【アップ】2024年11月24日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】2024年11月24日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=JVawrZ-5dvI


【ブログ】

ブログを見て下さると、聖書や讃美歌の歌詞などもご覧になれます。

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12877274607.html



前奏

招詞 イザヤ書 63章 15、16節

詩 編 歌 118編2節

主を畏るる者ら

開 会 祈祷

主 の 祈り(週報裏面)

十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教

スコットランド教会新カテキズム

「神さまの三つの位格」

こどもさんびか

かみさまはそのひとりごを[改 49(1,2 節)]

牧 会 祈祷

讃 美 歌 10番

聖書

エレミヤ書31章31~34節

コリントの信徒への手紙二3章 4~11節

説教

「新しい契約を結ぶ日

~神の民の心の変革とともに」

宮武輝彦

祈祷

讃美歌 508番

みことばの交読文

ヨハネ黙示録 21章 3,4節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄 544番

祝祷

報告



讃美歌~♪


讃美歌10番 礼拝 讃美(わがたまたたえよ)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=BZBZdyp0T1Q


1

わがたまたたえよ、主なるかみを、

うちなるすべては 御名をあがむ。

2

わがたまおぼえよ、あたえられし

たえなるめぐみは 主のものなり。

3

われらのつみとが すべてゆるし、

くるしみなやみを いやしたもう。

4

くつべきいのちを 主はあがない、

やさしき御手もて ささえたもう。

5

みたまをそそぎて 鷲のごとく

いのちとちからに みたしたもう。


「主よ、日に日に」讃美歌508

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=zuy4BWJpWt0


1

主よ、日に日に ましたまえ、

つみをくゆる まごころを。

きよめらるる 身のさちを、

つかえまつる よろこびを。

2

主よ、日に日に まいたまえ、

こころみには かつものと。

みこころをば 知るものと、

みことばにぞ 立つものと。

3

主よ、日に日に 見せたまえ、

のりとすべき みすがたを。

あまついえに ゆくみちを、

とこしなえの みさかえを。



2024年11月24日 礼拝説教 聖書箇所


しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。

エレミヤ書31章33節


神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。

コリントの信徒への手紙二3章6節

 

はじめに

主を待ち望む今日、福音の光の輝きとその豊かに心を留め、祈りを新たにしたい。

「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる」。出エジプト後、イスラエルの民は、王国建設を実現しながら、二王国分裂を経て、バビロン捕囚によりエルサレム陥落を見る。真の預言者エレミヤは、主が「イスラエルの家とユダの家」、全イスラエルを回復するメッセージを時代のただ中で預言する。それは、歴史の主である真の神、主の言葉が臨んだ預言者のみが伝えることのできる“主の約束”。それは異教の地から帰還する日を望む、一つの希望を与えるもの。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている」「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(29章11節)。「あなたたちの未来には希望がある」「息子たちは自分の国に帰ってくる」(31章17節)。「この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない」と言われるとき、アブラハム契約(神の国のはじまり)、シナイ契約(民の契約と律法の授与)に取って代わるものというよりも、その実現を、全イスラエル(主キリストの民)に新しい形で示すということ。「わたしが彼らの主人(夫)であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った」との主の熱情的責めは、「新しい契約」が、決して、主の契約と律法(神の義)と切り離せないことを明らかにする。

「しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」主イエスは「言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く」(マタイ8章11節)と言われた。御子の贖いと聖霊による新生(再生)と聖化における実現。キリストを知る教会は、キリストの花嫁としてキリストの再臨を待ち望む。キリストの心を心とする謙遜と従順こそ、主がわたしたち一人一人の心に「書きつけられた(霊の)手紙」(コリント二3章3節)。手紙は文字によるが、霊の手紙は、主の思いを知る者として霊の人を福音の光へ導く。

「そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」福音の光に心を照らされ、主の救いの恵みによって養われるとき、わたしたちは、もはや、人の見える、隣人関係・近親関係・主従関係・師弟関係から解放される。「あなたの子らは皆、主について教えを受け あなたの子らには平和が豊かにある」(イザヤ54章13節)との預言が実現する。主キリストの贖いと和解における全イスラエルの神との和解は、世のただ中で、福音の光を明らかにし、永遠の祝福と安息を証しする、「教会教育」は、この意味で、御言葉の光を明らかにすること(開示)であり、教える者も、聴く者も、等しく、聖霊の導きにおいて、啓示の主キリストを認めること。

