第壱話 『彼ラノ 日常』

朝5時を知らせるスマホのタイマー音とともに正義は目を覚ます。

 

 「ねむい……」

 

 体がまだ寝足りないと悲鳴を上げているのを無視して体を起こす。

 昨晩、正義は来週に迫った定期テストのために1時まで机に向かっていた。

 4時間睡眠を続けるのは体に悪いとはわかってはいるがやめることはできない。

 正義には自分を世話してくれる両親がいないから。

 朝食から洗濯、買い出し、風呂洗いまで、家事を自分でやる必要があるため部活にも入らず、塾にも行けないから独りでテストの対策をするしかない。

 高校に入って初めてのテスト勉強ということもあり、もっと勉強時間を確保したいと思っているが、テスト期間だからと言って誰かが家事をやってくれるはずもないのだ。

 今日も正義は妹と、久しぶりに仕事から帰ってきた祖父のために朝食を作っている。

 毎日毎日同じ家事をするのはなにか機械になったようで気が滅入るから何か変化を感じたいがために、毎日テレビをつけながら朝食を用意していた。


『昨日、WKOにより世界地図が更新されました。この地図では10年前に誕生したネルム半島が……』

 

 テレビだから毎日違う番組が放送されるため退屈はしない。

 正義にとって内容は別にどうでもよく、面白いと感じるときもあるし、つまらないと感じるときもあるが、翌日になったら何がそうだったかを忘れるくらいには。

 一家が暮らすようなこの大きい部屋でたった一人なのだと寂しく感じるのが嫌なのだ。

 心を殺して家事をする。

 

 調理器具を洗っていると、テレビの中のアナウンサーの言葉が正義の耳に入ってきた。

 

 『……さて、もうすぐあのクエン救済教による忌まわしい東京テロから10年が経ちます。街の景観は戻ってはいますが、国民の不安や憎悪はいまだ残っています。現在、大通りでデモを行おうとする一団の一人がインタビューに応えてくれました。あなたは……』


 東京テロ、10年前。

 その瞬間、正義のの体が10年前のあの時をはっきりと思い出す。

 体と心に刻まれた深い傷。

 .........

 .....

 ...

 視界にはがれきに挟まれ、血を流しながらぐったりとしている母。

 耳には人々の悲鳴と数々の爆発音。

 硝煙と血の混じったにおいが鼻にまとわりつく。

 口も血の味しかしない。

 自分の身体もがれきに挟まれどんどんと感覚がなくなっていく中で恐怖ももはや消え、死への準備が始まることを体が予感する。

 もはや五感も働かなくなり、どんどん意識が薄れゆく中、最後に頭の中に残ったのは、都市に響く邪悪で豪快な笑い声。

 そんな中、心から湧き出る……


 ガクッと体の力が抜け、心臓が激しく動く。


 ドクンドクン

 

「カッ、ハッ……」


(く、苦しい)

 

 正義は胸を押さえながらなんとか空気を吸い込もうとするが、口の中に煙が入ってくるように感じてうまく呼吸できない。

 背中を丸め、なんとか楽な姿勢になりたいと体を動かすが、体の気持ち悪さは止まらず、吐き気もしてくるが何とか抑えてこのフラッシュバックが消えるのを待つ。

 

 3分後、体は落ち着き、立てるようにはなったがまだ手がしびれてうまく動させない。

 壁にもたれかかり、か細い息で肺に空気を入れようと試みる。

 あの事件で負った左目の下にある傷が顔の内側までじんじんと痛み始めた。

 もう克服したと思ったのにな……と正義が考えていると声をかけられる。

 

