残るはただドラゴンの灰と、燦然たる悪の正義のみ

可明

01:悪役貴族と底辺仕事

 ドラゴンのガラス質の目が俺を見下ろしている。


 全長6メートルはあろうかという巨体は、鈍色の鱗があちこち剥がれ落ち、黒ずんだ腐肉が露出している。翼はぼろぼろに裂けて飛ぶことは二度とない。


 強烈な腐臭に思わず鼻を袖で覆う。


 体内に魔力を持つ魔法生物――魔物と呼ばれる生き物は、まれに魔力が瘴気へと変質する場合がある。


 ドラゴンほどの強大な魔力を持つ存在が瘴気に侵されると、周辺の土地や水が汚染され、村や町に深刻な被害を及ぼす。

 そのため、駆除依頼が出されるのだ。


 仕事内容は危険、汚い、きついの3K。


 ――だが、『悪役貴族』になって幽閉されるよりはマシだ。


 俺は村から依頼を受け、立ちのぼる瘴気の黒煙を追ってここまで来た。


 ドラゴンは四肢の力を失い、地面に這いつくばっている。胴体を引きずって移動した跡は鱗や肉片で汚れていた。


 標的から目をそらさずに剣を鞘から引き抜いた。

 刀身に魔力を送り込むと、根本から先にかけて白い燐光が広がる。


 刃の切れ味を上げる――これが俺の使えるただひとつの魔法だ。


「さあ、始めるか」


 ドラゴンは俺の敵意を察したのか、口をゆっくりと開けた。

 真っ黒い喉の奥で、肉に埋もれた宝珠が光り始めていた。魔法発動の兆候だ。


 次の瞬間、口腔内から瘴気混じりの攻撃魔法が放たれた。

 瞬時に身体を横へ転がす。その直後、光の奔流が俺のいた場所を鋭く抉りながら通り過ぎた。


 ドゴォンッ!


 木に当たった瘴気が弾け飛んで辺り一帯を黒く染め上げる。幹は溶けるように腐り、枝が音を立てて崩れ落ちた。


 ――勝たなければ死ぬ。


 自然と口角が上がり、ゆがんだ笑みが浮かぶのを感じた。


 日常のすべてが遠くへ押しやられ、勝利の期待と死の恐怖が、俺のなかの空洞を満たしてくれる。

 この高揚感だけが、鬱屈した日々を忘れさせてくれる。


 通常十数人がかりで行うドラゴン駆除をひとりで受けるなんて正気じゃない。

 正気じゃないんだ、俺は。


「存分に暴れろよ」


 俺の挑発に応えるように、ドラゴンが咆哮を上げた。


「いくぞッ!」


 地面を強く蹴り、圧倒的な巨体に向かって突進した。


 ドラゴンの太い尻尾がうなりを上げて横なぎにせまる。飛び上がって回避し、着地と同時に足元に滑り込む。そのままの勢いで剣を振り上げて脚を切り裂いた。


 鱗の砕ける感触と、肉を断ち切る生々しい重み。手に伝わる心地よいしびれを追うように、何度も斬りつける。


 ドラゴンは激痛に怒り狂い、体をよじらせて前足を振り上げる。俺は素早く体を反転させて距離を取る。


 視界の端に青白い光をとらえた。牙の隙間から魔法発動の光が漏れている。ガラス質の目がまっすぐ俺に向いている。


 魔法を放つその一瞬、隙が生じる。

 俺は攻撃をよけながら死角になる側面へ素早く回り込み、腹部を斬りつける。


 鱗と腐った肉が飛び散った。冷たい血が噴き出して俺の上半身をぐっしょりと濡らす。腐臭と不快感で吐き気がこみ上げるが、奥歯を噛み潰すようにして無視する。


 ドラゴンの怒りに満ちた咆哮が空に響く。その巨体が苦痛にねじれ、うねり、口腔内の魔法が無差別にあちこちへ放たれる。


 俺は再び距離を置き、剣を構えなおす。


 ドラゴンの傷口から赤黒い血が滝のように流れ出て地面を汚す。

 這いつくばったまま、重そうな頭を太い首で振り回すようにして俺を探している。


 動きが明らかに鈍ってきた。

 そろそろ頃合いだ。


 剣を構え直し、地面を蹴って接近する。ふっと影が落ちた。見上げると、青空を背景に太い尻尾が迫ってくる。

 だが、大ぶりのその攻撃を避けることはたやすい。尻尾が大地を叩きつける音を背景に、ドラゴンの首元まで迫る。


 喉を切り裂こうと振るった剣が、しかし音をたてて空振りする。


 尻尾を振った勢いを利用して首をしならせ、俺の剣をよけたようだった。

 ドラゴンはそのまま頭を振り回し、空気を切り裂く音を立てて身を反転させる。


 眼前に、ドラゴンの真っ黒の口腔が迫り、喉の奥に埋まる宝珠が青白く輝く瞬間を見た。


 ――よけられない。


 考えるよりも先に体が動く。剣の柄を逆手に持ち、切っ先を喉奥に向けて投げた。


 ドラゴンが体をのけぞらせ、全身を激しく震わせた。

 大地が揺れるほどの咆哮が周囲に響き渡る。


 無我夢中で投げた剣が、どうやら喉の奥に突き刺さったらしい。

 ドラゴンは耳をつんざく悲鳴を上げ続け、長い首を鞭のようにしならせて暴れた。空気がビリビリと震えて肌に突き刺さる。牙の間からは黒煙が漏れ出ており、どうやら魔法は途中でキャンセルされたようだ。


 丸腰になった俺は、逃げるタイミングをはかっていた。


 ――キィン


 突如、鋭い金属音が響く。喉に突き刺さっていた剣が弾き飛ばされ、地面に転がったのだ。


 剣を目にした瞬間、反射的に走り出していた。

 勝算があったわけではない。考えるよりも先に動いていた。


 剣を拾い上げながら、再びドラゴンに向かって突進する。

 

 ドラゴンは痛みで暴れながらも、巨大な体を振り回して尻尾で俺を薙ぎ払おうとする。

 だが、その動きは鈍い。

 地面を抉りながら迫った尻尾を簡単に飛び超え、ドラゴンの首を目指す。


 柄を握る手に力を込め、魔力を注ぎ込んだ。刀身が青白く輝き、切れ味を極限まで高める。

 全身全霊の、最後の一撃だ。


「これで、終われッ!」


 ドラゴンの首元に狙いを定め、剣を突き出した。

 剣先が分厚い鱗を貫き、肉を裂き、骨を砕く感触が手に伝わる。


 断末魔の咆哮が響き渡る。ドラゴンは巨大な頭を跳ね上げるようにのけぞらせた後、そのまま力を失って崩れ落ちた。


 俺は剣をその場に残し、反射的に後ろへ跳びのく。


 ズシンッ……!


 巨体が崩れ落ち、地面を打つ音とともに砂埃が舞い上がる。


 俺は魔法使用後の重い疲労感におそわれ、その場に膝をつく。全身の力が抜け、地面に腰を落とした。


「はぁ……はぁ……」


 息を吸い込むたび、肺が焼けるようだ。空気が足りない。肩は上下し続け、心臓の鼓動が耳の奥でうるさい音をたてる。


 勝利の達成感が体のすみずみまで染みわたる。胸のなかにある冷たい隙間に、熱をもった歓喜が押し寄せて満ちていく。


 パキパキッ

 ピシッ


 血の海に沈むドラゴンの体から、ゆっくりと色が失われ始めた。

 一部の魔物は死んだ際、この『灰化現象』が起こる。


 鱗や腐肉が灰となり、次々と崩れ落ちていった。骨までも砕け、やがてただの灰の山へと姿を変えていく。


 俺の体に付いていた血や肉片もすべて灰となった。手ではたくと、埃のように簡単に舞い上がる。


「げほっ、げほっ」


 息を吸い込むたびに灰が喉に引っかかり、思わず咳き込んだ。

 俺は口元を手で拭う。


 戦闘で昂ぶっていた気持ちがすこしずつ冷めていく。

 勝利の余韻は酒ほども酔えない。胸の奥に虚無感が戻ってきた。ゆっくりと頭が冷めていく。


「ああ……」


 ため息とも、うめき声ともつかない声が漏れた。


 俺はまだ見ぬ主人公に問いかける。


「――なあ、いつ魔王を殺してくれるんだ?」



  ◇ ◇ ◇



 2年前。

 仕事からの帰り道、突然この『ラスト・アンダーテイク』の世界に転生した。


 最悪なことに、転生先は作中一番の嫌われ者、悪役貴族『ダリウス』だった。


 ダリウスは公爵家の次男だが、貴族が当然持つ魔力をほとんど持っていないことがコンプレックスで、常に罵詈雑言を振りまいてプライドを保っているような、顔だけが取り柄の性格ドクズ野郎だった。


 それだけでも最悪だが、ゲーム中盤で魔王側幹部の甘言に乗せられ、貴族連中もろとも人間を皆殺しにしようとする中ボスになる。

 そして『世界がどうなろうが知ったことか。俺は俺のやりたいようにやるまでだ』と清々しいまでの悪役のセリフを吐き、プレイヤーや登場キャラのヘイトを集めるだけ集めたあと、華麗に敗北する。


 人気投票の悪役部門で1位の魔王に次いで2位となるが、ファンが口を揃えて『実力の魔王、顔だけのダリウス』と言うほどに無能であった。


 ダリウスはその後、劣悪な環境の地下牢に幽閉され、鎖に繋がれた一生を送ることが確定する。

 ゲームをやっていたときは「へえ、幽閉なんだ。甘くない?」と思っていた。

 だが、いざ自分に降りかかるとなると、甘いもクソもあるかという話である。


 俺は幽閉エンドの運命を変えるため、必死で足掻いた。

 周囲との関係を改善し、勉学や修練を真面目に取り組み、俺を魔王側に引きずり込もうとする輩には一切近づかなかった。


 そして1年前、ついに努力が実を結んだ。

 魔王が討伐され、世界がハッピーエンドを迎えたのだ。


 俺は悪役貴族になることなく、それどころか主人公に会うことすらなく、無事にシナリオを改変した。


 これからはただの貴族の次男として、王宮騎士団で平穏に過ごすつもりだった。


 平和をかみしめる日々のなか、ふっとよみがえる記憶があった。


 この世界へ来る数日前に、動画サイトで目にした広告。

 聞きなじみのあるオープニング曲とともに、黒背景に白い文字が浮かび上がる。


   あの伝説が再び――!

   『ラスト・アンダーテイク2』

   続編、制作決定!


 思い出した瞬間、俺は思わず叫んだ。

 幽閉エンドを回避することに必死で、続編の存在をすっかり忘れていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る