36. さようなら

 わたしのあの、椅子の喩え話は、間違っていなかったということか。

 毎日のように『危ない』と言われ続け、いつの間にか、本当に『危ない』と思うようになった。

 そして、わたしを忘れることを選択したのだ。人は、危険からは遠ざかるものだ。


「へえ……」


 わたしの口からは乾いた声が出てきた。

 侮辱されたと感じたのか、お父さまは声量を上げて荒く返してくる。


「だからせめて、何不自由ないようにと、環境は整えたはずだ!」


 それはその通りだ。でも、だからといって、感謝を口にする気にはどうしてもなれなかった。


「不自由ない……ですか。確かに、なんでも支給されましたし、衣食住に不便はありませんでしたものね」

「あ、いや、もちろん……一人で過ごすのは、辛かっただろうが……」


 皮肉だとわかったのだろう、語尾が小さくなっていく。


「そ、それに……塔を訪れた者たちにその後、よくないことが続いたのだ」

「よくないこと?」


 お父さまが語り始めた話に、わたしは耳を傾ける。

 あの塔を囲っていた結界が、なにか影響を与えたのだろうか。カレル曰く、『悪質な魔法陣』ということだから、ないとは言い切れない。


「ツェツィーのお母さまは、生死の境をさまよった」

「えっ」

「長男を出産したとき、出血が酷くて母子ともに助からないかもしれないと」


 そういえば、『お母さまは、出産をしてから体調を崩してしまって』とお父さまが言っていた。


「それが始まりだった」

「……まだ、なにか?」

「塔に行った人間が、バタバタと熱を出したり倒れたりしていった」


 使用人たちが塔に来るのを恐れたのは、それが原因なのだろう。


「そこまでいかなくとも、悪夢にうなされる者が続出した。ここでは碌に眠ることもできないと心を病んで、辞める者もたくさんいた」


『心理的にも利く結界』が、もしそんなふうに影響を与えたのなら。


 でもそうだとしても、当然わたしのせいでもなければ、『黒き魔女』のせいでもない。

 仕掛けたのは、『白き魔女』なのに。


 なのになぜ、わたしの胸には罪悪感が湧いてくるのだろう。


「それは今も続いているんですか」


 わたしがそう問うと、お父さまはゆるく首を横に振った。


「今は……落ち着いている」


 誰も塔に行かなくなったから。


「それはよかったです」


 心の中で、ほっと胸を撫で下ろす。

 今もお母さまも弟妹たちも生きている。その事実を頭の中で確認して、なんとか罪悪感を払いのけた。


 どこまでも平淡な声で、わたしは続ける。


「とにかく、どうして娘をお見捨てになったのかは、納得しました」

「見捨て……いや、そうだな……」


 お父さまはそう呟いて、うなだれた。

 自分のしたことを認めてくれたことは、よかったと思う。わずかながらでも、わたしの孤独と受けた屈辱を感じ取ってくれたのなら。


 だからといって、許せるものでもないけれど。


 これで、聞きたかったことは聞けた。

 もう納得するしかない。そんなことが起きていただなんて、塔にいたわたしは知らなかったが、誰も近寄らなくなった理由はわかった。


 それなら仕方ない。『白き魔女』の結界が、あまりにも強力だったということだ。


 だがそのとき。

 ふいに背後から声が上がった。


「僕は納得できません」


 慌てて振り返ると、カレルが眉を顰めてお父さまを睨みつけていた。


「なんだね、君は黙って……」


 高圧的に制そうとするお父さまの言葉を、カレルはひったくって喋りだした。


「黙って聞いていれば、言い訳ばかりではないですか。しかも、どれもこれも、お嬢さまのせいではない。愚かにも程がある」


 その侮蔑する発言に苛立ちを覚えたようで、お父さまは身を乗り出して反論しようとする。


「なんだと? しかし、実際に……」

「貴族の方々にはわかりませんか? だから愚かだというんです」


 背筋を伸ばしてきっぱりと言い切るカレルに唖然としたのか、お父さまの口は止まった。

 これ幸いとばかりに、カレルはどんどんと話し出す。


「バタバタと病に倒れたとは仰いますが、そんな流行り病、下町では珍しいことではありません。風邪程度の流行なら、毎年あることです。それがたまたま、この屋敷で蔓延したと考えるほうが自然です。どうして魔法のせいだと思ったんですか」