 「正義!大丈夫か!?」


 「おじいちゃん……」


 正義の肩を握り、心配してくるのは祖父だった。

 祖父、晴宮源一郎はれみやげんいちろう

 70歳にもかかわらず職業のせいなのか、体は鍛えられ、顔もある種渋さを感じるため60前半と間違われることが多い。

 今正義と妹を世話してくれる人だ。

 学校などの書類やサインの類は全部源一郎がやっている。

 声をかけてもらったことで正義は気持ちも体も幾分と楽になった。


「うん、ちょっとトラウマを思い出して」


「そうか、まずは落ち着いて深呼吸だ」


「ありがとう。もう大丈夫」


「いや心配だ。今日は休むか?」


「来週テストだから学校には行くよ」


「……わかった。駅までは送っていこう」


「ありがと。望は?」


「今起こした。朝食はわしが並べよう。落ち着いたら来なさい」

 

 …………

 ……

 やっと動けるようになり、椅子に座って妹と祖父と一緒に朝食を食べる。


 「お兄ちゃん!さっさと食べないと電車に乗り遅れるよ!」


「ああ、ごめん」


 正義は申し訳なさそうにつぶやく。

 体は落ち着いても心の古傷はそうそうふさがらないのだ。

 未だに心臓の音は頭に響き、不安も消えない。


「もう、あの時間の電車を逃したら次の電車は超満員電車なんだから!」


「わかってるよ」


 文句を言いながら朝食を食べるのは正義の妹、晴宮望はれみやのぞみ

 中学一年生でよく言えば天真爛漫、悪く言えばわがまま。

 東京テロの時、彼女はまだ赤ん坊だったこともあり、記憶はない。

 気の向くままに暮らしている彼女にうらやましく感じつつも、正義は兄として彼女には楽しく生きてほしいと思っている。


「もー!手が止まってる!」


 ……それ以上に正義をイラっとさせる奴だが。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 望とともに急いで正義は駅のホームに続く階段を上るが、しかし電車の汽笛が聞こえ、ホームまで上りきるころには電車はすでに出発していた。

 肩を上下に動かしつつ、少しだけ悔しがる表情となる。

 

「くそ……間に合わなかったか」


「お兄ちゃんが食べるの遅いからあ」


「お前だって今日から制服の衣替えだってこと今朝気づいて出発遅らせただろ」


「むむむ……」


「今日は耐えるしかないな」


 そういって点字ブロックの前に二人は並ぶ。

 十分もしないうちに大量の人が来て、ホームはサラリーマンや学生でほとんど埋め尽くされた。

 二番線までしかない比較的小さいほうの駅だが、ここらで唯一の駅なのでたくさんの人が利用する。

 ひとつ前に乗れば、通勤ラッシュの時間帯からはぎりぎり外れるため、駅のホームも電車の中も人が多い程度で済むが、それ以降は人地獄と化すのだ。

 

 (これだからこの駅は……)


 不満を感じながら、他人との距離20㎝の混雑したホームで電車を待つ。

 それでもいつも通り。

 退屈もしないし、不満もない。

 正義にとって今の生活は一本道をずっと歩いているような感覚。

 障害も、イベントもない道をただひたすらに進む。

 

 …………その一歩一歩に疑問を感じながら。

 

 正義がスマホをいじっているとアナウンスが鳴った。


『これより、1番線に、電車が参ります。黄色い線の内側にお下がりください』

 

「またこれから箱詰めにされるんでしょ?もうやだ……」


 妹が小声で文句を言う。


「我慢しろ……お前は10分ぐらいの辛抱だろ?俺は20分なんだから……」


「む~……」


 妹の愚痴を聞き流しつつ、正義はイアホンで聞いている音楽を変えようとする。

 その時、


「グギャアアアアァァアアアアァアアアアア!!!!!!!!!」


 まるで獣のような雄たけびがホームに響き渡る。

 群衆の大半が、その声が聞こえる方に目を向けた。

 群衆の中の一人が叫ぶ。


「おい!あいつナイフ持ってるぞ!」

「うそだろ!」

「まじ!?」

「ホントだ!逃げろ!」


 急に駅のホームがパニックになった。

 人々はそのナイフを持った不審者から離れようと逃げまとう。

 

