第4話 天才(ジーニアス) その2


 志奈村家の豪邸が在る、郡山市郊外から、南西の方角に車で約三十分。


 工業地帯の片隅、木々に囲まれた倉庫の前に、黒塗りの【ロールス・ロイス・ファントム】が停車する。


 後部座席が開いて、降りて来たのは、真知恵だ。



「ありがとう八代さん、助かったわ」



 真知恵が礼をすると、紳士然とした初老の男性……志奈村家の御抱え運転手はニコリと笑った。



「真知恵御嬢様、用事がお済みましたら御連絡下さいませ。近くで時間を潰して参ります」

「ありがとう、でもその必要は無いわ。帰りは自分の車で戻りますから、八代さんはお戻りください」

「ではガレージの整理をしておきましょう。御嬢様の新型マシン……この八代楽しみに御待ちしております……」

「ええ……宜しく」




 ロールス・ロイスが走り去るのを見送ると、真知恵は颯爽と、倉庫に向かって歩く。


 ドアの電子錠に暗証番号を打ち込み、解錠。


 真知恵は、静かにドアを開ける――



「待ってたぞ」



 倉庫内の、薄暗い広大な……壁に沿って車両整備用のハンガーが並ぶ空間……その中央に、長身筋肉質の青年が立っていた。


 彼の背後には、保護シートが被せられた、車のシルエットが在った。



「手間かけさせてごめんなさいね、耕一」

「いや、貴重な経験だった。取り敢えずチェックしてくれ」



 苦笑する真知恵に、青年は……【松原まつばら 耕一こういち】は、ややぶっきらぼうに応えながら、



「これがお前の……俺たち【ナイト・ミラージュ】の、新たな旗印フラグシップマシンだ……!」



 一気に、シートを引き払った。



「……!」



 瞬間、車体を染める鮮やかな紅が……イタリア発祥のロッソコルサが真知恵の視界を支配した。


 流れるような、美麗かつ獰猛なフォルム。


 他者を威嚇するような、鋭いコの字型ヘッドライト。


 そして、ボンネット先端に輝く、跳ね馬カヴァリーノ・ランパンテのエンブレム。



【フェラーリ SF90 ストラダーレ】



「基本設定は、お前が去年まで乗っていた【ラ・フェラーリ】をベースにしてある」

「ありがとう、細かな調整とECUの書き換えは私が自分でやるわ……」

「ああ……いつも通りな」



 真知恵は、その細い指で、新たな愛車ストラダーレのボンネットを愛おしげに撫でた。


 冷たい鉄の感触。しかしその奥底に、総出力一◯◯◯馬力を誇る、熱い息吹を感じる……。



「……耕一、今日の予選は観た?」

「あ?ああ……さっき、YouTubeで観たが……」

「……あのNSX、どう思う?」

「NSX?ああ居たな……。確かツキミナントカとか言う新人の……。新人にしては中々攻めた走りをしていたな。ドライビングレベルはしのぶと同等あたりだろう……」



 耕一は、真知恵をじっと見て――



「……のお前が気にかける程のセンスじゃないと思うが……?」

「さあ……それはどうかしら……?」



 真知恵は、耕一にニヤリと笑って見せる。


 確かに耕一の言う通りだ……と、真知恵は思う。


 あの程度の運転……攻略法は幾らでも思い付く。


 しかし……。


 何故だろうか……?


 真知恵は、あのNSXに……あの少女に魅せられて仕方がないのだ。


 背筋が、ゾクゾクする……!



「久しぶりに見たかも。あんなに飛ぶように……楽しそうに走る子。ああいう無邪気な子が、いきなり狂戦士に化けたりするのよ……?ブリッツ・ヴァルキリーは……」



 すると、真知恵はおもむろにスマートフォンを取り出し、ストラダーレを撫でながら、何処かへと通話を開始する。



「……もしもし、志奈村 真知恵です。先程の件ですが……喜んで走らせて貰います。返事が遅れてすみません。マシンの出来を見てから返事したかったので。ええ、こちらこそ……」



 数分、通話を交わして……。



「では……明後日、宜しくお願いします」



 真知恵は、スマートフォンをデニムのポケットに閉まった。


 耕一は真知恵に問いてみた。



「誰だ?」

「運営本部よ。トイボックスここへ向かう途中に連絡があったの。明日、視聴者サプライズのデモンストレーションで、走ってみないかって」

「デモンストレーション……?」

「明後日の予選タイムアタック、空きが出来たのよ。参加ヴァルキリーが一人、自前のマシンで会場に向かう途中に事故ったみたい。命に別状は無いけれど、右足骨折で棄権ですって」



「気の毒に……」と、耕一は身震いをした。耕一も走り屋だ。油断すれば、明日は我が身だ。



「でも良いのか真知恵?折角の予選免除のシードを得たのに」

「シード……ねぇ?」



 途端、真知恵の声色は無邪気になって、くつくつ笑い出す。



「耕一……私は生粋のヴァルキリーのつもり。道路を走ってこそナンボ。たかが2回したくらいでタイムアタックもさせてくれないなんて、しょうじき言って良い迷惑だわ」



 ストラダーレに身を委ね、耕一を見る真知恵の顔は、まるで遠足を前にした小学生の様に、キラキラと輝いていた。



「私の走り……あの子の参考になれば良いのだけれど……月美 紗々……」




 ※※※※





 志奈村 真知恵。年齢、二十一歳。


 東北医科大学に在籍。成績は極めて優秀。


 志奈村総合病院の院長を父に持つ。


 家族構成は父、妹のしのぶ。


 郡山市周辺をホームコースとする、総構成員三十名余りのストリートレーシングチーム【ナイトミラージュ】のチームリーダー。


 第十七回、第十八回ブリッツ・ヴァルキリー、総合優勝。


 ヴァルキリーファンは、真知恵をこう呼んでいる。





【公道上の天才ジーニアス





 続く

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ブリッツ・ヴァルキリー 乙女たちの最速神話 比良坂 @toki-315

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