回顧の未来視《プレコグニション》〜色んな奴が僕を殺そうとするけど僕には分かっている〜

居屋鳥亜

第一章:開幕、遥か彼方で空を薙ぐ

第1話 じゃあな、そんで久しぶり

 僕は路地裏で仰向けになって倒れていた。腹から流れる血から、全身の力が抜けていき、指の先すら動かない。


 頭ん中に靄がかかって何かを考えることすらままならない。死にたくない、痛い。反射的に湧いてきた目先の感情に思い出が全部隠れてく。


 笑っちまうよな。平和すぎてなくなる気一ミリもしなかった日常、すんげえ簡単になくなるんだからさ。


 わけわからんバケモンが目の前に現れて、急に右手がでっかくなって……なんで逃げ切れたんだろうな。


 だけど無駄っぽいな。僕は動けず、誰の目にも付きそうにないこの場所で、静かに死ぬ。


「……父さん、母さん……セッカ……やだよ、やだ……やだ…………」 


 止まらなくなったものがもう一つ増えた。まだギリギリほっぺたがくすぐったかったけど、もう無理だ。拭けねえよ、涙。


 ……ごめん。僕もう帰れねえわ。……じゃあな。


 *


「じゃあね秋那ちゃん」


「うん、また明日」


 心地いい風が吹いている。高校の生活にも慣れてきた。今こんな生活をしているなんて、あの時じゃ考えられないな。


 ……少し昔を思い出してしまった。忘れるにはやはり、あそこがいい。


 いつも友達と別れる場所のすぐそこに、のんびりと流れていく小川と座りやすい土手がある。


 いつもと変わらないその場所は、今日の風も相まって私の心を洗い流してくれる。


 のんびりとした心地よさに耽っていた、そのはずだった。いつもと変わらないその場所に、全てがおかしい、変わり者以外の何者でもない男の子がやってきた。


 その男の子は髪を白く染めていて、服はボロボロでお腹の辺りは完全に露出していた。その割に体にはなんの傷もない。


 あまりに異様すぎて後ずさってしまった。その男の子をしばらく見ていたら、私と同じように座って川を眺めだした。


 そうしたら遠くから小学生が何人か歩いてきて、彼の元に近寄った。


「んだとゴラァ!」


 男の子は急に大声を出した。何を話してるかはよく聞こえないが、後ろの小学生達の様子を見るに、彼の見た目をバカにされ、それに怒って声を上げたようだ。


 彼が立ち上がろうとした時、足を滑らせて土手を転がり落ちていった。勢いは衰えることなく、水しぶきを立てながら川の中で俯けで倒れてしまった。


「うおっ! なんだあいつ気持ち悪っ! 行こうぜ!」


 あまりにも迫真の転落を見せられ、小学生達は気持ち悪がって逃げていった。正直私も呆気にとられてしまっている。


 だが、おかしい。なかなか男の子が起き上がってこない。もしかして、頭とか打ったんじゃなかろうか……。


「あの! 大丈夫ですか!?」


 心配で近寄ってすぐに彼は起き上がった。


「ざけんなあのクソガキどもが!」


「うっ」


 勢いよく彼が立ち上がった時に水しぶきがたくさん飛んできて、思わず尻もちをついてしまった。


