い人の身を案じたものかどうか決めあぐねていた。

 すずりにはかつての決闘からずいぶんと進歩したという自負があった、だがしかし直志との実力差は更に開いたように思えてならない。

 そこへすっと葛道家の術師が一人、近寄ってくる。

「すずり様、代行には少し珍しいお姿です。普段は冷静な方、正直あまり良い傾向ではないかと……」

「そうか、了解した。心しておく」

「は、よろしくお願いいたします。一度我らが出ますので、その間に代行とお話しいただければ」

「わかった――ナオ兄、交代しよう! こちらにも準備運動は必要だ! その間に少し休憩を!」

 この場では最年少のすずりだが、態度は堂々としたものである。

 彼女はその実力と同じ関西八家はっけという家柄、なによりも十年以上も直志を想いつづける一途さから、葛道家の家人の多くに好意的にみられていた。

「――あいよ、了解っと。ほな頼むで」

「「承知」」

「お任せを」

 一部での扱いはすでに将来の当主の妻へのそれであり、年かさの男を残して直志と入れ替わりに前線に出た三人が諾々と従ったのもさして驚くことでもない。

「なんや、あない言っといてすずりちゃんはいかんの?」

「葛道家の精鋭だ、変に部外者が混じるより安心だろう」

「さよけ、ところで鬼はどしたん? まぁだえへんの?」

「先ほどよりは近く、しかしまだ渡りの気配はございません」

「チンタラしよんなぁ、夜行の方が店じまいになってまうで」

「あるいはそれが狙いかもな。すべて使い潰してでもナオ兄の消耗を待ってるんじゃないか」

「木っ端程度こっちゃあと百でも二百でも蹴散らしたるんにゃけど、まぁそれも彼らしいっちゃらしいなぁ」

「ところでナオ兄、その鬼相手だが……」

「ボクがやる。助太刀はいらん」

「そうか、なら勝手に機をうかがわせてもらおう」

 いささか殺気立った短い返事にも臆さず、平然と返したすずりに年かさの男のみならず、直志までもが驚いたような顔になった。

「ちょいすずりちゃん、ボクの話聞いとった?」

「ああ、聞いた上で聞けないと言っているんだ」

 十年来の初恋の相手を見上げて、すずりはきっぱりと言い切った。

 男の細い目を真っ直ぐに見返して続ける。

「前回とは事情が違う。ここにいる以上、たとえ足手まといでも勝利のために命は張らせてもらう――そうでなければ嫁いでも周囲の信頼を得られない」

「っ、そう来るかぁ~……」

 多分もう十二分に信頼稼いでそうやけどなと直志の顔は言いたげである。

 だが確かに梅田とは状況が違う、この覚悟はないがしろにできなかった。

「わぁった。横槍の判断はキミに任す、そんでもし死んでもうたら、月命日に毎度花を供えに行くわ」

「縁起でもない……!」

 意地の悪い言葉に眉をつりあげながらも、すずりは内心で安堵の息を漏らす。

 それが彼の常であるからだった。

 なにより、自分と話すことでそうなってくれたことが喜ばしい。

 その後も緊張をほぐすために他愛もない会話を二、三続けたところで、シャンと澄んだ音が響いた。

「お」

 それはすぐに連なった音となり、耳障りな騒音となって警告へと変わる。

「代行。来ます」

「あいよ。交代するで、本命のお出ましや!」

「はっ!」

 異口同音に返事した三人の若い術師は命に従い、最後に小妖の群れに一当てしてあやかしたちから距離を取った。

 気負いなく一歩を踏み出した直志が、ふとすずりに視線を向ける。

「あぁすずりちゃん。一応言っとくけど、横槍はええけど無駄死には勘弁やで?」

「心配いらないさ、まだ婚約もしてもらってないんだからな」

「その調子なら安心やな」

 くっく、と直志が喉を鳴らす。

 直後に退魔師たちの前に現れたのは、黒い巨大な壁だった。

 いや、そう見えるほどに密度濃くなにかに群がった無数の小妖たちである。

 その向こう、爛々らんらんと輝く金の瞳が、直志の視線と交差した。

 叫びが世界を震わせる。

「――――――ッ!」

 それまで親魚にまとわりつく稚魚のように、大妖によりかかっていた木っ端のあやかしが発せられた殺気に怯え、散っていく。

「おうおう、こないに怯えて可哀想になァ」

 そうしてそれらを霊気の全力稼働で生じた雷で焼き払いつつ、直志は心にもない憐れみを口にした。

「直志ィィ……!」

「何べん言うてもわからんやっちゃなぁ――『さん』をつけろや、義直よしただクン」

 人と鬼とがにらみ合う。


 §


「は、なんやちょい見ないうちにずいぶん男前があがったやんけ」

 言葉通り、それと知らなければ葛道義直と目の前の妖鬼をすぐに結びつけるのは難しかっただろう。

 直志より目線一つ低かった父親似の優男は、今や従兄を見下ろし体の厚みは倍はあろうかという隆々とした巨体となっていた。

 もろ肌脱ぎの袴姿に、どこから調達したのか自分の身長ほどもある金属製の八角棒をたずさえている。

 ざんばらになった髪は白、額に同色の一本角がのぞき、瞳は妖しく輝く金、赤銅の肌には稲妻を思わせる黒い縞が走り、まさしく伝承にうたわれる鬼そのものの姿だった。

「説明しろ、直志ィ! なぜだ! 美冬が、なぜ! お前がやったなら、そんな必要がどこにあった!?」

 それが口角泡を飛ばしながら唐突に要点を得ない問いを投げかけてくる。

「はァ?」

(赤穂ちゃんの読みでドンピシャか)

 やはり母親に何事かを吹きこまれたか、なんらかのすれ違いが生じているのは間違いない。

 だがそれがわかって直志の胸に湧きあがったのはむしろ怒りだった。

(――こんなんの誤解を解いてやる必要あるか?)

 そもそも梅田の大妖に関わったのが軽率そのものの振る舞い。

 くわえて謹慎を言い渡したにも関わらず退魔師でもない母に連れ出され失踪、更にその母の言うことを鵜吞みにして逆恨みで襲ってくる浅慮。

 あまりに蒙昧、あまりに幼稚、あまりに愚鈍。

 考えれば考えるほどに怒りが湧いてくる。

 なによりも鬼に転ずるなど退魔師としてもっとも恥ずべき裏切り――まして、よりにもよってこの自分相手に・・・・・・・だ。

 それが女一人守れなかった己の身を棚に上げてこちらを非難してくるなど、侮辱もはなはだしい、これに耐える必要がどこにあろうか。

 否、もはや万死に値する。

「なにが言いたいんか良うわからへんわ。もっぺん言うてくれるか?」

 直志はキレた。

 あるいは二十三年の生で二番目に大きな怒りだったかもしれない。

「貴様ァ……!」

「ハ、そない取り乱すくらいに大事な女を放って逃げていまさら被害者面たぁ、面の皮厚いのにも程があんで」

「――ッ、直志ぃぃぃイィィ!」

 無造作に踏み込んできた鬼が手にした武器を振りかぶる。

 その腕が下方向への動きに切り替わる直前、直志が高く上げた足裏で肘を押さえ動きを封じた。

「ッ!?」

「多少力持ちになったんか知らんけど、そのトロさじゃ持ち腐れやなぁ」

 鬼の腕が震える。

 それでも力は拮抗し、動かない。

「ガァアァァァァ――――!!」

 苛立たし気に鬼が吼える。

 雷鳴がとどろき、夜空が赤く・・塗りつぶされた。

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