新しい日常を日々と呼べるまで

遊川伊波

第一章

 祖父が入院すると聞いたのはちょうど紅葉が散り始めた季節だった。それが印象的でよく覚えている。病名に関しては詳しく聞かなかったが、診断に連れ添った母親の話から、おそらく良いものではないのがわかった。

 人の死を意識することは日常で殆どないが、身近なところに潜む脅威が顔を出したときにだけさも死を忘れていなかったように生活するのは矛盾しているだろうか。


 祖父は何事にもきっちりこなすことを信条としているのかのように、季節ごとに衣替えをきちんと行い、正月にはおせちを誰よりも早く注文して用意をするような人間だった。ただ、だからといってそれを他人に押し付けるようなことは決してせず、母にも私にも姉にも同じような接し方だった。祖母は私が生まれる前に病気で他界してしまっていたため、どんな人間だったかも知らず、深く話す機会もなかった。

 よく祖父の不要になった服をくれたが、自分には大きすぎたし、古臭いから着ることはなかったが、ファッションの流行も巡って、祖父の服がかっこよく見えてくるのだからおかしなものだ。私が祖父の服を着ているのを見ると、毎回俺があげた服かと喜んでくれるのと悪い気はしなかった。

 私は正月に食べる祖父が仕切るすき焼きが好きで、元旦は友達などと遊ぶのではなく祖父の家で過ごすのが慣例だった。


「今度の休日に一緒にお見舞いに行こう」

 母は私と姉を誘った。もともとお見舞いをする予定だったので問題ない。それは姉も同じだったみたいで、私と同時に首を縦に振っていた。

 病院は祖父が住んでいた家と私が住む家のちょうど中間地点に位置していて、駅から少し離れていたが、それなりに大きな病院だった。

 母が受付を済ませ、祖父から頼まれたものとか買うからとコンビニに行っている間、病院の中庭を覗く。

「初めて来たけど、結構しっかりした病院だね」

 姉が私の後ろから同じ中庭を見つめながら話す。中庭には複数ベンチが置かれており、その間を埋めるように銀杏が等間隔で並べられていた。すっかり葉は落ちきっており、地面を隠すように黄色がふわふわと敷き詰められていた。

「本当な、中庭にもでられるのか」

 後でコーヒーでも買って外に出てみようと言うのだから、姉は強いなと思う。

 私は寒くてごめんだが、逆らえないのはどこの世界の弟も同じだろう。

 母がおまたせおまたせと声をかけたので、振り返るとコンビニで無事に調達ができたみたいだった。

「それじゃ向かおうか」

 病室は階段を上がった二階のナースステーションから近いところに位置していた。四人部屋の右奥が祖父のベッドだった。お父さん入るよ〜と声をかけてカーテンを開けると眼鏡をかけて半身を起こしながら新聞を読む父がいた。

「おぉ〜、元気してたか」

 と母姉私とそれぞれを見回しながら声をかけていた。元気しているか気になっていたのはこっち側だと思ったが、入院前と変わらない声のかけ方をする祖父になんだが少し口角が上がってしまった。

「うん、元気にしていたよ」

 私はいつもより少し幼くなるような声を出してしまう。祖父に対してはなんだかいつまでも孫でいたいといったような潜在意識が働いている気がする。姉も同じように返事を返す。母は買ってきたものを机に広げ買ってきた雑誌や着替えの説明を手短に済ますと、そのまま看護師さんと話すことがあるといって出て行ってしまった。

 お見舞いに来たとはいえ祖父と話すことはそんなに多くないのが正直なところだ。他愛もない近況などを少し共有したら、共通の話題は特にないからこっちが勝手に喋るか話してくれるのを待つ他ない。祖父は話し好きといった感じでもないため風が窓を叩く音が時折静かに響いていた。

 ただ、それが居心地を悪くしているかと言ったらそんなことはなく、母が複数買ってきたうちの雑誌の一つを読んでは気になったことを独り言として放り出すと、自然とそれが会話になった。

 祖父が勤勉だったため生前整理をほとんど済ませており、重要な書類や手続きはほとんどがまとめられていた。それは一重に現世に未練がないからだと母はいっていた。

 ―――本当だろうか。私はふと雑誌から顔をあげる。

 祖父も雑誌から顔を上げて、窓の方へと視線を投げていた。ここからは冬特有の澄んだ青空と薄く引き伸ばされたような雲がかかっているだけしか見えない。その表情を見る限り、どこか思案しているかのようには感じていた。自分が死の間際に立ったとき、一体全体何を思うだろうか。その立場になってみないとわからないことは数多くあるが、だからといって考えることを放棄していたら、結局何もわからないまま過ごすことになる。

 祖父に無性に聞きたくなる。だが、今それを聞くことに対して抵抗もあった。

「そろそろ行こうか」

 いつの間にかに部屋に戻っていた母の呼びかけに呼応するかのように全員が母の顔を見た。

 なに〜やっぱ血は繋がっているのね、と変な冗談を交わせるような空気がまだあって、今後もそんな穏やかな時間になればいいなと思った。

 帰り支度をしている中で、また来いよ〜と言ってくれる祖父と握手を交わして病室を出た。

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