月光国国家図書館所蔵ー月光国歴史書より一部抜粋・原文ママ
・少年と帝国の転換
この記録は、一人の少年がアスパー・ギド帝国の行く末を劇的に変えた歴史的事象を述べるものである。長きにわたり、同帝国は専制君主の下、恐怖政治が蔓延する国家であった。
帝王の強権的支配のもと、民衆は隷属と搾取に喘ぎ、その生活は過酷極まりないものと化していた。反旗を翻す者は悉く粛清され、民衆は沈黙を強いられるのみであった。こうした停滞と絶望の只中に、突如として現れた一少年が、歴史の歯車を回すきっかけを作ったのである。少年の出自について、誰も知らない上に本人が沈黙しており、いまだに謎が多い。その人物は、元はある種の放浪者であったとする説が有力視されている。
また、彼は平和と繁栄を誇る隣国にて、皇帝夫妻と親交を深め、その厚遇により王宮の一室を下賜されるという特異な立場にあった。この状況は宮廷内でも注目を集め、一介の少年がそのような優遇を受けることに対して、驚きや疑念の声が少なからず囁かれていたことが記されている。
一部から入ってきた情報を加えておくと、少年の特徴について「背が小さい」「成長期の子供」と語られていたようだ。背の高い男性が好まれる傾向が根強くある中、小柄で好感の高い男は目立ったのだと思われる。
歳若く見える男は、少年ではなく、見た目に反して相当な年齢を重ねているらしく成長期にはない。少々失礼な話ではあるが、背は伸びないだろう。当の本人は小柄であることを全く気に留めていないようだ。
※ここでは今後も便宜上、少年と記しておく。
少年はその卓越した魔法の才覚と、誰に対しても分け隔てのない態度をもって、急速に人心を掌握していった。彼は「魔法屋」を自称し、城内外にて人々の多種多様な願いをかなえる存在として知られだす。卓越した技量を持つ彼の存在は、帝国中の一般民衆から寄せられる信頼は計り知れなかったと伝えられている。
一部、被人道的な手法で提供されていた性を買う者たちは、ここを訪れることがあったそうだが、荒廃したその国を訪れる普通の旅行者が存在するとは考えにくい。この頃の帝国は、行方不明事件が多発する不穏な土地として広く認知され、恐れられていた場所であったからだ。
にもかかわらず、少年が帝国を訪れた理由について、後世の史家たちはその行動を純粋な探究心によるものと解釈している。行方不明事件の背後に潜む真実を解き明かさんとする意志が、彼を動かしたのだろう。だが、彼が目にした帝国の実態は、噂以上の荒廃と陰鬱に満ちていた。市場は空虚に等しく、街の住人は衰弱し、廃墟と化した街並みは生気を失っていた。
その後、少年は帝国の街中にて、衝撃的な光景に出くわすことになる。それは、武装した兵士たちが、若い母子を強制的に連行しようとする場面であった。周囲の群衆は、その暴虐に恐怖しながらも、何一つ行動を起こすことができなかった。熊に素手と裸で挑める者がいないように、強大な力をもつ帝国の兵士に臨める者がいないのを誰が責められるのだろう。だが、そのとき少年は突如として現れ、軍の指揮官が振るった雷光を帯びる鞭を難なく受け止め、母子を庇うという驚嘆すべき行動に出たのである。
この一挙により、帝国の支配構造は徐々に揺らぎ始めた。少年の登場は、長らく停滞していた歴史の流れに新たな局面をもたらした。やがてアスパー・ギド帝国はその名を改め、『月光』の国として再編されるに至る。その中心には王として君臨する少年の姿があった。
少年の行動が歴史に刻んだ深い軌跡は、後代の人々に語り継がれることとなるだろう。その変革が及ぼした政治的・社会的影響については、今後も研究と観察が求められる。
影の境界線 ショートショートであの世この世な異世界話 九条飄人 @singetumaru
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