スネークハント -華麗なるハッキング-
浅里絋太
第1話
渋谷のある商業ビルの一階に、そのカフェがあった。
カフェにはランチをすませた会社員らしき人々がひしめいている。
そんな中に異彩をはなつ青年がいた。黒いジャケットにグレーのパンツ。黒髪の下には鋭い眼差し。
彼の名は、
ノマドワーカー風にPCを操作している様子だが、ときおり周囲へ向ける視線は鋭い。それに、常に張り詰めた緊張感が体にみなぎっている。――さながら、岩陰に潜んだ蛇が獲物を待ち受けているかのようだ。
玲司のとなりの席には、チェックのシャツと茶色のチノパンに、眼鏡をかけた青年がいた。――いかにもなエンジニア風の青年だ。
そのとき、青年の反対側から、白いブラウスを着た会社員風の女性が近づいてきた。青年はその女性を目で追っているようだった。
ふいに女性はよろめいて、青年のほうに倒れこみそうになった。青年は腰を上げて、
「あ、大丈夫ですか?」
すると女性は、
「すいません。ちょっと、靴が慣れなくて……」
そこで玲司は左手をのばして、青年のチノパンの右ポケットに近づけた。
玲司の手の中には、小型のICカードリーダーがあった。ケーブルはジャケットの裾から、内ポケット内のデバイスにつながっていた。
青年が、いつも右のポケットに社員証を入れていることは、調査済みだった。
玲司は胸に、偽造した真新しい社員証を着けて、煌びやかなビルのエントランスを闊歩していた。慣れないビジカジ風のシャツを窮屈に感じながら。
そこは、クロカベ・ユニバーサル・システム――通称KUSのエレベーターにつながる、セキュリティゲートだ。
紺色の制服に身を包んだ屈強な警備員が三人、ゲートの周りに立っていた。
もし捕まったら、仔猫のように吊るされ、瞬時に警察に突き出されるかもしれない。
しかし、玲司は口元を恐怖に引きつらせることはなく、むしろ冷笑すら浮かべ、背を伸ばして颯爽と歩いていた。
玲司は右手を延ばすと、胸ポケットに付いた社員証を取り外し、ゲートのセンサーにかざす。
ポーン、という電子音とともに金属製のアームが、歓迎するように跳ね上がる。
そのまま玲司はエレベーターに向かって歩きながら、内心でシミュレーションをしていた。KUS――この巨大IT企業へ、ここからどのように侵入するか。どうやって情報システムを乗っ取るか。
そうだ。あらゆる情報を抜き取ってやる。そのためには、どんなことでもする。姉の手がかりを得るためなら。
玲司はエレベーターの前で小さく呟く。
(狩ってやるぜ……。蛇のように、狡猾に……)
きっかけは二週間前の、五月下旬にさかのぼる。
玲司は新宿のあるバーのカウンター席にいた。
店内にはブルース寄りのジャズがかかり、ウッドベースの音の粒が響いていた。
玲司はジンライムが入ったカクテルグラスを置いて、となりの席の女性――
玲司は『イージスセキュリティ』という会社に所属するセキュリティエンジニアであり、河野はその先輩だった。玲司は言った。
「姉さんからは、なにも、連絡はないの?」
河野はウイスキーをロックで飲んでいた。グラスへ口をつけてから、
「ない。それに……」
「それに?」
「玲司くんて、なんでわたしにタメ口なの? いつも言ってるけどさ。わたし、先輩だし年上なんだけど。チームが違うから、最近あまり接点ないけどさ。前から思ってたんだよね」
玲司はため息まじりに、
「すみませんね。河野さん。つい、ね……」
「もう、ついって、なによ。たしかにきみ、天才的なホワイトハッカーだ、とか言われて、ちやほやされてるけどさ。だいたいねえ……」
河野はそこでため息をついて、
「はあ、まあいいや。それでお姉さん――柑奈ね。……それが、確かに連絡がつかないの。ていうか、わたしにも、旅行に行く、ってメッセージがきて。――連絡がとれなくなって。柑奈って、大学のときから、ちょっと変わったところがあったけど……。でも、弟である玲司くんすら、なにも知らないなんて……」
「ああ。わからない……。姉さんの部屋にも行ったし、大家のところにも行ったけど、帰ってきてもいないんだ」
――玲司はしばらく前に、姉の柑奈からこんなメッセージを受け取っていた。
『しばらく旅行に行きます。通信の関係とかで連絡が取りづらいけど、気にしないで』
玲司の会社の先輩で、柑奈の大学の同期でもある河野那美も、このメッセージを受けとったきり、同じ状況だというのだ。
柑奈は、KUSという会社で、社長の秘書をしていた。KUSは、企業向けに会計や経理に関するクラウドサービスを提供する会社だ。
玲司はふと、先日に姉と電話をしたときのことを思い返した。そういえば、あのときも様子がおかしかった。
電話の内容は、父の法事のことだった。
「……わかったよ。三回忌は、俺が行っとくよ。姉さんは、忙しいだろうしさ」
電話の向こうで、柑奈の声がした。
「うん。ごめんね、ありがと」
「そういえば、もう、二年目だっけ。いまの会社」
「え、そうね……」
「慣れてきた? 秘書だっけ。秘書って、社長からセクハラとか受けないの?」
「バカね。そんなの、いまどきコンプラで大問題になるから」
「ふーん。結構厳しいんだ」
「そうよ。上場しているし。企業イメージも重要だからね」
「そっか。そんなしっかりしたところなら、安心だ。悪くないね。よかった」
「……うん。そうね」
そのとき、玲司は違和感を覚えた。
「なにかあった?」
「え、いえ。べつに……」
「姉さん。もしさ」
「なに?」
「なにか、わけわかんないことに巻きこまれたり、困ったことがあったら、言ってよ。そういうときは、俺が……」
すると柑奈は突然笑いだした。
「ふふッ。なんだか、父さんみたいね。探偵なのに、刑事気取りで。そんなこと、いつも言ってた。玲司もさ、憧れるのもいいけど、堅実に働きなさいよ。もう、時代が違うんだから」
「ああ。わかってるよ。でも、ほんとに、なにかあったら教えてくれよ、姉さん……」
そうして電話を切ると、玲司は心の中で、父親がいつも言っていた言葉を反芻する。
『俺はヤクザな生業をしてるからな。なにかあったら、お前が母さんや、姉さんを、護るんだぞ。玲司……』
そんなバトンを渡して、父親は逝ってしまった。仕事で関わった、チンケな男に逆恨みされて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます