33. 結界を破る

 とにかく、わたしは魔力を扱えた。

 いや、あれを『扱えた』と言い切ってもいいものだろうか。


「まさかあそこまで火が上がるとは思っていなくて……」


 テーブルに手をついて、肩を落としてそう零すと、カレルは労わるように声を掛けてくる。


「さすがはお嬢さま。魔力量が多すぎるからですよ、きっと」

「そうかもしれない……」


 言われてみれば、世界を滅ぼせる魔力量があるという話なのだから、あれくらいは予想するべきだったのかもしれない。


 確かに、基本の魔法陣であの威力だったのだから、大きな魔法陣で思いっ切りやったら、本当に世界を滅ぼせるのかも、と血の気が引く。

 自分を律しないといけない。喜んでばかりはいられないのだ。


「初めてだったんですから、仕方ないです。出力を調整できるように練習しましょう」

「そうね……」


 ようやく使えるようになった魔法だが、使っていくには使いこなせるようにならないと。


「……練習?」


 背後で小さな声が聞こえて、ヒッとわたしとカレルの肩が跳ねた。

 恐る恐る振り返ると、ヤナが半目でこちらを眺めている。


「もっ、もちろん、外で練習するわ」

「そうですよ。それに、火は危ないから、水魔法で試してみるとかするし」


 わたしたちのしどろもどろな弁解に、ヤナは小さくため息をついた。

 これは相当にお怒りのようだ。


 とりあえず、ちょっと宥めておこうと、おずおずと提案してみる。


「あのう、ヤナ」

「なんです?」


 こちらを振り返って向けられる、視線が怖い。


「氷魔法ならいいんじゃない? 食べ物の保存が利くんじゃないかしら」

「なるほど。便利ですね」


 うんうん、と満足そうに頷いている。


「じゃあ氷魔法は許可します」


 少々ご機嫌が直ってきたようで、心の中で胸を撫で下ろす。


「他にも便利そうな魔法があったら、覚えるし」

「それは助かります」


 しかし顎に手を当てて考え込んでいたカレルが続けた。


「でも、あんな小さな魔法陣を使った火魔法があの火力なら、氷魔法はそこらじゅう凍り付いて……」

「禁止します。庭でやってください」


 間髪を入れずに前言撤回してきた。


 なので、わたしたちはヤナの言いつけ通り、庭で練習することにした。ヘイグ公爵家の屋敷からは見えない角度で、塔の陰でこそこそと魔法陣を描いては、魔術を使う。


「お嬢さま、すごいです!」


 なにか魔法が発現するたび、カレルは嬉しそうに拍手をして褒めてくれる。それが励みになって、わたしは練習を重ね、数日もすればある程度は出力の調整ができるようになった。


「では、結界破りの魔術に移りましょうか」


 カレルにそう提案され、以前描いた魔法陣のほうに二人で歩み寄る。

 消えかかっていたので、その上からもう一度描いたのだが、どうにもスッキリしなかった。


「これ、間違っている気がするわ」

「え?」

「なんだか、しっくりこないの」

「そうですか、じゃあ次の候補に描き直しましょう」


 自分の魔力を認識したからだろうか、なんとなく合わないような感覚がした。


 次の候補も描いてみたが、やっぱり違う気がする。

 首を捻るわたしに、カレルは慰めの言葉を掛けてきた。


「これがダメなら、また新たに考えればいいですからね」

「そうね」


 別に焦ることはないのだし、と気を取り直して、みっつ目の候補の魔法陣を土の上に描いていく。


 すると、あたりの空気がざわつき始めた気がしてきた。


 ハッとしてカレルのほうを振り返ってみるが、彼はなにも感じないのか、わたしの表情を見て首を傾げている。


 最後まで書いてみなければわからないが、これはおそらく、当たりではないだろうか。


 だいたいのところを描き上げ、仕上げに、二重の円の間に呪文を書いていく。


『聖なる力を持つ精霊よ、我が呼ばわるときに聞き給え。我は魔女ツェツィーリエ。我がために目覚めることをこいねがう。我の呼びかけに応え、ここに集い、いにしえの力に浸食せしめ、しかるのちに解放せよ』


 そして自分が描いた魔法陣の中心にしゃがみ込み、両手を地に当てた。

 わかる。以前と違い、わたしの魔力は陣に伝わっていく。


 ――行きなさい。


 その命令に従い、魔力が動き出し、身体から指先を通って飛び出していった。

 すると、注ぎ込む魔力が魔法陣をなぞっていくように走り、光の線を描いていく。


「すごい……」


 カレルの呆然としたような声が耳に届いた。


 ――見せてあげる、あなたの望んだものを。


 わたしは少し誇らしい気持ちになって、魔力を注ぎ続けた。

 それからしばらくして、わたしが新たに描いた魔法陣から、魔力が地下に潜り始め、地中に描かれた魔法陣と繋がろうとし始める。


 多少の抵抗を感じるが、わたしは構わず、さらに魔力をぶつけた。その大きな力に抗えず、『白き魔女』の魔法陣はあっさりと、わたしの魔力の侵入を許してしまう。


 土をも透過して地上を淡く照らしながら、魔力の光の線は、塔を囲う塀の端から端まで走り抜けた。

 空気が張り詰める。ピシッ、ピシッ、と小さな音がそこかしこで鳴り始めた。


 ――もう少し。


 途端、小さな音が集合したかのような、ビシッと耳に響く音とともに、なにかが割れたような気配が身体の芯に届く。

 すると急激に、わたしを圧していた重しが、排除されていったような感覚が訪れた。

 見上げてみれば、火魔法が解除されたときのように、キラキラと輝く光の粒子が降り注いできた。


 これは、結界の残滓。


 わたしは大きく息を吐いて、その場にへたり込む。


「お嬢さま!」


 カレルが慌ててわたしに駆け寄ってくる。


「大丈夫ですか、ご気分は」


 心配そうに声を掛けてくるから、わたしは口元に笑みを浮かべて答えた。


「結界が、破れたわ」

「えっ、破れているんですか、これ」


 カレルはキョロキョロとあたりを見回している。


「出てみましょう」


 わたしは立ち上がると、門に向かって歩き出す。カレルもあとをついてきた。

 感じない。あのときの気持ち悪さはもうどこにもない。

 わたしはついに、勝ったのだ。


 それでも少し警戒しながら、門の前に立つ。

 そして一歩を踏み出した。

 わたしの足は、難なく、塔の外に向かって動いた。


「お嬢さま……」


 カレルは、なんとも言えない、喜びと驚愕が混じったような声を発する。


 わたしは振り返って仰ぎ見る。

 長い間、わたしを閉じ込め続けた塔。


 ようやく、外に出ることができたのだ。


「お嬢さま、おめでとうございます!」


 カレルははしゃいだ声を上げて、傍に駆け寄ってきた。


「ありがとう」

「いいえ、僕はなにも」


 ぶんぶんと首を横に振ったあと、彼は口を開いた。


「どうします?」

「どうって?」

「滅ぼせますよ、世界」


 その言葉に、わたしはポカンと口を開けてしまう。

 まさかそんなことを言い出すとは、思ってもみなかった。


「本気で言っているの?」

「僕はいつでも本気です」


 彼はそう堂々と言ってのける。


「お嬢さまがお望みとあらば、僕はそれに従います。僕は魔女の弟子ですから」

「どっちが弟子だかわからないけどね」


 わたしは小さく笑って返す。


「望まないわ。世界が滅びたら、カレルもヤナもいなくなっちゃうじゃない」

「嬉しいことを仰いますね」


 単なる確認だったのか、わたしの返事にカレルは素直に頷いて、口元に弧を描いた。


「お嬢さま。世界を滅ぼすのはやめておくにしても、お好きなことができますよ。どうなさいますか。なんなりとお申し付けください」


 そう言われて、わたしは思案する。この先のこと。未来のこと。考えているようで、考えていなかったこと。


「……まずは」


 わたしは告げる。


「お父さまとお母さまに会いたい」


 どうしてわたしは見捨てられてしまったのか。

 知りたい。


「かしこまりました」


 カレルはわたしに向かって、深く腰を折った。

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