オタク君に優しくなったギャルさん
たかしモドキ
【1】二つ尻尾の老猫
夏の祭りには、どこか人を急かすような雰囲気がある。
掴み所のない
途切れることの無い人波とか、
屋台の前で揺れるカラフルな、のぼりとか、
何か、冷静にさせない様に振る舞う空気が漂っている。
石造りの階段を登った先に、神社があり、
その真っ直ぐな石畳にそって、屋台が立ち並んで、
大勢の人間が、そこを行き交っている。
その石畳の先、境内の手前に、
色味の鮮やかな、今時の
白みがかった薄い金色の長髪。
ツンとした鋭い目端と、紫の瞳。
プリンとして小さな唇には、赤いリップ。
モデル雑誌から飛び出したような、線の細い少女だ。
その隣には、男が居た。
深い筋の入る小麦色の腕を、
我ここにあり。と、大きく振り回す成人の男だ。
男は、まるでブランド物を見せびらかす様に、
容姿の整った少女の腰に手を回して、自慢げにしている。
それを見ている、糸目の少年が居た。
まっすぐに切り揃えられた短髪。
首元の寄れた白いTシャツに収まる体は、枝の様に細く、
サイズの合わないジーンズに、くたびれたゴムサンダル。
風が吹けば、へし折れそうなヤワな男だ。
少年は、金魚すくいの屋台の前、
足の悪そうな祖母を、立てた自分の太ももに座らせている。
金魚を不器用に追いかける、その老いた手を支えながら。
側から見れば異様な光景だが、
それはそのまま、少年の人間性を表している
とても献身的な行動だ。
少年は、少女を憧れの宿った目で見つめ、
個性的な糸目を曲げて、ニコリと笑った。
少女も、少年の存在に気付き、
顔を動かさず、目だけで、その光景を見つめた。
重なり合う視線があっても、
言葉は交わされなかった。
でも少女は、通りぎわに呟いた。
「何あれ……キモっwマジでウケるw」
途端。
世界がモノクロに変わった。
音も消えた。
さながら無声映画の様だ。
明暗だけで表現された世界では、
どこに何があるのか、とても見辛い。
それは、見辛いのではなく、
見たく無いのかもしれない。
肉球。
丸い丸い、可愛い肉球がペチンと視界を塞いだ。
喉をゴロゴロと鳴らす、白い猫が現れた。
尻尾が二本もある不思議な猫だ。
猫が目の前に現れて、二本の尻尾で映像をかき消す。
世界は真っ白になった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
目が覚める。
暗い室内に、四角いオレンジの光が差し込む。
時計を見ると、午後六時を指していた。
状態を起こすと関節の節々が痛んで、
肺がひっくり返る様な咳が出る。
枕元にある吸引薬を手探りで探して、深く吸い込む。
次第に、症状が安定してくる。
枯れ木の様に
不安定に揺れて、嫌にしなる足を見ると、今にもへし折れそうだった。
ゆっくりと歩いて、窓際の机を見ざす。
管理の行き届いていない畳は、一歩踏みしめるたびに、不快に沈んだ。
机の上に置いてある、毛布の詰められた段ボールに近づいて中を覗き込む。
「ピース?」
声をかけると、ガリガリに痩せた老猫が、
ゆっくりとこちらを向いて、掠れた声で返事を返した。
ああ良かった。
まだ生きている。
ピースは、尻尾が二本もある変な猫だ。
丸まった姿が、ハンドサインの『ピース』に似ている。
だからピースという名前をつけた。
ピースの無事を確認してから、アルバイトに出かける準備をする。
仕事の内容は、夜間の交通整理だ。
色々と、アルバイトを転々としてきたけど、
今の環境とは、相性が良い。
姿見の前に立って、やつれた自分の姿を見つめる。
あんな夢を見たせいか、酷く昔を懐かしく思った。
持病のせいでもあるけれど、47歳になった自分は、
思い描いた姿には、なってくれなかった。
思わず、手に持った適当な物で、
鏡を割ってしまいたくなる。
「……いけないな」
顔を洗って背筋を伸ばす。
しっかりしないと。
「ピース、行ってきます」
老猫の掠れた声を聞いてから玄関を出た。
出勤して、定位置に着くと
昨日と同じ動きを繰り返す。
車が来れば棒を振って、
車が来なければ棒を振らない。
あまり激しく動く事のできない自分に、ぴったりな仕事だ。
九時の休憩で菓子パンを頬張り、
タバコに火をつける。
