書き続けるという選択

星咲 紗和(ほしざき さわ)

本編

ほんの少し前まで、私はSNSというものを完全に否定していた。

どれだけ頑張っても心無い言葉にさらされるだけの場所。自分の居場所を脅かすような批判や、無関心の中に放り込まれるような孤独――そんなイメージを抱いていたからだ。


私はそれを怖れていた。何かを伝える手段としてSNSを使う人々のことも、どこかで「意味があるのだろうか」と冷めた目で見ていた。それならば、自分の世界に閉じこもって、静かに書き続けているほうがいい。自分のためだけに、自分が納得できる文章を書けばいい。そう考えていたのだ。


けれど、いつの間にか私は変わり始めていた。

あるとき、ふとしたきっかけで、SNS上で誰かの発信に触れることがあった。そこにあったのは、決して派手でも大きなものでもない、ただの小さな努力の声。それは目立つものではなく、多くの人に見過ごされるようなものだったかもしれない。けれど、私はその言葉に心を動かされた。誰にも気づかれなくても、誰かに届くと信じて努力し続ける姿が、そこにあった。


それから私は、少しずつSNSに対する考え方を変えていった。

もちろん、心無い声がないわけではない。それどころか、傷つけられるような言葉を目にすることも少なくない。けれど、その一方で、ちゃんと頑張っている人たちの声もある。その声は埋もれがちかもしれないけれど、確実に存在している。私はその事実に気づいたとき、「発信」という行為に少しだけ前向きな気持ちを持てるようになった。


私が何を発信するのかと問われれば、それは「書くこと」だ。

言葉を使って自分の内面を形にし、誰かと繋がる。文章は私にとって、自分自身を理解するための道具であり、他者に自分を知ってもらうための手段でもある。


書くことは簡単ではない。

特に、私にとっては。統合失調症、パーソナリティ障害、うつ病、ASD――そうした複数の障害や状態を抱えながら生きる私は、日々心が揺れる。ある日は何かを成し遂げられる気がしても、別の日には何もかもが遠く感じる。そんな中で、自分の気持ちを整理し、言葉にすることは大きな挑戦だ。けれど、それが私にとっての「生きる」という行為そのものになっている。


SNSでの発信を始めてから、私は少しずつ変わりつつある。

自分の中にある恐れや偏見が薄れ、「誰かに届けたい」という気持ちが育ってきた。以前の私は「自分だけが孤独だ」と思っていたけれど、発信を通じて、同じように悩みながらも前に進もうとしている人々の存在に気づくことができた。それは私にとって大きな励ましだった。


でも、私は完璧ではないし、それを目指してもいない。

むしろ、不完全であることこそが私の持ち味だと思う。不完全な私が紡ぐ言葉が、どこかで誰かの心に届けば、それでいい。その人にとっての何かのきっかけになれたら、それ以上の喜びはない。


SNSは、思いがけず私に新しい道を見せてくれた場所だ。

ただ、それは道具に過ぎない。大切なのは、その道具をどう使うか、そしてその先に何を見据えるかだ。私の場合、それは「書くこと」だ。文章を通じて、自分の心を整理し、他者と繋がり、そして新しい景色を見る。それが、私が選んだ道だ。


これからも、私は書き続ける。

心が揺れる日々の中で、言葉を紡ぎ出す。それは、自分と向き合う行為であり、他者と繋がるための試みだ。完成形は見えないけれど、その過程にこそ意味があると信じている。


たとえ小さな声でも、誰かの心に届くと信じて。

私にできるのは、それを繰り返すことだけだ。

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書き続けるという選択 星咲 紗和(ほしざき さわ) @bosanezaki92

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