「あっ、すまん。大丈夫か?」


 水で濡れた手を彼は私の前に差し出した。その顔は薄まった鼻血で汚れていた。まだ止まっていない。


 「私は大丈夫です。むしろ、貴方の方こそ大丈夫ですか? 髪の毛、赤くなってますよ」


「え?」


 彼は川に映る自分の顔を覗き込んだ。前髪ともみあげに血が付き、赤いメッシュの様になっていた。止まらない鼻血もそこで確認できたようだ。


「やべ、なんだこれ! 止まんねえぞ!」


 鼻から下を必死に腕で拭うが、血がピエロの口の様な広がり方をしてしまっていて、笑いを堪えるのが難しい。


「……どうしよう……これ……」


 目を丸くし、口を開けたままこちらを見てきたところで限界が来た。


「ふふ……あはははは!」


「おい笑うな! 真剣にどうしたらいいか分かんねえんだって!」


「あはは! ごめんごめん……鼻血を止めるなら、こっ、小鼻を、ブフッ……」


「だから笑うなって! てか小鼻って何!」


「小鼻はっ! はなのっ、上のほうっ! そこつまんでっ!」


「いいんだな! ここでいいんだな!」


 もう言葉を発することまでままならなくなってきたので頷いて返事を返す。言われた通り彼は小鼻をつまみ、しばらくして鼻血は止まった。


 そのまま顔を川で洗い流そうとした彼が、川の前でうずくまりだした。


「どうしたんですか! もしかしてどこか痛んで……」


「アッハハハハハ!!」


 ……心配して損をした。彼は自分の顔を見て笑っていたのだ。あれだけ私に笑うなと言ったのに。


「悪い悪い、あれは笑うわ」


「本当に、あれは傑作だった。あれを堪えるのは相当感情が希薄な人間でければ駄目だ」


 カバンの中からタオルを取り出し、彼に手渡す。彼が顔を拭いている時、敬語を使い忘れたことに気がついた。


「あっ敬語……」


「いらねえよそんなん。見た感じ歳も同じくらいだし、堅っ苦しいのは好きじゃねえ」


「そ、そうか。君はなんていう名前だ?」


「カナタ。それ以外はわからん」


「それだけ? 苗字は……?」


「わかんねえんだ。他人と名前に関する記憶が全部なくて。起きたら路地裏にいるし、服はボロボロだし……」


 どうもカナタは記憶喪失らしい。住んでいる場所が分からない上に、スマホも財布も持っていなかった。


 とても困っている様で、なんだか放っておけなかった。


「もしよかったら一度私の家に来ないか。この先のことはそこで考えよう」


「マジで!? 恩に着るぜ……」


 しかし、彼の服装はあまりに目立ちすぎる。どうやって家まで行こうか……。


「めんどくせえ。このまま突っ切る」


「ええ!? 確かに私の家まではそう遠くないが、いくらなんでもその格好は……」


「じゃあなんか対策あんのか」


「…………行こう」


 できることが何もなかった。服を売っている場所が街の中にしかない。だからどう足掻いても人に彼の姿を見られる。ここに他の人が来るのも時間の問題だ。カナタが一番恥をかかない選択肢はこれしかないのかもしれない。