おわりに

新しい契約の預言は、キリストの王国を告げるもの。今や、聖霊によって、キリストの贖いと和解が、福音の光に照らされる者たちに心の変革が与えられる時。それは、律法の終わりとなられたキリストの内にある生ける信仰とまことの従順において果たされる。霊的安息を共にする者たちの祈りと交わりを、心を尽くして求めたい。「霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか」との励ましの言葉に応え祈りを新たにしたい。



(Mynote)


二〇二四年一一月二四日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「神様には幾つの位格がありますか。」

「父である神様、御子である神様、聖霊である神様の三つです。」

イエス様はヨセフとマリアの間に生まれた子であり、聖霊に依りマリアの胎から生まれ、神様の子としてその後、全ての人を罪の内から救う為にその働きを成されたのである。イエス様は唯一の生ける誠の救い主として、降誕して下さった。そしてイエス様は、それまでバプテスマのヨハネとして多くの人々に水で洗礼を授けて居た人のもとへ行き、その川で人として敢えて洗礼を受け、人として人の間に遣わされた上で十字架に付けられ、陰府に下り、三日目に死人の内より甦り、天に上られ、全能の父なる神様の右に座し給えり。詰りイエス様は全ての人(罪人)が、その罪による死の内から永遠の命を与る事を先駆けて教えて下さり、全ての人の信仰の源・その信仰に依る救いの源と成られたのである。人が罪から悔い改めの途に就き、キリストの真実に依り救われる事を新しい契約(新約)の下(もと)にて教えて下さったのである。

(公同礼拝)

『エレミヤ書』(第三一章三一〜三四節)

『コリント人への第二の手紙』(第三章四〜一一節)

この両箇所では「新しい契約に依り全ての人がイエス様を通して信仰に救われ、罪の内より甦る事・救われる事の確約」が示されて居る。『エレミヤ書』は旧約に在り、その内容は預言の形を以て「文字による契約でなく霊による契約」を示し、人が信仰に依り永遠の命に与る事の確約が示される。

アブラハム契約、シナイ契約(十戒に示される契約)、ダビデ契約、そして新しい契約を神様は全ての人に示し、全ての人がキリストに依り救われる様に守られる。

人々は夫々の主観や解釈により、様々な派閥を作る。カトリックとプロテスタントに分かれた事に始まり、その上で様々な教派を又作り、その原点を辿れば誰かの解釈・信仰に基づいたものに成る。人の解釈に惑わされては成らない。唯一聖書に記された御言葉だけに従い、人の解釈による信仰を持っては成らない。

教会から離れると言う事は無い。礼拝から遠ざかる事は様々な事情によりあるけれど、教会から離れると言う事はその人の在り方(存在)そのものを神様の前で裁く事になり、人が人の立場で神様の立場に立つ傲慢に成る。この事は信仰に於いて危険に在り、どの様なクリスチャンでもその事をしては成らない(信仰が成らないのである)。

神様が、その(教会から離れたと他人に言われた)人を忘れる事は無い。人が知識・主観・習慣を以て、神様と人との関係を独裁しては成らないのである。どれだけ聖書に精通し、人から立派と言われ、神様に救われ恵まれた状態に在ると自覚しても、その人が人の範囲を越え、他人が神様に愛されて居るか否かを独断しては成らない。それは祈りを忘れた傲慢の罪に在る。

本来の祈りには、神様の救いを先に置く希望が在る。その希望は人が作り上げる希望と違い人を裏切る事が無く、信仰に生かされる上で、必ず全ての人を救うものである。誰でも他人の心を全て知る事が無いのと同じく、その他人の生活を全て知る者は無い。その知らない処で、その他人が神様に救われて居る事がある。

本来の祈りとは、絶望から生まれる。全ての人は罪人であり、その罪の内には絶望しか無く、その罪から「救われたい!」と祈る祈りは絶望から生まれる祈りに在る。自分の罪深さを本気で思い知れば、他人を裁く余裕など初めから無く、兄弟姉妹共に、先ず自分が信仰に依り救われる事を本気で祈り願う。悔い改めに依り全ての人は信仰の道を諭され、神様に救われる。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw&t=19s


メッセージ・テーマ「終わりの時」アーサー・ホーランド師

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=pJoOHS91K9U


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)


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