32. 発現
わたしはズンズンと歩いて塔に帰り、さっそく、今まで練習してきた魔法陣が描かれた紙の束を手に取った。
バサッと一階のテーブルの上に広げ、そのうちの一枚を取り出す。
「お嬢さま?」
訳もわからずわたしのあとを追ってきたカレルは、首を傾げながらも、ひとまず見守ることにしたらしい。傍で静かに立っている。
「上手くいきませんでしたか?」
外で魔法陣を試そうとしていたのを知っていたヤナは、落ち着いた様子で歩み寄ってきた。
口調からして、そんなに簡単に魔法を使えるとは思っていなかったらしい。
「ヤナ、待っててね」
「え?」
わたしが声を掛けると、ヤナは意味がわからなかったのか、小首を傾げている。
「火魔法を使うから」
「え、はい」
「あったら便利だって言ってたでしょ」
「そうですね」
とにかく同意しておこうと思ったのだろう。彼女は首を縦に動かした。
わたしはその一枚の魔法陣をテーブルの中央に置いて、他のものは束ねて端に寄せる。
これは、練習で描いた火の魔法陣だ。基本中の基本だと、カレルが教えてくれた。
二重の円の中に、五芒星。正三角形を五芒星の先端と先端の間にひとつずつ描き、計五つ、中心に向かって配置。
二重の円と円の間には、古代ファラクラレ語で火の呪文が書いてある。
『聖なる力を持つ精霊よ、我が呼ばわるときに聞き給え。我が祈りに応え、炎の加護を我に与えよ』
それから星の頂点を上にして、東に向けた。
基本中の基本。最も簡潔な魔法陣。つまりこの魔法陣は、これで間違いないのだ。曖昧な箇所はひとつもない。
魔法が発現しないのは、魔法陣のせいなのか、魔力が使えないせいなのかを迷う必要がない。発現しなければ、わたしが魔力を使えなかっただけと確定する。
わたしは陣の中心に、そっと右手の指先を添えた。
そして先ほど感じた魔力を、指先に向けるように意識する。
目を閉じる。集中しなければ。
しかし思うようにはいかない。やはり身の内で縮こまっているのか、どこかで引っ掛かっているような感覚がする。
――来なさい。
わたしはわたしの中の魔力に呼びかける。
――お前たちの主人はわたしよ。『白き魔女』ではない。
戸惑うように、波がうねり始める。反応はしているのだ。
――そう、いい子ね。いらっしゃい。
けれどまだ、言うことをきかない。わたしよりも、『白き魔女』の封印に服従するつもりか。
わたしは多少の苛立ちと怒りを込めて、それらに向かって強く命じた。
――わたしに、従え。
そして魔法陣に向かって、カッと目を見開く。
すると、チリッと魔法陣の上でなにかが光ったと思った次の瞬間。
わたしの手の少し上から、ゴウッと天に向けて火柱が勢いよく立ち昇り、わたしの黒髪を跳ね上げる。
それは瞬く間に天井にまで届き、炎の舌を天井の隅にまで這わせ、塔の中を真っ赤に照らした。
慌てて魔法陣から手を離すと、瞬時にして炎は消え、その代わりに光の粒子がキラキラと輝きながら落ちてきて、そして雪のように消えていく。
わたしたち三人は、沈黙の中でそれを見届けた。
一瞬の出来事だった。まるで夢か幻のような。
見上げてみれば、天井には焦げたあとが残っていた。それがわたしに現実を知らしめる。夢や幻ではないのだ。
本当に、本当に、火魔法が発現したのだ。
「……すごい」
ボソリとカレルが呟く。
そしてみるみる喜色満面になって、華やいだ声を上げた。
「魔法だ! ほらやっぱり! 魔法は存在するんです! お嬢さま、やりましたね!」
興奮した様子で、とにかく口を動かし続けていた。
「すごい、すごいぞ、これは。魔法以外のなにものでもない。やっぱり魔法はあったんだ!」
両腕を広げ、キラキラと輝いた瞳で、喜びの声を上げている。
ヤナは、呆然と天井を見上げたあと、カレル、そしてわたしに視線を向けて。
ぼそりと口を開いた。
「禁止です」
「えっ」
なにを言われたのか、すぐには理解できなくて、わたしとカレルは唖然として彼女の顔を見つめる。
するとヤナはおもむろに両腕を動かして腰に手を当てると、わたしたちに向かって怒鳴りつけてきた。
「塔の中で火魔法を使うのは禁止です! 火事になっちゃいます!」
カレルは慌てて彼女に向かって言い募る。
「いやそんなことより、今、魔法が目の前で顕現したんだよ? 注目するとこ、そこっ?」
しかしヤナは、目を吊り上げて返してきた。
「そんなことですって? 火事になるところだったんですよ! 本にでも燃え移ったらどうするんですか! なにがそんなことですか! ふざけるのもいい加減にしなさい!」
まったく怯むことなく、ヤナは怒鳴り返してくる。
「いやでも」
「謝罪と反省は!」
ヤナのあまりの剣幕に、わたしはカレルと並んで縮こまって謝罪するしかない。
「ごめんなさい……」
「すみませんでした……」
正直なところ、魔法が使えたという喜びも吹っ飛んでしまっていた。たぶんカレルも同じだろう。
「よろしい」
鼻息荒いが、そう答えてくれて、ホッとする。
そういえば、カレルとヤナのお母さんは怖いという話だったっけ。
ヤナは、母親似なのかもしれない。
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