ヒーリングの進化

 メリッサとアリアは同じ部屋で、それぞれベッドに横になっていた。休憩のためにクリスが部屋を用意していたという。安らぎを与える香が焚かれ、窓から差し込む光がカーテンでほどよく遮られ、落ち着く空間になっていた。

 テーブルに寒天状の喉ごしの良いおやつが置かれ、メリッサは美味しそうに幾つも食べていた。空腹と疲労がたまっていたため、ベッドに横になってから寝息を立てるのは早かった。

 一方でアリアは、おやつを食べるフリをしてすぐにベッドに横になった。食べなかった理由は、お屋敷に入ってから違和感を覚えていたからだ。


 闇の眷属は敵だ。心からブレイブたちを歓待するはずはない。お屋敷に入ってから敵が尻尾を出すのを待っていた。


 案の定、気配を隠した数名の陰を感じる。足音もない。かなりの手練れたちだろう。


 部屋に侵入してきた人間たちは、慣れた手つきでメリッサを縛る。メリッサは全く目を覚まさない。おやつに睡眠薬が入っていたのだろう。

 同じようにアリアを縛ろうと伸ばされた手を、アリアは一気につかみ取り、腕をひねって床に押さえつける。押さえつけられた人間以外はすぐに逃げ去った。押さえつけられた人間も含めて、全身黒ずくめであった。

 押さえつけられた人間がもがく。アリアは手刀で昏倒させる。

 黒ずくめの顔を覆う布を取り払う。白髪の若い顔がさらけ出される。クリスであった。

 アリアは溜め息を吐く。


「シルバーの差し金か独断か分からないが、必ず後悔させてやる」


 メリッサを縛る縄をほどき、クリスを縛り上げる。自殺してルドルフのゴッド・バインドのエネルギーになるのを防ぐために、猿ぐつわもかましておいた。

 相変わらず気持ちよさそうに寝ているメリッサをその場に置いて、ブレイブが寝ているはずの部屋まで走る。彼の性格を考えると、出されたおやつを断らないだろう。今頃は幸せそうに寝ている可能性が高い。

 そして襲撃を受けているだろう。


 ブレイブの死はリベリオン帝国の悲願だ。命を狙っているのはローズ・マリオネットだけではないはずだ。


「絶対に阻止する」


 そう呟いて長剣の柄に手を置く。

 ブレイブがいる部屋のドアは開け放たれていた。なぜか嗚咽が聞こえる。数人が泣いているようだ。

 慎重に様子を窺うと、部屋に白い靄が広がっていた。

 白い靄には様々なものが映し出されている。可愛らしい女の子と楽しそうに談笑する女、追いかけっこをする子供たち、笑顔で酒を飲みかわす男たちなど。黒ずくめたちは、それらを見て床に両膝をついて泣いていた。

 アリアは冷や汗を流した。

「これはいったい……?」

 一歩部屋に入ると、アリアの目の前に若い男女と両親が映し出された。サンライト王国の人たちだと気づいた時に、言い知れぬ想いがこみ上げる。

 アリアがサンライト軍に入ったと報告した時に、喜んでくれた人たちだ。応援され、励まされた。

 今はもうこの世にいない人たちだ。サンライト王国がローズ・マリオネットの襲撃を受けた時に命を落とした。


「私にもっと力があったなら……」


 アリアは肩を落とす。

 悲しく、切ない想いを感じた。

 サンライト王国の女王からブレイブを逃がすように命じられた時に、動揺した記憶がある。僕は戦えると主張するブレイブに対して、あなたにはもっと強い敵と戦ってほしいから、と説き伏せた女王の心境がどんなものだったのか想像がつかない。

 ブレイブは素直に騙されて、女王の指さす方向に走っていった。アリアとメリッサはついていくのがやっとだった。

 そして王城が漆黒の地獄に呑まれるのを、ブレイブは悲嘆の声をあげて目撃する事になったのだ。


 ふと、ベッドから起き上がる人影があった。白い外套を羽織る茶髪の少年だ。


 ブレイブである。


 アリアは安堵の溜め息を吐いた。

「睡眠薬を盛られたわけではなかったのですね」

「おやつに入っていたのかな? 確かに眠いけど、エリックの刃やシルバーの猛毒ほどの効果は無かったよ」

「そうですか……」

 アリアは複雑な気持ちになった。

 ブレイブが殺されていなかったのは良かった。サンライト王国復興の望みは繋がった。


 しかし、危険に晒してしまったのは間違いない。エリックの刃もシルバーの猛毒も、ブレイブに深い傷を与えただろう。

 こんな理不尽な戦いから逃げてしまえと言いたくなる。


 それでもブレイブは微笑む。


「ヒーリングを進化させようと思ったんだ。すごく疲れたけど、成功したのかな」

「靄の事ですか。黒ずくめたちの戦意は奪ったようですが……ヒーリングの進化系だったのですね」

 アリアは複雑な気持ちを胸にしまった。今は自分が仕えるべき主の成長を認識するべきだろう。

 ブレイブは頷いた。

「僕は世界を癒すために、人の心を癒したいんだ。傷を治すだけじゃダメだ。病んだ世界を癒す必要があるんだ」

「……そのために、あなたは何度傷つくつもりですか?」

「分からないけど、頑張れる時に頑張りたい」

 アリアの気持ちを知っているのかいないのか。

 ブレイブが引く気配は無い。

「きっと前に進んでいるよ」

 ブレイブは力強く頷く。

「確実に敵となる人物もいますけどね。ダーク・スカイとか」

 アリアが忠告すると、ブレイブは両腕を組んでうめく。

「彼とは本気で話がしたいんだけどな……」

「諦めてください。私たちの味方にならないでしょう」

「メリッサに聞いてみよう。何かいい案が浮かぶかもしれない」

 そう言って、ブレイブはベッドから降りた。

 アリアが呆ける間に、白い靄が消える。黒ずくめたちは不思議そうに互いの顔を見合わせる。

 辺りは何の変哲もない部屋に戻った。

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