マッチングアプリ

                          

 ある金曜日の夜、藍沢一華あいざわいちかは会社の同期との飲み会を終えた後、時間を確認すると最終電車の時間は既に超えていて、大きな出費ではあるが仕方なくタクシーで家に帰る事にした。


 タクシーの中で6月に結婚する後輩のおのろけ話などを散々聞かされた一華は、独り身の寂しさを感じてしまい、今にも泣きだしそうになっていた。


 家の近くのコンビニでタクシーを降り、ふらりと店の中に入ると恋人同士なのか二人で楽しそうに買い物をしているその様子を横目で見ながら、水と明日のパンを購入して明りの点いていない部屋に戻った。


 家に着くと急いですべての電気を点ける。少し酔いが回っていたのか、そのままベットに横たわりながらスマホを鞄から取り出し、グループラインなどの確認と返信を終える。ホーム画面に戻すと最近登録したばかりのマッチングアプリ『Red String《赤い糸》』のアイコンが目に留まった。


「こんな時間だけど・・・誰かと話がしたいな」

 そう思いながらアプリを開くと、新しい「いいね」が一つ届いていた。


神谷かみやしょうさん!?」


 一華がプロフィールを開くと、写真には爽やかな笑顔の青年が映っている。30歳のITエンジニアで、趣味は映画観賞と読書らしい。文章も丁寧で誠実さが伝わってきて好感が持てた。


—— 初めまして、一華さん。プロフィールを拝見して好感を持ちました。もしよろしければお話しませんか? ——


受け取ったメッセージも誠実な印象だった。


—— 初めまして、神谷さん。メッセージありがとうございます。私も映画や読書、好きなので趣味が合いそうですね。 ——


 軽い気持ちで返信すると、すぐに返事が返ってくる。夜が深まる中、会話が途切れることなく楽しい時間を過ごしていた。

 一華は今日初めて会話しただけなのに、彼の文章からにじみ出る優しさや価値観などに心が惹きつけられていく。


 翌日、二人はもっと話がしたいとの事で意気投合し、ビデオ通話をすることになった。

 夜9時、一華がアプリを開いて通話すると、画面に神谷 翔の顔が映し出される。写真の通り爽やかな笑顔の彼女好みのイケメンだった。


「今日こそ初めましてですね、一華さん。直接お話しできてうれしいです」


「こちらこそ、えっと・・・神谷さん。お話しできてうれしいです」


「一華さん、これからもよろしくお願いします。あと僕の事は“翔”と呼んでくださいね。一華さんが綺麗な方なのですごく緊張しています」

 

「そんなことないです・・・翔さんの方こそ爽やかで・・あの・・かっこいいです」


 二人は照れながらも、最近見た映画や好きな作家やおすすめの本など話が途切れることなく、時には二人で大爆笑しながら時間はあっという間に過ぎていく。


 しかし何度か会話やビデオ通話をするうちに、翔が少しずつ一華の個人的な部分に踏み込んでくる質問が増え、彼女は少し警戒心を抱き始めた。


「一華さんは、どこに住んでいるのですか?」


「えっと・・・・都内ですよ」


「都内なら割と近いかもしれませんね。どの辺りですか?」


 一華は曖昧に答えを濁したが、そのことに対して怒る様子もなくいつも通りの優しい態度は変わらなかったので少し安心し、警戒心は薄れたはずだったが・・・。

 しかしその夜、一華は過去のつらい出来事が頭をよぎり悪夢でうなされ一睡も出来なかった。


 翌朝、スマホを開いてアプリを確認すると、翔からのメッセージが届いていた。


—— 昨日は楽しい時間をありがとう。またお話ししたいです。——


 彼女は不敵な笑みを浮かべながら神谷に同じ様なメッセージを返信する。


 その出来事があってから、一華はいつもの満員電車での通勤や何も代わり映えのしない仕事も、何故か前向きな気持ちになり、職場の同期からも「何かいいことあった?もしかして彼氏?」などと聞かれて満悦の表情を隠せなかった。


 しかしその後、アプリの通知が全く来ない。何度もログインしたり、スマホを再起動や電源を切ってもう一度アプリを起動させたりしても変化なし。そして驚くことに神谷 翔のプロフィールが消えていた。マッチング履歴一覧を表示させるが、驚いたことに彼の履歴はなくブロックされた場合の『退会済み』の表示もない。


「どういうこと・・・?」

 一華はこの出来事に憂慮ゆうりょの念を抱きつつも、単なるアプリの不具合かもしれないと自分に言い聞かせていた。


 しかしその夜、一華のスマホが鳴る。画面を見ると『非通知』なので無視することにしたが、すぐにラインの方にメッセージが届く。


—―こんばんは、一華さんどうしてアプリに返事を返してくれないのですか?—―


 驚きのあまりスマホをソファーに放り投げ、しばらく動けない状態でいた。

するとまたスマホの着信音が鳴り出す。一華はふと我に返りスマホを拾い上げ着信のアイコンをスワイプした。


「神谷さん?どうして私の番号を知っているのですか?」


 神谷は不気味な笑い声を交えながら答える。

「一華さんの事がもっと知りたくて調べたんだよ」


 彼の言葉に血の気が引き、何も言えなくなった彼女の耳に神谷のささやき声が続く。


「ねえ、会おうよ。君の住んでいる場所、もう知っているから」


 一華は恐怖が極限に達して電話を切った瞬間、玄関のチャイムが鳴った。

とにかく部屋の電気を消し、震えながら玄関の方を見つめる。ドアをノックする音が響き、スマホを握りしめる手が小刻みに揺れる。ラインで友人に助けを求めようとした時、神谷からのメッセージが受信された。


—―どうして出てくれないの? ——

 

 画面に浮かび上がる文字を見た瞬間、一華の心臓が激しく鼓動し、手が冷たくなっていく。しばらくするとノックの音が止み、その代わりにスマホの通知音が連続で鳴り始める。恐る恐る開くと神谷からのメッセージが大量に届いていた。


—— 一華さん、もう逃げられませんよ! ——


—— 君のこと、どこまでもどこまでも追いかけるからね——



 その後すぐに警察官が到着し、一華を保護してくれた。玄関周りや近辺など捜索するが、防犯カメラにも不審者らしき姿は映っていなかった。念のため一華は友達に事情を説明し、そのまま友達の家に泊めてもらうことになった。


 数日後、知り合いの弁護士を通してアプリ会社へ『神谷 翔』の情報開示請求を提出した。すると、驚愕の事実が判明する。


「神谷 翔という名前での登録履歴は存在致しません。また、その名前でのアカウントが作成された形跡も確認できませんでした」


 

 その日の夜、一華は今まで真実から目をそらしていた出来事に向き合う為、意を決してネットの検索ボックスに『神谷 翔』と入力し検索してみると、ヒットしたのはやはり数年前に起きた監禁暴行事件の記事だった。


【出会い系アプリ監禁暴行事件――容疑者である神谷 翔、事件後に白骨死体で発見。遺書が見つかり自殺と断定され、事件は被疑者死亡で書類送検される――】


 その記事を読み進めながら更に検索すると、より衝撃的な事実が記載されている文面を見つけた。


【監禁暴行事件の犯人は別人か!?犯人は会社の同僚であった神谷 翔さんの顔に似せ整形、その後犯行を繰り返していた可能性が浮上するが、真相は判明せず捜査は打ち切りに】


 だが監禁暴行事件の真相はこうである。犯人は神谷 翔ではなかった・・・真犯人は神谷の同僚で、彼の容姿などに憧れを抱き顔を整形した挙句、神谷になりすましアプリで女性たちを誘い出す。そして事件が発覚する前に本人を殺害し遺棄する。そしてあたかも神谷が犯人であり、自責の念で自死を選んだという遺書を神谷本人のパソコンで真犯人が作成し目に付くように保存していたのだった。



「ようやく・・・見つけたわ・・・」

 一華はふっと笑みを浮かべる。それと同時に沸騰する怒りで冷静さを失いかけていた。しばらくするとラインにメッセージが入る。そのメッセージを確認し一華は深呼吸する。


 次の瞬間、何かが背後に立つ気配を感じ振り返ると、全身黒ずくめで影のような物体が、一華を見つめてほくそ笑む。


「一華さん、みぃつけた~ぁ」


 低く薄気味悪い猫なで声でささやき終わると同時に、突然テレビの画面が明るくなりホラー映画が流れはじめる。


「どうして・・・お前らがここにいる!!」

 男は後ずさりながら玄関の方へ向かおうとしたが、部屋のドアが静かに閉まり大音量で流れる映像には残虐に人が殺されていくシーンが映しだされていた。


「逃げられませんよ」

 部屋の入り口には数日前、一華を保護した警察官が立っている。


「君に聞きたいことがある」

 スーツを着た男性が部屋に入ってきた。その男性は一華が相談をしていた弁護士で、更に奥の部屋から一華の友人が現れ証拠を突き付けた。


「まさか・・・全部仕組まれていたのか!?」


「ええ、翔の親友たちが私の計画に協力してくれたの。翔は私の婚約者。大切な翔を私たちから奪ったあなたを・・・許すわけがない!!」


「あっ・・・そうそう、私たちの事は心配しなくて大丈夫よ。だってあなたはもう既に死んでいるんだもの」


 その瞬間、部屋のスピーカーから大音量でホラー映画のクライマックスシーンである殺人鬼が頭を撃ち抜かれる場面が映し出されていた。



 数時間後、ホラー映画のエンドロールが流れる中、一華は静かに立ち上がり、部屋の隅に置かれた二つのスーツケースを運び出す。

 ひとつは衣類や生活必需品が詰められており、もうひとつには厳重に梱包されたが詰められていた。迎えのワンボックスカーにふたつのスーツケースが乗せられると、一華は天を仰ぐような仕草で涙をこらえる。


 住み慣れた街の灯りが消えていく中、振り返ることなく彼女はこの場所を後にした。



        ❴ 完 ❵ 

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