軽く咳き込みながらメンソールが、
胸を冷やしていく感覚を味わった。
深夜の二時になって、
交代の人が光る棒をくるくると回しながら現れて、
ようやく帰路に着いた。
なんだか今日は、一段と疲れた。
家に帰り、真っ暗な部屋に電気を灯す。
荷物を降ろし、冷蔵庫からビールを取り出す。
3口ほど、喉を鳴らして胃に流し込んでから、
老猫ピースの様子を見ようと段ボールを覗き込んだ。
ふわっとした。浮遊感。
急に、頭が真っ白になって、
顔に冷たい液体が降りかかる。
臭いで、それがビールだとわかった。
目の前に天井の木目が見えて、
ようやく自分が倒れたのだと気付いた。
体が痺れた様になり、上手く動かせない。
ふと、横を見ると、白い毛むくじゃらが、動いているのが見えた。
倒れた拍子に、ピースの入ったダンボールを、
ひっくり返してしまったみたいだ。
ピースは、フラフラしながら顔の横に歩いてきた。
久しぶりに見たピースの顔は、目ヤニと鼻水で、とてもブサイクだ。
白くて柔らかい体に、頬ずりして体温を顔の端で感じた。
ああ、そっか。
もう駄目なんだ。
死んじゃうんだ。
ある程度覚悟を決めていたせいか、
人ごとの様にそう思った。
なかなかに酷い人生だったな。
昔、背負った異性とのトラウマが原因で、
二回結婚に失敗して、親戚とも疎遠で天涯孤独。
人生で一番楽しかったのは、高校生の時だったな。
自分の人生の全てがそこにあって、
でも、それも間違った幻想だって気付いて。
なんて救いのない人生だろう。
でも、一つだけ良かった事がある。
「ピースおいで……」
ひとりで死ぬわけじゃないし、
ひとりで死なせない。
一緒に死んであげられる。
なんとかピースを胸に抱く。
二本の尻尾が、おでこを撫でて、前髪をさらった。
最後に感じた感触は、猫の柔らかな毛と消えかけた体温だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
長い道が見える。
右側にオレンジのミラーがあって、
左側には川が流れている。
懐かしい。
確か通学路の道で、ここを真っ直ぐ行けば、駅前に出て、
隣接された繁華街の中には、小さな公園が見える。
ふと、視界の端を歩く人影が見えた。
お腹の大きな女性と、それに寄り添う男性。
女性は、足が悪いのか少し癖のある歩き方をしていて、
男性は、それに寄り添っている。
思わず凝視してしまう。
どこか『あの子』に、似ている。
もしかすると、そういう未来もあったのかも知れない。
現実なら、絶対に訪れない未来が……
今までの人生で何度も思い出した『あの子』
過去に、あの頃に戻れれば『あの子』に、本気で恋をしたかった。
そんな事、何度繰り返し思っただろうか。
いいなぁ。
『あの子』の隣に居られる人になりたかったなぁ。
その時、右側から大きなバイクが走ってくるのが見えた。
バイクは、道に迷っているのかスマホの画面を弄っていて、前を見ていない。
まずい。そう思った瞬間。
なりふり構わず、バイクの前に飛び出していた。
大きなバイクが急ブレーキをかけながら、
体の上を通過していく。強い衝撃で体がバラバラになるかと思った。
バイクは、こちらを一瞬見て、
そのまま走って行ってしまった。
あの2人はどうなっただろう。
そう思ってくると、2人の人影が近寄ってきた。
「ああ。無事で本当に良かった」
なんとか絞り出す様にそう言った。
でもそれっきり、体はいう事を聞いてくれず
意識も次第に朦朧としてきている。
目の前の女性が何か言っている。
口をパクパクと動かして、
なんて言っているんだろう?
『ありがとう…頑張ってね』
そう言った様に見えた。
意味はわからない。
けど、もうどうでも良かった。
これが死の間際に見る、走馬灯じみた映像なのだとしたら
あまり深く考える意味はない。
そう思っていると、目の前にピースそっくりの猫が現れた。
もちろん、尻尾は二本ある。
『ひとつ、あげる』
猫がそう言ったのを最後に、浮遊感を感じて、
目の前が真っ白になって、体が温くなった。
どこかへ移動している。
こことは違う、どこかへ。
そこは、天国だといいな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます