27. 塔の外へ
「これが僕の隠しごとです」
カレルはそう言って、ふっと息を吐き、話を締めた。少し晴れやかな顔をしているように思える。
「なにか他に訊きたいことはございますか? 以前、なんでも答えるとお約束しましたので、なんでもお訊きください」
「そう……そうね。まだ訊きたいこと、あるかもしれないけど、今は言われたことだけで頭がいっぱいだわ」
おどけた調子でそう返すと、カレルはにっこりと笑う。
そして人差し指を一本、立ててみせた。
「では、僕からお嬢さまに、ひとつ質問をしてもいいですか」
「えっ、ええ。構わないけど」
そう言われても、特になにか秘密にしていることはない。
なんだろう、と耳を傾けるわたしに、彼はこう問いかけてきた。
「お嬢さまは、どうしてこの『封印の塔』から出ないのですか」
「えっ」
思いも寄らない質問で、わたしの口から驚きの声が漏れる。
「出ようと思えば出られるのではないですか」
そしてカレルはわたしの顔をじっと見つめた。
出られる。だってわたしを妨げる警備はいない。ダニエルがそう気付かせてくれた。
でも今に至っても、試そうともしていない。
「だ、だって、わたしはここから出てはいけないから」
わたしの声は、みっともなく震えている。わずかに胸の内に恐怖心が湧く。なぜ。
「どうしてですか」
「どうして?」
なぜそんなことを訊くのだろう。
決まっている。
わたしは、『黒き魔女の魂のカケラ』を身の内に持っている。
だから外に出てはいけないのだ。
「わたしが外に出ると、悪いことが起きるかもしれないし……」
「でもお嬢さまは、魔法なんて信じてはいないと仰いました」
「え、ええ」
「じゃあ、悪いことなど起きるはずもないのでは?」
そうだ。そのはずだ。
魔法なんて、この世にはない。
そんな話は噓で、おとぎ話で、迷信にしかすぎない。それなのに、そんな世迷いごとのために閉じ込められたのだ。
いや。
この状況を、『閉じ込められた』と評してもいいのだろうか?
出ようと思えば出られるはずなのに。
「出てみましょう」
ふいに掛けられた言葉に、わたしの肩が跳ねた。
恐る恐る顔を上げてカレルの顔を見ると、彼はきゅっと口元を結んで、強い視線をわたしに向けていた。
「出る……塔を……?」
「そうです」
彼はしっかりと頷いたが、わたしは応えることができなくて、俯く。
「だって……出ても追われるかもしれないもの……」
口からは、なぜか言い訳が出てきた。
どうしてわたしは、彼の提案に頷けないのだろう。
「たとえ追われたとして、少なくとも、お嬢さまの命を脅かす人間はいませんよ。皆が怖がっているなら、なおさら」
わかっている。わかっているのだ。それでもわたしは頷けない。
「出ても……どこに行けばいいのか、わからないもの……」
「どこでも。僕が連れて行きます」
その言葉に、わたしはまた顔を上げた。
「カレルが?」
「幸い、ヘイグ公爵家からたくさんお給金を貰いましたので、豪華な旅は無理でも、平民がするような旅くらいならできます。お嬢さまは何冊も旅行記を読んでおいでだったでしょう。好きなところを選びましょう」
本で読んだことを、実際に体験する。
それはとても魅力的な提案だった。
「外が怖いというのなら、また帰ってくればいい。そうして少しずつ慣れていけばいいんです」
「そう……そうね……」
だってこの塔には、ダニエルくらいしか寄り付かない。カレルとヤナしか、わたしと接しない。少しくらいなら、出ても誰にも見つからないのではないだろうか。
だが、いいのだろうか。そんなことをして。
「でも、怒られるかも……」
「では僕が代わりに怒られます。お嬢さまを無理矢理連れ出したということにしましょう」
「それはダメだわ。だってカレルのほうが危ないんでしょ」
「まあ、そうなんですが」
そんな問答をしたあと、カレルは顎に手をやって、しばらく考え込んだ。
そして顔を上げると、わたしに向かって口を開く。
「……僕、実は、確かめたいことがあるんです」
「確かめたいこと?」
「だから、一歩でいいんです。塔の門の外に出て欲しいんです」
「……それくらいなら」
一歩だけ。カレルがなにかを確かめたいというのなら。
それにわたし自身、今まで試そうともしなかったことを、背中を押されたのならしてみてもいい、という気分になった。
「旅行に行きたいというのなら、もちろんお連れします。準備しましょう。きっと楽しいです。なんならここから完全に逃げ出しても」
「いっ、いい。一歩だけにする」
わたしは慌てて首を横に振る。いきなりそんな大それたことをする勇気はなかった。
カレルはわたしを覗き込むようにして、念押ししてくる。
「本当に一歩だけでいいんですか?」
「う、うん」
わたしはおずおずと頷いた。
するとカレルが入り口のほうに足を向ける。
「では行きましょう」
「えっ、今?」
「今です。一歩だけ。さあ」
まだ心のどこかに恐怖心はあったが、促されてソファからのそのそと立ち上がる。
階段を下りる間も、ずっと本当にいいのだろうかと自問自答していたが、迷いのないカレルの足取りに導かれるように、一階にたどり着く。
「あら、勉強の時間ですね。紅茶を淹れましょう」
調理場から顔を出したヤナがそう声を掛けてきて、それにカレルが答える。
「うん、勉強の時間。でも、外で」
「外で?」
ヤナは首を傾げたが、さっと玄関の扉のほうに向かった。
そして、扉を開ける。
「出ることもあるんですね。まあ、お庭のほうが風が通って気持ちいいですしね。じゃあてっぺんじゃなくて、庭でピクニックをすればよかったでしょうか」
そう言ってヤナは微笑む。どうやら自分が来る前は、そういうこともあったのだろうと軽く受け止めたようだった。
けれど、ないのだ。一度だってない。庭にすら出たことはない。
開け放たれた玄関の向こうに、大きな鉄柵の門と、そこから伸びる塀が見える。
血の気が引いていく気がした。身体が冷たくなってくる。きっと今のわたしは、蒼白な顔色をしているだろう。
わずかに身体が震える。足が扉の前で止まってしまって動かない。
「お嬢さま」
カレルが心配そうに、こちらを見つめている。
「今日は止めましょう。そんなに辛そうな顔を見たいわけではありませんでした。無理を言ってしまって、申し訳ありません」
そう謝罪して頭を下げるが、わたしはぶんぶんと首を横に振った。
「ううん。出てみる」
きっと長い間、この塔の中で過ごしてきて、外が怖いだけなのだ。
でもそれでは、いつまで経っても、なにも変わらない。
わたしは一歩を踏み出したいのだ。
横にいるカレルを見上げる。
「手を繋いで、カレル」
「いいんですか?」
驚いたような声を上げる彼に、わたしは手を差し出した。
やはり一人では怖かった。どこでも連れて行くと言ってくれた彼の人肌を感じたかった。
「繋いで欲しいのよ」
「恐れながら、では」
差し出された手を、おずおずと握ってくる。
いつか感じた、大きな手だった。
わたしはひとつ深呼吸をする。一歩踏み出すだけ。それだけなのだから、恐れることはない。
そして、ゆっくりと一歩を踏み出す。
布靴の底に、石畳を感じる。ひとつ息を吐くと、もう一歩。
完全に玄関の外に出ると、足を揃えて立つ。
なんだ、なにも起きない。
ホッと安堵の息を漏らす。
いやいや、なにを考えているんだ。
魔法など存在しない。だから、なにも起きるはずがない。
それなのに、わたしはなにを恐れているのだろう。
「では、門の外まで出ましょうか。一歩だけ」
「え、ええ」
促されて、わたしはまた歩を進める。門まで続く石畳は、わたしの歩みを妨げはしない。
どうしてあんなに怖かったのだろう、と不思議に思うほど、順調だった。
「では、開けますね」
カレルは一度、わたしの手を放して、鉄柵の門の閂錠を外すと、手慣れた様子で大きく開いた。
「どうぞ」
一歩前に立つカレルの差し出された手に、自分の手を乗せる。そしてまたひとつ深呼吸をすると、ゆっくりと、足を踏み出した。
そのときだ。
バチッとなにかが身体の前で弾けて、火花のような光を発した。
「痛っ!」
それから、ぐん、となにかに後ろから引っ張られるような感覚がして、わたしはたたらを踏む。
「お嬢さま!」
繋いでいた手をカレルがグッと握って、それでわたしはなんとか足を踏ん張った。
「なに……今の」
心臓がバクバクと脈打っている。身体の中で、なにかが蠢き始めて気持ちが悪い。じわりと脂汗も出てきた。
吐きそうだ。わたしは口元に手をやって、なんとか呼吸を整えようと、ハッハッと浅い呼吸を漏らす。
そうしていると頭上から、カレルの冷え冷えとした声が降ってきた。
「やはり、本当に封印が施されている」
「え?」
顔を上げると、険しい表情のカレルが、門を睨みつけていた。
では本当に、この世に魔法はあって、そしてわたしはその力でもって封印されているのか。
今まで出ようともしなかったから、そのことに気付かなかったのだ。
ここまで否定し続けてきたことを、一気に身体で知らされて、急激に思考が動き出す。
カレルはため息交じりに零した。
「ずいぶん綺麗な円形だと思ったんですよ。塔も、塀も」
『この塔は丸いので、やりやすいです』
『塔を丸く囲う、高い塀』
こわごわと首を巡らせて、塔のほうを振り返る。一階は調理場や浴室があるので飛び出ているところはあるが、基本は円形だ。
そしてこの塔を囲う塀が円形をしていることは、塔のてっぺんから見て知っている。
すとんと、その考えは、わたしの中に落ちてきた。
ああ。
そうか、そうなのか。
この塔は、『白き魔女』が描いた、魔法陣の上に建てられているのだ。
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