「どうしようお兄ちゃん!」


 列の一番前で、何が起こっているのかわからないでいると妹が正義の服を引っ張った。

 いつもは強気な妹も怖いときは怖いらしい。

 状況をかろうじて理解し、正義は焦りながら妹になんとか伝える。


「ま、まずはあいつから離れよう」


「うん!」


 二人が移動しようとした瞬間……


「どけ!」


 逃げているうちの一人であろう巨漢が妹の身体にぶつかり、そのまま正義の体もバランスが崩れ、後ろ、線路上へ倒れそうになる。


「やべっ!」


「お兄ちゃん!」


 目の端には電車のライト。

 もうあと0.何秒で電車とぶつかる。

 ブレーキをかけているのだろうがこのまま倒れてしまえば電車にひかれるだろう。

 

(もうだめか……)


 死ぬまでの一瞬で俺は悟った。

 恐怖も一瞬感じたがそれ以上にどうにもならない、とあきらめてしまう。

 体は反射で目を閉じ、正義は死を覚悟する。

 ………………

 …………

 ……



 

「お兄ちゃん!」

 

 妹の声が聞こえた。

 

 (死んでない?)


 正義はゆっくりと目を開けると、


 正義の身体は空中で静止していた。

 後ろを向くと見えるは電車の扉と中にいる人だかり。

 

(こ、これは……)

 

 戸惑っていると、ホームの人ごみの中から誰かが正義のもとに来る。


 「間に合ってよかった……」


 人ごみをかき分けてきたのは、駅員であった。

 駅員は正義を支えると、正義の身体が自由に動くようになる。

 駅員は正義と望に言葉を告げる。


「ちゃんと、

 

 そしてやっと正義は何が起こったのか悟った。


(ああ、この人の『権利』か……)

 

「あの、ありがと……」


 生き残ったことに安心し、お礼を言おうとすると駅員は正義と妹の腕を引っ張る。


 「今はここを離れましょう。あの不審者が気付く前に」


 正義はちらりとその男を見る。

 そこにいたのは少し小汚い服にぼさぼさの髪と髭、うめき声をあげながら手のナイフをぶんぶんと空に振り回しており、彼の眼は焦点があっていないのか、常に顔をぐらぐらと動かしていた。


 そんな奴から離れた群衆の中からナイフ男に近づく男が一人。

 後ろ姿でよくわからないが、コートと短髪と革靴の男、まるで刑事だ。

 そのコートの男は彼の目の前に立ち、口を開く。


 「おいてめえ、朝っぱらからこんなバカみてえなことやりやがって……覚悟はできてんだろうなあ?」


 「う~う~」


 不審者はまともな返事ができていない。


 「ちっ!正気はねえってわけか……仕方ねえ、拘束させてもらうぜ……」


 コートの男が手に力を込め、一歩進む。

 ナイフ男は男にやっと気づいたのか、ナイフを振り回しながら男に向かって走り始めた。


「グぎゃぎゃギャア!!!!!」


 コートの男は握った手を前に出して、腕をクロスさせ、詠唱を行う。


「対象は銃刀法違反及び傷害未遂、権利、執行≪確保チェーンジェイル!≫」


 するとナイフ男の周りに数個の黒い穴が生まれ、そこから出てきた鎖が不審者に巻き付き、不審者は動けなくなった。


 不審者は何とか抜け出そうともがくも鎖はぎっちりと彼に巻き付き離れそうにない。

 男は携帯を取り出し、電話をかける。


「朝っぱらで悪いが、稲積駅に来てくれ。ホームで刃物をぶん回す男を確保した。…………おう、頼む」


 男は通話を切って駅員に近づく。

 

「もうすぐ警察が来ます。業務を再開していただいて大丈夫です。もしけがをした人が居たら救急車を呼びますが」


「わかりました」


 そんなやり取りが聞こえた後、アナウンスとともに電車の扉が開く。

 人々は多少動揺しつつも、また日常に戻っていった。

 そして正義たちも。

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