「行くぞ……名前わかんねえ! お前誰だ! もうこの際どうでもいい! ついて来れるか⁉︎ 僕に!」


「私は天蒼明菜てんそうあきな! ついて来れるかじゃないさ! 君の方こそ付いて来ることだ! これでも私の50m走は、7秒を切っているぅぅぅぅぅ‼︎‼︎」 


 恥ずかしい。ただ恥ずかしい。何故私はほぼ半裸みたいな男の子と共に街を全力疾走しているのだろうか。


 ヤケクソになって足が速いことを叫んで気を紛らわそうとしても顔の熱さが消えない。なんで……なんでこんな……。


 ああ、道行く人全てがこちらを見ている……。


「ごめんなさいお爺様……人に恥じぬように生きよという教えは……守れそうにない……!」


「今そんなこと言ってる場合じゃねえ! 後ろから警察が来てるんだよ!」


 警察……ね。間違いなく追いかけられるだろうな、そんな格好していたら。


「君っ! ちょっと……待って……何あれ足速すぎ……」


「あはっ、ははははは! 追いつけるわけないだろ、私に!」


「バカ野郎! 前見ろ前!!」


「え?」


 前を向いたら電柱があった。恥ずかしすぎてテンションがおかしくなっていて、遠くなっていく警官を見つめて興に浸っていたら前を確認し忘れた。


「ぬ、ぬかった……痛い……」


「止まんな! あいつまだ諦めてねえぞ!」


「せめて……せめて君だけでも……君だけでも事情聴取を!!!!」


「いーーやーーだーー!!!!」


 転んでも止まっている暇はない。警官に捕らえられようものなら……お爺様に怒られる! それだけは、それだけは嫌だ……。


「……お……追いつけない……」


 もう一度警官を引き離し、そこで彼は諦めてしまったようだ。その辺りで私達は我が家の前に辿り着くことができた。


「ぐ……はぁ……はぁ……随分速いね、カナタ……」


「よく言うぜ……そんなデケェ胸ぶら下げといてよ……どんくらい? それ」


「大体82……えっ…………?」


 さっきまでヤケクソになりながら言葉を発していたのが災いしたのか、つられてうっかり胸の大きさを……教えてしまった……。


「ん? どうした?」


「カナタ……人には言っていいことと悪いことがある。もし記憶がなくてその分別ができないんだとしても、もう二度と女の子にこんな事、言わないでくれ……」


 私の顔を見て、カナタはひどく焦っていた。それもそうだろう。さっきよりも顔が熱い。多分カナタもそれを察している。


「わかった! 僕が悪かった……もう二度と言わん……」


「わかってくれればいい……」


「あとさ」


「ん? どうしたんだい」


「小鼻つまんだ方がいいぞ」


「えっ、本当だ。さっきぶつかった時かな……」


 なんとなく気まずくなりながら、家の中に入っていった。


 このカナタという男の子を、私はとても奇妙に思った。彼は変わっている、あまりにも。彼のあまりのデリカシーのなさには頭が痛くなる。


 あまり話したくない、そう思ってしまう。だが、それで私が彼を突き放したら、他に彼に手を差し伸べる人間は果たしているのだろうか。


 どれだけひどいことを言われようと、助けが必要な人間に手を差し伸べないのは恥ずべきことだ。


 私はこの不安を飲み込んで、今こんなことになっている彼がいつかどんな人間になるのか、そう発想を転換することにした。


「なんか……どっと疲れたぜ……眠いし、体がだるい……」


「大変だったんだな。私のベッドを使うといい。人間、休息は大事だからな」


「いいのか……ありがたく借りるとするぜ……」


 カナタを部屋に招き、ものすごい速度でベッドに潜り込んだ後、眠り込んでしまった。


 起きていた時はまるで嵐のような男だったと言うのに、眠った彼の顔はとても穏やかだった。今は、ゆっくり休んでくれ。


 ……お爺様はまだ帰ってこないのか。彼ともう一度話すのはしばらく先になりそうだ。


 *


 日が完全に沈む少し前、アキナの家が全部崩れてた。アキナは僕の隣で柱に体を貫かれて、僕自身も瓦礫で身動きが取れない。


「アキナ! おい、起きろよ! アキナ!!」


 どんだけ声を上げてもアキナは起きなくて。何が起きたかわからないうちに色んなものが壊れてて。ただ怖かった。


「ようやく……見つけましたぞ……器を……」


 身長と右手がバカデカい男が僕の前に立ってそう言ってた。瓦礫で動けない僕の首の上に、そいつは手をかざした。


「お前……なんなんだ! お前はなんなんだよ!!」


 何も言わず、そいつは俺の首を切り落とした。首が落っこちて逆さまになってく時に見えたそいつの顔は何かが叶った時みたいな、そんな喜び方をしてた。


 *


「アキナッ!!」


 息は絶え絶え、汗が滝みたいに流れ出ている。まだ首に残っている尋常じゃない痛みも忘れ、辺りにアキナを探す。


「い、一体どうしたんだカナタ。私ならここにいるぞ」


 アキナは読んでいた本を閉じ、僕に優しく答えた。返答が、返ってきた。アキナは……ここにいる……。生きてる……。


