28. 弟子として
『お前を絶対にここから出さない、という意思が感じられるからだ』
本当に。本当に、その意思があったのだ。わたしを絶対にここから出さない、という強い意思が。
ゾクッと怖気が走る。わたしは慌てて自分の身体を自分の腕で掻き抱いた。
わたしはこの悪意の中で暮らしていた。たった一人で。
眉を曇らせ、カレルは不安げな声を掛けてくる。
「お嬢さま、大丈夫ですか」
「だ、大丈夫」
そうは言うが、彼はその言葉を信じてはいないようだった。
「無理をさせました、申し訳ありません。塔の中に戻って休みましょう」
「え、ええ」
ふらつく足取りで、抱えられるようにして塔のほうに帰る。淑女に触れてはいけないなどと、言っていられる状況でもないのだろう。
ふと塔のほうを見れば、ヤナが玄関でこちらを見つめて立ち尽くしていた。
「……今の」
先ほど結界に触れたときの出来事を、ヤナはその目で見ていたはずだ。何度も瞬きを繰り返している。
「ヤナ、ごめん。お嬢さまに水を」
「う、うん! すぐに出すね」
口調が兄妹二人きりのときのようになっている。動揺しているのに違いない。
パタパタと調理場に引っ込むヤナを横目で見ながら、わたしは一階のテーブルについた。
そして、テーブルに肘を置いて、顔を両手で覆う。
「こんなことって……」
ぼそり、と口から零れでた。
「本当に……」
わたしは魔力でもって、この『封印の塔』に閉じ込められていた。
身体は小さく縮こまるしかないが、頭の中は混乱の極みだ。
「大丈夫ですか、ベッドで休みますか」
カレルは魔法の存在を信じていたから当然といえば当然なのだが、こんなときでも変わらない彼の態度がありがたかった。
わたしはカレルを見上げて、言った。
「わたし、魔女なのね……」
彼はなんと答えればいいのか迷っているようで、戸惑うように、口を少し開けただけだった。
「信じる……信じるわ。信じざるを得ない」
わたしを門から押し戻したのは、魔法だ。間違いない。あれが魔法でなくて、なんだというのか。
そのときヤナが水をグラスに入れて持ってきて、わたしのほうに差し出した。
「お嬢さま、どうぞ」
「ありがとう」
わたしはそれを、顔を上げないまま受け取る。今、ヤナがどんな表情をしているのかなんて、見たくなかった。
もし、恐怖に顔を歪ませていたら。
水を一気に飲み終えたところで、カレルは密やかな声で話し始める。
「僕は以前からこの塔には、本当に結界が張られているのではないかと疑っていました」
わたしは返事をせずに俯いたまま、ただ彼の言うことに耳を傾ける。
「だってこの塔には、お嬢さまを見張る警備兵の一人もいない。知っていますか? 屋敷のほうにはいますよ。誰かが簡単には入れないように。でもこの塔には誰もいないにもかかわらず、なんの問題も起こらない」
カレルもダニエルと同じ疑問を抱いていたのだ。
そして、試した。結果はご覧の通りだ。
「最初の頃は……何人も使用人が出入りしていたの。お父さまもお母さまも来ていたから、従者もついてきていたわ。だから警備なんて特に必要もなかった。その頃はわたしも怖がられてなんていなかったし。……それが、だんだん減っていったから、誰も気付かなかったのかも……」
わたしは、ダニエルから指摘されてから考えていたことを口にする。
「なるほど、そうかもしれません。でも、本来ならどこかで気付くはずなんです」
「どうして……?」
「お嬢さまは、塔を出るのを酷く怖がっておられましたね。おそらく、心理的にも結界が働いていました。だってそうでしょう。今はともかくとして、年端もいかない幼い女の子だった頃に、一度も外に出ようともしていなかっただなんて、そのほうが不自然です。どこかで抜け出して、そこで問題になるはずです」
そうなのだろうか。わたしにはわからない。
普通の少女は塔に閉じ込められたら、無邪気に出ようとするものなのだろうか。
わたしは一度もしたことがない。
『でも私からすれば、異様としか思えません』
ダニエルの言葉が蘇った。
きっと彼の言うように、わたしは『異様』なのだろう。
「ここまで僕たちも、今まで仕えた使用人も、結界に阻まれたりはしなかった。つまり、お嬢さまが『黒き魔女の魂のカケラ』を持っているという証拠です」
わたしはその言葉を聞いて、テーブルの上で手を組んでぎゅっと握る。わたしの手は白くなった。
「そう」
短くそう返事をすると、塔に静寂が訪れた。二人の衣擦れの音すらしない。
その沈黙が怖くて、わたしは口を開く。
「本当に『黒き魔女の魂のカケラ』を持っているのなら」
嫌われても仕方ないわね、と続けようとしたところで、カレルは勢い込んで口を挟んでくる。
「お嬢さま、僕が先ほどした話を覚えていますか」
「話……?」
わたしはゆっくりと顔を上げる。カレルは必死な顔をして、わたしに語りかけてくる。
「『白き魔女』は、『黒き魔女』を、騙し討ちで倒したって」
「そう……言っていたわね。でもそんなの、推測だわ。八百年前のことなんて、誰にもわかりはしない」
カレルは『黒き魔女』の弟子の末裔だから、彼女に肩入れしたくなるのかもしれないけれど。
しかし彼は、わたしの言葉を否定する。
「いいえ、そんなことはありません。だって、心理的にも利く結界を張るだなんて、ずいぶん悪質な魔法陣を描く魔女だと思いませんか? こんな人が、本当に善人だと思いますか?」
そして彼は、わたしがテーブルの上で組んだままの手に、自分の手を包み込むように乗せた。
「お嬢さま、聞いてください」
「なに……」
「恥じないでください。誇ってください。僕は弟子として、そう思います」
握られた手に、力が入る。まるでなにかを願うように。
「お嬢さまは、僕の仕えるべき、優しくて可愛くて美しい、僕の唯一の、そして自慢の、ご主人さまです」
その柔らかな声に、じわりと視界が滲む。
「本当……?」
「本当です。魔女だなんだと嫌うなんて、小さいヤツがやることですよ」
「変なの」
安心感からか、思わず笑いが漏れてくる。
「やっぱり変人ね」
「ありがとうございます」
「褒めてないわ」
「ええー……」
がっくりと肩を落とすカレルを見て、くすくすと笑っていると、背後で身じろぎする気配を感じた。
「あのー。二人で盛り上がらないでください」
ふいにそう声を掛けられて、わたしたちは慌てて顔を上げる。
ヤナが少し唇を尖らせて、こちらを見ていた。
「私も仲間に入れてください。一人だけ、のけ者なのはムカつきます」
さすが変人。やっぱりカレルの妹といったところか。肝の座り方が半端じゃなかった。
カレルは嬉しそうに返事している。
「そうだね、ヤナも仲間になろう。僕たちは魂の仲間だ」
けれどヤナは眉根を寄せた。
「兄さんが言うと、なんか気持ち悪いです」
「辛辣ぅ」
そして三人で笑い合う。
そうしていると、彼らに出会えた奇跡を、神に感謝したくなった。
神なんてものがいるのかどうかわからないけれど、魔女だっていたんだから、どこかにいるのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます