わたくし、恋する相手を盛大に間違えていました。〜婚約していた王子殿下が、私を嵌めようとした結果。
みこと。
前編
突然。
暗闇から伸びて来た手が、ガシリとわたくしの手首を掴んだ。
狭い路地から
枯れ枝のような指なのに、力が強い。
彼女の口からは
「アドラム公爵令嬢イーディス。私は数十年後のお前。
「無礼な!」
老婆の手を、思いきり振り払う。
「お前は、婚約者であるデュラン第一王子が浮気相手を
「!」
(殿下が男爵家のダナ嬢を妊娠させたことは世間に知られているにしても。わたくしが媚薬を買いに今日ここに来ることは、誰にも言ってない。なぜ知っているの?)
(まさか本当に、未来のわたくし……)
このみすぼらしい老婆が?
ゾクリ、と
(そんなはずないわ!)
「ブレナン!」
「はっ」
後ろに控える護衛騎士が、即座に
国で指折りの騎士ブレナン。
元は第二王子ルイス殿下に仕えていたが、剣の腕が立つ殿下自身が"護衛の数を減らす"と宣言。ブレナンは第二王子の紹介状を携え、我が家に来た。
以来、わたくしの専属だ。
「この者をとらえなさい!」
いつも迅速なブレナンが、わたくしの命令に首を傾げた。
「この者、とは……。恐れながらお嬢様。どの者のことをおっしゃっておられるのでしょうか」
「何を言っているの? いま、わたくしの目の前に! この通路に佇む老婆よ!!」
建物の影になっているとはいえ、十分に視認出来る人間相手に、ブレナンは要領を得ぬ様子で動かない。
老婆が笑った。
「ククク、無駄だよ。他の人間に、私は
「なっ!」
「私の言葉を信じる気になったかい? いいかい、もしお前が薬に手を出せば、それは発覚し、断罪されて家を追われることになるだろう」
「……そう。あくまであなたは、未来から警告に来てくれた"わたくし自身"だと言うのね。でも、家を追われるほどの大事になるかしら。我が家は公爵家。そして薬を使う相手は、将来を約束した婚約相手よ」
媚薬は確かに問題だが、追放されるほどの大罪には思えない。
「なるさ。媚薬は、媚薬とは語られない。王子の
「!?」
思いもよらない老婆の言葉に、わたくしは絶句した。彼女はそのまま語り続ける。
「王族の血を引く相手に手を出したと発覚すれば、いかな公爵令嬢とはいえ罪に問われよう。たとえそれが、胎内の赤子でもな」
「待って、なぜそんなことになるの」
「裏通りにある薬屋は、金さえ積まれれば何でもする
「どうしてデュラン殿下が、嘘を強要させる必要が──!」
「デュラン第一王子は、お前との"婚約破棄"を狙っているのさ。気に入りのダナ嬢を妃に
「っ! 婚約破棄ですって?」
「そう。しかし何の落ち度もない公爵家の娘を、一方的に婚約破棄には出来ぬ。けれど相手が罪を犯したなら、話は別。公爵家の有責で破談に出来る」
アドラム公爵家の令嬢は悋気が強く、王族の血筋に毒を盛る非道な娘。
罪のない
「……筋は通っているわね」
「そう。それに、だ。デュラン第一王子の浮気相手は、妊娠していない。彼女を囲うための方便だ」
「!!」
「元よりいない胎児が、臨月を迎えたら困るだろう? しかし憐れなるかな、子は恋敵の公爵令嬢によって流れてしまった。罪を着せて排斥するに、お前は絶好の相手というわけさ」
そして邪魔な婚約者を断罪して排除し、被害に遭った令嬢を代わりに迎える。
世論も男爵令嬢に同情するだろう。
第一王子が望むなら、妃は、子を亡くした憐れな男爵令嬢で良いのではないか。
家格は劣るが、高位貴族の養女にする
王族の子を孕めるほど体の相性も良いなら、後継ぎ問題の懸念が減る上、養子にした貴族家は、未来の王子の外戚になれる。
受け入れ先として名乗りをあげる家は、出てくるだろう。
「もともと、この国の王族は、その魔力の高さゆえ子が出来にくく、出生率が低い」
「……ええ、だから王家の流れを汲む、我が公爵家からわたくしが選ばれたわ。魔力が釣り合う方が、子を得やすいもの」
妊娠が公表された時、おかしいとは思った。
相手は男爵家の娘。魔力差から、そう簡単に
だからデュラン殿下の火遊びも、周りが放置していたのだ。
(はっ、わたくしったら、なぜ怪しい老婆の話を真に受けているのかしら)
けど……。思い当たることも多い。
デュラン殿下は、わたくしのことを望んでいない。
それは、常々感じていたことだった。
なのにわたくしは彼に愛されたくて。
媚薬に
挙句、こんなところまで秘密裏に薬を求めに来た。
薬屋が「堕胎薬だった」と証言すれば、わたくしには証明出来ないかも知れない。
「そんな……。なら、わたくしはどうすれば良いの……」
「何もせぬことだ。そうすればお前の身分は守られるし、彼等はやがて自滅する。なに、
老婆が示唆するのは、ルイス殿下のことだろう。
武勇の誉れ高く、才知に長けた行動派の第二王子。
美貌で騒がれる声も多いのに、まだどの家の令嬢とも婚約を結んでおらず、"よほどの姫をお望みなのだ"という声と、"初恋を忘れられないらしい"という声の二説が有力。
もしも王位を継げば名君になり得る、優れた王子殿下だということは、わたくしも感じている。
でも。
「お花をね、くださったの」
ぽつりと、思い出が零れ落ちた。
「ん?」
「あなたが"わたくし"だと言うならば、知っているでしょう? わたくしがデュラン殿下を好きになったわけ。子どもの頃、病で寝込んだわたくしに、あの方が毎日お花を届けてくれた」
「!!」
「いつ治るとも、本当に治るとも知れない病に心削られ、ずっとベッドで泣いていたわたくしの部屋に、毎日お花が届けられた。窓辺に置かれるささやかな野の花だったけど、いろんなお花で、いつも"明日は何のお花かしら"と楽しみに待っていた。わたくしは殿下からのお花を支えに生き延びて、やがて病を克服出来たわ」
「……その花の贈り主が、デュラン第一王子……?」
なぜか目の前の老婆の声が、微かに震えている。
「ええ。公爵家を訪れて、誰にも咎められずに窓辺に花を置ける人物なんて限られてる。わたくしが尋ねたら、側仕えが"王子殿下だ"と教えてくれたわ。当時はもう、婚約してたもの。会えば素っ気ない態度をとられていたけど、陰では優しくしてくださったのよ……」
ポロリと、涙が頬を伝った。
「なのに、ここまで
「ちが、う」
「え?」
焦る声に顔を上げると、老婆がわたくしに伸ばしかけた手を中空で止めていた。
「っつ。とにかく即座に帰って、くれぐれも用心して過ごせ。待てば、事態は解決する。させる者が、
そう言い残し、老婆は足早に路地奥の闇に身を溶かしていった。
「お嬢様……」
遠慮がちなブレナンの声に振り返ると、彼は困ったように眉を下げてわたくしを見ていた。
「今夜はもう、お屋敷に戻りましょう」
護衛に促されて、わたくしは帰路についたのだった。
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