「よかった……死んでな……グッ!」


 この首の痛みは不安で忘れてたんだ。安心したらそりゃ……痛みだけが残る。


「ガッ……グ……アァアァァァ!!!!」


 たまらず首を押さえる。それでも痛みは治まらない。まるで首を切られたかの様なその痛みは、涙と涎が溢れてる事にも気づけないくらい僕を取り乱させた。


「だれかっ! たっ、だすげ……たずげで……」


 息もできないくらいの痛みの中で、柔らかい感触を感じた。アキナが僕の手を握ってくれている。


「大丈夫、大丈夫だ……落ち着いて……ほら、吸って、吐いて……」


 背中をさすり、僕に深い呼吸を促す。アキナに従ってなんとか少しずつ普段通りの呼吸を取り戻していく。


 僕が取り乱してから30分位で、痛みは消えて、呼吸も元通りだった。だが、あの絶望的なまでの痛みに対する恐怖が、全然消えない。


 情けないことに涙が全然止まらない。鼻をすすりながらただアキナを見ていた。


「アギナ……ア゙ギナ゙……!!」


 退行して縋りたい気持ちだとか、純粋にただの心配だとか、色んな気持ちがごちゃ混ぜなまま、顔を涙でグッシャグシャにしてアキナの名前を連呼していた。


「よしよし……大丈夫。怖い夢でも見たのか?」


 アキナは自分の部屋着が僕の涙で汚れる事を気にせず、僕を抱き寄せる。もう僕は何も考えられず、ただただ頷くだけのマシーンと化していた。


「どうだ、落ち着いたか……?」


 僕は頷いた。


「そうか。怖かったな……起きたら右も左も分からないなんて……怖くないわけないよな……」


「ありがどう……ごべん……おまえのふぐよごしだ……」


「気にするな。洗えばいいだけだ」


 アキナの笑顔がただただ優しくて、恐怖がなくなっていく。でも、人の前でこんな情けない姿を晒した事が情けなさすぎて、めちゃくちゃ悔しかった。


「ちょっと頭冷やしてきてえ……」


「散歩か? 私もついていこうか?」


「いや、一人がいい……」


「それじゃ鍵と、予備の服だ。私の祖父の物だが大丈夫か?」


「もちろん。ありがとよ」


 その着替えは何だったかというと……白いTシャツとジーパン。……こいつのじーちゃんどんな服着てんだよ。


 そんなどうでもいいことを考えられる位には頭もスッキリして、ドアを開けて浴びる風でさらに気分が良くなる。


 目の前に飛び込んできた夕焼けは綺麗だった。ちょうど消えそうな太陽の赤さと夜の黒が混ざってなんともいい感じの色……に……?


「ちょっと待てよ……? あの夢で僕達はいつ死んだ……?」


 夢で見た空の色と今見ている空の色が全く同じ色をしていた。思わず体が震える。


 ……何バカな事考えてんだ。あれは夢。違うんだ、夢と現実は。忘れろあんなこと。


 さっさと頭冷やさねえと……。


「ようやく見つけましたぞ……器を……」


 世界がひっくり返ったかと思った。振り返るのが怖かった。でも振り返らないと死ぬ、そんな気がしていた。


 振り返って見えたのは、静かな住宅街に一人立っている、異様に背が高い男。何かブツブツと呟いてすぐに右手が巨大化した。


「ヤベェ……ヤベェ……!!!!」


 僕はノータイムで逃げを選んだ。それは正解で、僕のいた場所が深くえぐれていた。あいつが何をしたか全く見えなかった。


「誰か! 誰か助けて!!」


 答える奴は誰もいない。たった一人の逃避行が幕を開けた。


 幸いなことにあいつは足が遅くて、あのよく見えない攻撃も腕の長さまでしか届かないらしい。


 僕の足が速いことに最大限感謝して、全力で距離を取る。なんとか、なんとかあいつをまきたい。


 今日は疲れてて、そろそろ体力も限界だ。どこか隠れる場所が欲しい……。


 どこまで走ったか分からない。もう帰り方も分からないこの場所には、暗い林があった。


 もうこの際どこだっていい。僕はここに隠れることを選び、林の中に進んでいく。その奥に、くたびれた廃屋があった。


 誰も……こんな場所に人がいるとは思わねえだろ……。決めた。ここに隠れてやる。貼られていたテープを引きちぎり、人が入るには小さすぎるその廃屋に無理やり体をねじ込んで隠れる。


「ハァ……ハァ……」


 静かすぎるこの空間で、僕の呼吸の音だけが鳴り響いていた。さっきアキナに鎮めてもらったはずのその音は確実に早くなっていく。


 助けが欲しい。帰りたい。あのバケモンの顔と腕をもう見たくない。だけど……これが正解だったのかもな……。


 あいつは僕以外狙ってこないから、僕のいないアキナの家は狙わな……。


「っ……!」


 ……失敗した。僕は焦りすぎて見落としたんだ。あいつは家の中にいる僕を家ごと殺した。


 建物の中に隠れるのは無駄なんだ。……なんでわからなかった……? バカ野郎……バカ野郎!


 どうする……? ここから出るか? また走って逃げるか……? 決めろ! 早く! 早く!


『先刻から、五月蝿いぜよ』


「ウワァァァァァ!!!!」


 低い声がした。無論僕の声ではない。僕の他に誰かいるのか? あまりにも唐突に聞こえたその声にビビり散らかしてしまい、情けない声を上げる。


『だから! 貴様先刻から五月蝿いぜよ!』


「誰なんだよお前! どこにいるんだよ!」


『ここじゃ。まあ貴様には見えんがな。俺様は今肉体を持ってないんじゃ』


 肉体がない? そんなまさかファンタジーじゃあるまいし、ありえ……るわ。あんな右手のバケモンがいるくらいだし、あり得るのかもしれない。


『全くアホらしいのう。なして貴様はこんなクソみたいな場所にやってきたんじゃ』


「……逃げてきたんだよ……殺されそうで……」


『……ああ、そういうことか。そうじゃろうな。貴様は命を狙われて当然ぜよ。貴様は器じゃからな』


 だから、さっきからなんなんだよ。器、器って。僕は皿でもグラスでもねえ。


「何だよ、器って」


『詳しい事は後ぜよ。誰か来とるぞ』


 とんでもない音が鳴った。周りのあらゆるものが薙ぎ倒されていくような、そんな音だ。言葉ときして成立するかも怪しい呟きも聞こえてくる。


 ……やっぱり、隠れるのは悪手だった。


『おいガキ、貴様は生きてえか?』


「当たり前だ! こんなところで死んでたまるかってんだボケ!」


『生存欲……貴様からいい欲望を感じるぜよ。いいじゃろう! 貴様は今日から俺様の傀儡じゃ! じゃから寄越せ! 貴様の上から下まで! 貴様を以て、俺様は此度の欲望と賭命の伝承テールズ・オブ・デザイアの勝利をこの手に掴み取ってみせるぜよ!』


 その声は急に嬉々としながら叫びだした。嬉しがってんじゃねえよ、人が大変な時に!


「お前、僕をどうしたいんだよ!」


『簡単な話じゃ。その体、貰い受けるぜよ』


 そう言われた直後、僕の頭に何かが入り込んできたような感覚がした。脳みそがあった場所に無理やり水を流しまくったみたいな、そんな感覚だ。


 その直後だ。僕は勢いよく廃屋を破り、空中で回転しながら着地した。だが僕は体を動かしてなんていない。


「ククッ、カーッカッカッカ! ようやく俺様にもツキが回ってきたぜよ! 此度のに選ばれ、封印は解かれ、都合のいい器も見つかった! あとは蹂躙するだけじゃ! 上から下まで全てな! カーッカッカッカ!!」


 こんなことを、僕は言っていない。この口調は間違いなくさっき話してたやつのものだ。本当に僕は乗っ取られたらしい。


『は!? お前返せよ、これは僕の体……』


「無理ぜよ。貴様のいる場所はもうないわ。体だけはちゃんと守ってやるから、安心して死ね」


 どれだけ呼びかけても無駄だった。僕の意思を完全に無視して、そいつは僕の体とわけのわからない力を使って、あのバケモンと戦い始めた。


 *


 いやいや、ここまで気分がいいのは久し振りぜよ。この体との相性もいいし、試してみたいぜよ。


「器……あのお方に器を……」


「もう帰るぜよ。これは俺様のもんじゃ。誰にも渡す気はないぜよ」


 ……引く気は無さそうじゃな。しょうがない、俺様の犠牲者第一号は貴様に決定じゃ、の回しモン。俺様の輝かしい軌跡の踏み台になるがいいわ。


「よーし! ほんだら俺様が貴様の目に物見せてやるぜよ! このの王、ディルバン様の力をな! 上から下まで全部俺様に寄越して死ね!」


 決まった……声の大きさ、指を指す角度、全てが完璧ぜよ。何せこの器は顔がいい。……先刻から返せ返せと五月蝿いのが玉に瑕じゃがなあ。


「私の邪魔をするか……許せん! 許せん許せん許せん許せん! わた、わたわたたじゃままああ、ゆるさんゆるるゆるさー‼︎」


「おうおう狂っとるのー。こりゃ話通じんわ。おかげでなんの躊躇いもなく殺せるぜよ」


 気狂いはなかなかのスピードで腕を横に振る。なかなか痛そうじゃが……あいにくもう奪ってもうたわい、その力。


「まるで赤子じゃ。手を捻ってみたら文字通り、『赤子の手を捻る様』ぜよ!」


 そのまま捻って気狂いの腕をもぐ。なんとも脆い腕ぜよ。攻撃性に関しては及第点でも守備に関しては赤点……。

 

「ぐぎご……あひゃははひりりりり」

 

 また生えてきおったわ。なら守備力もいらんか。めんどくせえぜよ。こいつ速度は一丁前じゃから防ぎ続けるのがだりいぜよ。


 流れる様な腕の連撃を、右手と左手で受け止める。腕が頬を通り過ぎていく時に感じるこの身を裂く様な風が不快でたまらんわ。


 守ってばかりも癪じゃ。せっかく彼奴から奪った力、使ってみなけりゃ損ぜよ。


「今度は俺様の番ぜよ!」


 そこら辺に折れて倒れていた樹木に触れる。直径がデカくて持ちづらい故、握り潰して細くしてから気狂いに向かって振り回す。


「ぎゃっ、が、ああああああああああ」


「ほらほらどうした! この程度か!」


 一発ぶっ叩くごとに細い体が辺な方向に折れ曲がっていって面白いぜよ。気狂いも負けじと腕を伸ばす。その腕に樹木を突き立て、それを軸に前に回転しながら気狂いとの距離を詰める。


 長い腕を曲げ、なんとか俺様を捉えようと足掻いたその攻撃も、俺様には移動手段にすぎんわ。腕の上に手をつき、再度前に向かって回転。その勢いで気狂いの顔に思い切り蹴りを入れた。


 相手の攻撃すら奪って俺様の攻撃の足がかりにする、力の源も俺様の力で吸い取る。徹底的に奪い、勝利する、それが俺様のやり方じゃ。気狂いも何もできずに狼狽えるしか……。


「器! うつわうつわうつつわうつつつ! あのお方にさし、さっさしすさしあげるるるるる‼︎‼︎」


 再度発狂、もう聞き飽きたわ。……盤面も整ったことじゃし、そろそろ幕間といこうかの。


 倒れていた樹木を5本、空中に投げ飛ばす。あとはもう、俺様はこいつに攻撃をしない。しかし決着は樹木が落ちてくる残り数刻ぜよ。


 気狂いは激昂しておる。攻撃が速くなったとしても、雀の涙、児戯に等しいわ。攻撃の誘導など容易いことじゃ。彼奴は俺様だけを見て、腕を何度も何度も振り回す。


 その度に樹木の位置と向きが少しずつ変わる。その上先端も削られて尖っていく。じゃが、彼奴にはそれに気づける理性はもうない。


「あうあ! あぎげががっぎくひゃららあああああ‼︎」


 これが最後の足掻き、今までで一番の密度と速度で俺様を討たんとする。誠に天晴れなり。しかし、茂る柳を槍で突いても貫けぬ様に、流水の如く舞う『柔』の俺様を『剛』しか頭にない脳髄筋肉製の貴様が捉えるなど、無理な話よ。


 その攻撃全てを躱し続け、遂には決着まで俺様に攻撃が命中することはなかった。……そして時は訪れた。


「あ……あ……あ……!」


「此処に残るは俺様の勝利のみよ! それは天上天下全てのを奪い尽くした様なり! それは不遜にも俺様に勝利せしめんとした夢の跡なり‼︎」


 俺様の降臨を祝う5本の柱は、俺様の目の前の敵を排除すべくその全てが余すことなく気狂いに突き刺さった。


「ぎゃあぎゃぎゃぎゃぐがあぎゃぁぁぁぁぁ!!!!」


 俺様を昂らせたその腕が舞う事はもう二度となかった。否、気狂いがその腕を舞わす事はなかった。


 貴様の技はたった今を以て俺様のものじゃ。下した相手の御業を我が物とする、それが『強欲』の本懐よ。喜べ、貴様の培った技は俺様として生き続ける。


 しかし……情けないものぜよ、自らの思慮の浅さでその命潰えるというのは。だがしかし案ずるでないわ。その断末魔はいい土産になったぜよ。


 これを俺様の降臨の前奏曲、且つ此度の戯れの終曲としてやるわ。次の戯れは何時になるか、暫しの幕間と洒落込むぜよ。

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