37. 慟哭

 わたしたちは屋敷を出て、塔に向かって歩く。


 入るときと違って、出るときは、まるで障害はなかった。誰もがわたしたちが通る道を作るように、前を開けた。


 わたしたちに姿を見せるのも嫌だというのか、近くの部屋に閉じこもっていた人もいたようだ。


「あいつきっと、魅了されたんだよ」

「長い間、側にいたから」


 などと、その部屋の中から聞こえてきたりもした。扉を閉めているから大丈夫と思ったのだろうか。興奮気味に喋っているから丸聞こえだ。詰めが甘い。


 それにしても、魔女ならば他人の心を操ることも可能だというのだろうか。そんなことができれば、『黒き魔女』も苦労はしなかっただろうと思うのだが。

 いや、『封印の塔』の結界は、心理的にも利くのだったっけ。それなら魅了もやろうと思えばできるのかも。

 とにかくこれで、ますますわたしの側に来る人間はいなくなりそうだ。


「わたしに魅了されたんですって?」


 道すがら、揶揄おうと笑いながら話しかけると、カレルは横を歩きながら、深く頷いた。


「ああ、誰か言ってましたね。でも間違ってはいません。魔法で魅了されたか、普通に魅了されたかの違いはあるかもしれませんが。だから否定するほどのものでもないです」


 サラッとそう返してくるので、ボッと頰が熱くなった。

 どうして平然とそんなことが言えるのか。

 なんとなく照れてしまって、赤くなった顔を見られないようにと、一歩、後ろに下がった。


「そ、それと」


 なるべく平常心を装い、声が裏返らないように気を付けながら、話を変える。


「弟子だなんて言い出すから、びっくりしたわ」

「弟子なので」

「だって『黒き魔女』の弟子の末裔って知られたら、危ないって話じゃないの」

「でも、お嬢さまの弟子なので。あの場で噓をつきたくなかったんです」

「そう……」


 落ち着いた声だ。でも、あんなに警戒して生きてきたのだから、生半可な覚悟ではなかっただろうと思う。


「とはいえ、少々心配でもあったので、庇っていただけてよかったです。ありがとうございます」


 歩きながら、ぺこりと頭を下げる。


「べ……別に、それくらい。わたしも、庇ってもらえて嬉しかったわ」

「お役に立てたのならよかったです」


 もしカレルがいなかったら、わたしは今も罪悪感に苛まれていたような気がする。


 わたしは悪いことなんてしていないのに。

『聡い子』であろうとしただけなのに。

 なのに黒髪と赤い瞳であることで、あそこまで恐れられていた。


 家族四人で過ごすヘイグ公爵家は、なんと完璧だったのだろう。

 わたしという異物があそこに紛れ込むだけで、穏やかな団らんはぶち壊された。


 ふいに、涙が一筋、頰を伝った。


 よかった、カレルの後ろにいて、と思う。

 慰められたら、きっと止まらなくなってしまう。


 わたしは、見つからないようにと声を殺して、涙が流れるに任せていたが、どうしても我慢できなくて小さく嗚咽が漏れてきた。


「う……ひっ……うー……」


 カレルは気付いているのかいないのか、こちらには振り向かない。


「ううー……」


 ぼろぼろと目から涙が溢れ出て、ぱたぱたと落ちていく。


 雨が降らないかしら、とそんなことを思った。そうしたらごまかせるのに。空は曇り空ではあったが、そう都合よく降り出してはくれないようだ。


 一度流れ出したものは止まらない。袖で何度も何度も涙を拭っても、また新しく流れ出る。


「カレル……」


 呼びかけると、彼は振り向かず、足をピタリと止めた。わたしも合わせて歩みを止める。


「はい、お嬢さま」


 彼は前を向いたまま、抑揚のない返事を返してきた。これは泣いていることに気付いていたのだろう。

 わかっていてくれたことに、恥ずかしさと喜びと、ほんの少しの甘えた気持ちがないまぜになって、わけがわからなくなってくる。


「あのね、カレル……」

「はい」


 もうこれはどうしようもない。吐き出さなければ、わたしは壊れる。


「いなくなっちゃったの……」


 カレルはわたしの言葉に、わずかに俯いた。


「いなくなっちゃった。わたしの家族、いなくなっちゃったあ!」


 そしてわんわんと声を上げて泣いた。


 するとわたしの泣き声に同調するかのように、頰に水滴が落ちた。今さらながらに雨が降り出したのだ。

 雨脚は次第に強くなっていく。

 だからわたしは気にせず泣き声を上げ続けた。


 いなくなった。

 なぜなら、わたしから切り捨てたからだ。


 だから悲しくなんてない。泣くことなんてない。

 捨てられたのは、むしろあちらだ。

 それに元々、いないも同然だったではないか。いなくなったところで、大して変わりはしない。

 なかったものを、なくなったと悲しむ必要などどこにもない。


 そう必死で自分に言い聞かせても、わたしの慟哭はいつまでもあたりに響き続ける。


「お嬢さま」


 カレルは迷いを吹っ切るように振り返って駆け寄ってきて、そしてわたしの身体を引き寄せる。左手を頭の後ろに回し、その胸に押し付けるようにすると、右手を腰に回してぎゅっと抱き締めてきた。痛いほどに。


 わたしも彼の背中に手を回して、力を込めて抱き返す。

 わたしを離さないで、と願いを込めて。


「お嬢さまはなにも悪くありません。お嬢さまのせいじゃありません。あの人たちが弱すぎた、それだけです」

「なんでわたし、魔女なのお!」

「大丈夫、大丈夫です、お嬢さま。知っています。お嬢さまはいたって普通の、ちょっと魔法が使えるだけの、か弱い女の子なんだって、知っています」

「一人になっちゃったよお!」

「お嬢さま、僕がいます。ずっとお側におります。八つ当たりでもなんでも、ちゃんと受け止めますから、大丈夫です」


 わたしの叫びにいちいち答えて、大丈夫だと何度も何度も慰めてくれる。


 泣きたいときに、人肌のぬくもりがあって、本当にわたしは救われたのだろうか。

 少なくとも、一人で泣くよりは、ずっといい。


 カレルが傍にいてくれてよかった。

 それはきっと、わたしにもたらされた奇跡。


 それからしばらく雨は、わたしたちの姿を隠すように降り続いた。

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