第10話 春なんて来なければいい。
「私はもう買えないの。私は買いたくても買えない」
「どういうこと?」
「ごめんね。雪広」
少女の顔色がどんどん、あの日の面影に似てくる。息切れをしながら、僕は息を呑んだ。僕の名前。僕の家族。僕の居場所。それらが不意打ちのように蘇ってくる。
「雪広、すまん。私も悪かった」
「僕は母から捨てられたんですね」
吹雪が途端に鳴りやんだ。雪晴れの夜、車窓から寒星が見違えるように見えた。
「違う。雪広、母さんはあの日の夜、死んだんだ。雪崩に呑まれて。お前さんを助けるために」
おじいさんの震えるような声は春先の雪解け水のように澄み切っていた。
「お前さんが星を買いたがっていたんだよ。母さんは星を買うために小さかったお前さんを連れて、星を買おうと雪道を歩いていた。そのとき、雪崩に巻き込まれて死んでしまったんだ。雪広、――母さんはお前さんを捨てたわけじゃないんだ」
「母さん、母さん」
身体中の血管が漲り、硬直している。何故、こんな結末になったのだろう。やっと会えたのに、やっと会えて、冬の旅路ができたのに何故、こんな結末になってしまったのだろう。
「母さん、母さん、母さん……」
眼を開けると、少女がこっくりと頷いていた。僕の瞼からは涙が歪む。
「星を買ってあげたかったけど」
少女の笑みは六つの花のようだった。
「私は買えない。死者は買ってはいけない決まりだから。死者そのものが星にならないといけないの。ここまで来られたのも冥界の星の神様に頼んできたからなの」
「母さん、君は母さんなんだよね? そうでしょう。このまま、列車に乗って旅をしようよ。雪道を抜けながら冬ばかり感じて」
雪がこんこんと降る、永遠に銀世界が広がればいい。春なんて来なければいい。銀花乱れる冬景色を愛でながら、一生を全うしたい。寒さに溺れながら淡雪を恨み嘆き、春の雪を拒みたい。冬は僕にとっての生きる希望だった。
「春は必ず来るの。永遠に冬なんて、あってはならないの」
「冬のほうが優しいよ。どんな季節よりも優しいんだから」
冬は僕にとっての願いだったから、と僕は続けざまに言った。息が詰まり、僕は頭を抱えそうになりながら、その世知辛い感情を吐露した。僕は僕自身さえも、上手く面目を保てない。愚かだった。僕は僕の中にある黒い感情さえもコントロールできなかった。
星が欲しい。そう言ったのは僕が七歳の時だった。七つの僕は母さんにねだって、星を得ようと冬空に咲く、という星を買いに雪道へ突き進んだ。母さんは何度も雪道には雪崩が危ないからと反対し、駄々をこねる僕をなだめようとしたけど、とうとう雪道に僕と母さんは突き進んでいた。大雪が霏々と舞う寒空の夜だった。
七歳の記憶のはずなのにその記憶の表面は鮮明だった。雪道の向こう側に光る、物体を見つけた。それが空から落ちてきた星だと判断して僕は焦り、母さんに向かって叫んだ。僕は浮足立って、がむしゃらに星に向かって走った。雪晴れの夜、悲劇は起こった。
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