諦めない

 猛毒の噴水が勢いを増す。空高らかに黒紫色の液体をまき散らす。

 同時に、シルバーが先ほどまで乗っていた黒紫色の馬が崩れる。馬の全身が溶け出し、ドロドロの液体となり、噴水に乗るように空へ舞い上がった。

 シルバーは両手を広げて、黒紫色の液体がたゆたう空を見上げた。


「全てを終わらせましょう。我が魂、リベリオンと共に」


 消え入りそうな、か細い声であった。

 黒紫色の液体が、ザっという鋭い音を立てて降り注ぐ。触れれば溶け出す猛毒の雨だ。地上にいる人間に、猛毒の雨を避ける術はない。

 しかし、ブレイブは絶望していなかった。両の拳を構えて雄たけびをあげる。


「僕は諦めない。猛毒から助かる方法を見つけないと!」


「俺も諦めるつもりはない」


 エリックは歩きながら、空に向けて右手を伸ばした。

「インビンシブル・スチール、インフィニティ・シールド」

 地面から生えていた刃と棘が形を変える。刃の先端が割れて薄く広がり、巨大な円盤となる。

 円盤は上空で幾つも生成され、降り注ぐ猛毒の雨と激しくぶつかる。

 猛毒の雨は瞬時に円盤を溶かすが、円盤は瞬時に形が戻る。時折猛毒の雨が地上に到達するが、全身に浴びるほどではない。

 エリックはシルバーのワールド・スピリットをほぼ制圧していると言っていい。

 しかし、ブレイブの胸騒ぎが収まらない。

「まだ終わらない気がする」

「放っておけばよいでしょう。ローズ・マリオネット同士が殺し合っているのです」

 アリアが提案するが、ブレイブは首を横に振る。

「僕はエリックに助けられている。彼にお礼をしたい」

「ローズ・マリオネットにお礼を!? サンライト王国に対する侮辱です、考え直してください!」

 アリアの口調が激しくなった。

 ブレイブも負けじと両目を吊り上げて声を荒立てる。

「助けてくれた相手にお礼をするのが侮辱になるはずがない! 彼はとても酷い事をしたけど、彼の行いを平等に考えるべきだ!」

「エリックはローズ・マリオネットです。リベリオン帝国の誇る殺人鬼です。決して気を許してはいけません!」

「当たり前の事をするだけだよ。良い行いには良い行いで応えたいんだ!」

 ブレイブは力強く言い放った。

 アリアはしばらく唖然としたが、やがて溜め息を吐いた。

「ブレイブ様には敵いません」

「あの……いったい何が起こっているのでしょうか?」

 メリッサが建物の陰に隠れながら口を開く。

「この辺りに安全な場所は無いのでしょうか?」

「安全な場所は無い。諦めろ」

「そ、そんなぁ……」

 アリアの冷たい言葉に、メリッサは涙目になった。

 ブレイブたちが話している間に状況が変化した。

 エリックが走り出していた。その先にはシルバーがいる。シルバーは猛毒の雨を直に浴びていた。銀髪の縦ロールも、黒いドレスも、胸の黄色いリボンも溶けかかっている。

 シルバーはエリックを見つめながら微笑む。

「デッドリー・レインは私の滅びを意味しますの。あなたの幸せな未来を望めないのが悲しいのですが、最期にあなたを見れて良かったですわ」

 シルバーの言葉を聞いているのかいないのか。

 エリックはシルバーのみぞうちを殴る。シルバーは短い吐息を漏らして、エリックの腕の中に崩れた。

 上空の円盤と、猛毒の雨がぶつかり合う音は治まった。猛毒の雨が止んだのだ。

 しかし、シルバーを蝕む猛毒は止まらない。少しずつ皮膚に達している。身体を溶かすのも時間の問題だろう。

 エリックは舌打ちをする。

「術者がワールド・スピリットによる死を望んだら、そのまま死ぬのか。シルバーが意識を失えば止まると思ったのに」

 猛毒は、エリックの両腕にまで浸食する。

 エリックは地面に片膝をついて、シルバーをそっと横たえる。


「俺は何を間違えた……?」


「全てを間違えた」


 アリアが冷徹に言い放つ。

「闇の眷属として世界に害悪を与え続けた。その罪は重い」

 エリックが一瞬だけアリアを睨む。しかし、何も言い返せない。歯を食いしばってシルバーを見つめる。

 シルバーの表情は穏やかだ。

 エリックは肩を落とし、何も言えずにいる。彼のワールド・スピリットが生み出した鋼鉄は崩れ落ち、地面に溶けるように消えていく。

 アリアの視線は冷たいままだ。

「私はおまえを倒すために長い間剣の腕を磨いてきた。ようやく国王陛下の仇が討てる」

 アリアが足を進める。そんなアリアの肩を、ブレイブはバシンッと勢いよく叩いた。

「気持ちは分かるけど、ここは僕に任せてほしい」

「何をするのですか?」

「僕は世界を癒すために最善を尽くす。それだけだよ」

 ブレイブの意図が分からず、アリアは足を止めて首を傾げていた。

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