 カレルの口は止まらない。そして誰も、止めはしなかった。


「悪夢なんて、誰でも見ます。誰かがそれを言い出せば、頭に残って、似た悪夢を見ることもあるでしょう。本を子どもに読み聞かせするだけで、みんな同時に同じような夢を見たりするんです。ましてやこの屋敷は、皆が『封印の塔』に接して過ごしている。『黒き魔女』を恐れる人間にとっては、悪夢を見やすい環境とも言えます」


 わたしはソファに座って振り返ったまま、カレルを見上げて目を瞬かせて、彼が語る言葉をただ聞くしかできなかった。


「そして出産は、いつだって命がけです。貴族の人たちは、常に無事に出産を終えているんですか? そんなことはないと思います。周りの人に訊いてみればいいですよ。出産での死産や流産、母体が亡くなったという不幸が、身近でなかったか。確かにこの上なく悲しいことではありますが、どんなに気を付けていたって、どうしても起きてしまうことなんです」


 どれもこれも、憶測だ。もしかしたら結界の影響が本当にあったのかもしれないのに。

 でもわたしには、彼が語ることのほうが真実に思えた。


 そして。救われた、と感じた。


「要は、あなた方は、嫌なことが起きたら全部お嬢さまのせいにしておけば楽だったから、そうしただけの話です。押し付けたんですよ、すべての不幸をお嬢さまに」


 そこまで言い切ると、カレルはフッと息を吐いた。


 そして、部屋に静寂が訪れる。

 お父さまもお母さまも、目を伏せたままだ。


 カレルはわたしのほうに身を乗り出して、口を開いた。


「お嬢さま、なにも遠慮することはありません。言ってやればいいんですよ」


 憤慨したようにそう話しかけてくるが、わたしは首を横に振った。


「もういいわ、カレル」

「でも」


 わたしは前に向き直って、二人に問いかける。


「つまり、お父さまもお母さまも、わたしが皆の不幸を願う人間だと、そう思ったのでしょう?」


 その問いに、二人は身を引いて、ますます俯いた。


 確かにわたしは『黒き魔女の魂のカケラ』を身の内に持っていた。実際に、魔法だって使える。


 でも決して、誰かの不幸を望んだりしない。

 今だって、それでも両親の不幸は望んでいない。


 残念ながら、幸せも望みはしないけれど。


 わたしはソファから立ち上がり、カレルに告げた。


「聞きたいことは聞けたわ。塔に帰りましょう」

「……はい、お嬢さま」


 不承不承といった感じで、カレルはそう答える。

 わたしは扉に向かって歩き出し、黙ったままの彼らに背を向ける。


「ああ、そうそう」


 しかしわたしはそこで足を止め、首を軽く動かして、横目で公爵夫妻を見やる。


「わたし、今の塔の使用人たちを気に入っているの。勝手に辞めさせたり、配置換えをしたりしないでくださいね?」

「あ、ああ。わかった」


 お父さまが了承したのを聞き届けて、わたしはまた歩き始める。

 だがそこで、わたしを呼び止める声がした。


「ツェ……ツェツィー」


 八年ぶりに聞く声。

 振り返ってみると、お母さまが立ち上がって、わたしのほうに手を伸ばしていた。

 なにか言おうと、口を閉じたり開いたりしていたが、なにも出てくる言葉はなかったようで、しばらくして目を伏せた。


「なにか?」

「……いえ、なんでもないわ。呼び止めて、ごめんなさい」


 それでいい。懺悔の言葉など、今さら聞きたくない。謝罪すればお母さまの気持ちは少し軽くなるかもしれないが、この八年間がなくなるものでもない。

 お母さまが沈黙を選択したことに感謝する。許さなければならなくなるのは、嫌だった。


 わたしは二人の顔をそれぞれ見たあと、片方の口の端を上げる。


「さようなら、ヘイグ公爵夫妻」


 幼い頃は、確かに愛されていた。でも今は、なにをどうしたって、取り返せなくなってしまっている。どうしようもない。


 さようなら。

 もう会うこともないだろう、わたしの両親。


 わたしは今度こそ歩き出し、部屋を出る。

 わたしの後ろで、カレルは静かに扉を閉めた。

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