癒しの天使の治癒魔法 唯一の治癒者は大忙し

七沢ななせ

第0話 戦場のシスター

「ああ……ルミナちゃんを最後に見れたから、安心して死ねるよ。手も握ってくれていい気分だ」


「何を言ってるんですか、フランクさん。あ……ちょっと寝ちゃ駄目です! もうすぐ治りますから!」


 毛布の上に寝かされた兵士の手を握りながら、一人の女が大声を出した。乾いた血が張り付いている兵士の頬を軽く叩いて、女は耳からするりと落ちてきた淡い金髪をかき上げる。

 兵士の手は握ったまま、ルミナはくるりと後ろを振り返った。騒がしいテントの中でも通るように、ルミナは声を張り上げる。それでも、呻いている患者たちの身体に障らないように気を付けることは怠らない。


「シスター・マルグリット、お水をください」

「はい、シスター・ルミナ」

 

 黒い修道服をまとったシスター・マルグリットは、穏やかな表情を浮かべて頷いた。彼女が水を運んでくると、柔らかなコットンに水を含ませて、フランクの乾いた唇に雫を落とす。唇の間に水が流れるのを見計らって、次々と水を飲ませていく。


「ありがとう」


 フランクが安心したように身体の力を抜くのを確認して、ルミナはそっと立ち上がる。そして振り返りながら次々と指示を飛ばした。


「マークさんが寝返りを打たないように固定してください」

「シスター・ハンナ、包帯を取り替えてもらえますか?」


 話しながらも、ルミナが手を休めることはない。患者たちの傷を拭い、消毒し、テントの奥で煮沸している包帯とガーゼの様子を確認する。


「うう、ルミナさんか」


 腕に矢傷を負った兵士の様子を確認して立ち上がろうとしたとき、隣で休んでいた兵士がそっとルミナのスカートを掴んできた。


「傷が痛みますか?」


 彼の耳に唇を近づけて囁くと、彼はゆっくりと頭を振る。まぶたを薄っすらと開けて、彼がかすれた声で言った。口元に耳を近づけなければ聞こえなほどの小さな声だった。


「一つ頼みがある」

「はい」

「俺のせがれと結婚してやってくれないか」

「……アルバートさん」


 神妙に言ったが、感動しているわけではない。彼は初対面だし、もちろん彼の息子なんて知らない。仕事に戻りたいところだが、プロの治癒師ヒーラーというもの、患者さんたちの話は極力聞いてあげなければならない。丁寧に対応することにする。


「俺が死んだら息子を頼むよ」

「アルバートさん、あなたはまだ死にません。さっき治癒魔法を施したでしょう? それに私はシスターですから、どなたとも結婚しません」


 死にゆく患者なら手を取って結婚すると約束しただろうが、彼は腕を矢で貫通されただけである。普段なら大怪我というところだろうが、ここは戦場。胴と首を泣き別れにされた遺体や、槍で串刺しにされた遺体も当たり前のように転がっている。アルバートの傷を軽症だと言い切ってしまう自分の感覚が麻痺していることは重々承知の上。


「そうか――」

「仕事に戻りますね、アルバートさん。どこか痛むようでしたら、遠慮なく声をかけてくださいね」


 うなずいたアルバートに微笑み返し、ルミナは次の仕事にとりかかろうと身体をうーんと伸ばしたその時。


 すさまじい爆音が響き渡った。


「ルミナさん!」


 一緒に働いているシスターたちが鋭い声で叫ぶ。


「大声を出さないでください。患者さんたちを落ち着かせて」


 ルミナは目を細め、わずかに開いたテントの隙間をにらむ。煙の鼻を突く刺激臭が漂ってきた。耳元でぽんっと何かが弾け、すぐに複数人の声が混じったような言葉が流れ始める。


『南陣営、エカルド王国側ニヨル爆撃アリ。本国陣営、一部崩レアリ』


 ルミナの耳元をふよふよと浮いている大人の拳ほどの大きさのそれは、このアストレイア王国で生み出された技術の結晶である。「風話機ウィンドフォン」と呼ばれている機械だが、一見ただの球体にしか見えない。しかしよく見ると、球体の中を靄のようなものが渦巻いているのがわかるだろう。今はその靄が唇の形を描いていた。


 ルミナはよく知らないのだが、風魔法と消滅魔法の一種を利用しているらしい。街の科学者によると、天空の電気エネルギーも一部使用しているとかなんとか。とにかく大変高価なもので、軍の一部でしか使用されていないという貴重品である。


「治療班ルミナ・キルシュタイン。了解しました」


 風話機に向かってそう言ったとたん、それは跡形もなく消えた。


(急がないと)


 ルミナは自分の手を見下ろした。袖をまくり上げて、腕の内側に刻まれた文字を見つめる。蛇がのたくるような模様は、この国の文字ではない。赤く刻まれているその文字は半分以上が消えかけて、弱々しく明滅していた。


「もうちょっと、頑張って」


 ルミナはつぶやくと、テントの奥に走った。


◇◇◇


 アストレイア王国は、ルベル大陸の最南端に国土を構える大国である。国土の南に海を臨み、東には神々の最初の戦い、創世戦争の際に地面が盛り上がってできたというフィーラス山脈がそびえたつ。厳しい自然と豊かな風土に恵まれた国であったが、現在は7年にわたる南西戦争の真っ最中だった。


 アストレイアと聞けば、人々は強大な軍事国家と連想する。南側に位置するため、年中通して暖かく雪もあまり降らない。主な国益は海からとれる海産物や埋蔵される鉱山資源である。そのため、首都のアストアは巨大な貿易港として名を馳せている。


 が、それゆえに外敵も多い。


 歴史を辿れば、世界史に名を残す大戦が多く見つかる。およそ百年前までは他国の支配を受けていたアストレイアだが、現在は独立国として強大な軍事力を誇る大国となった。現在行われている戦争の原因も、そこにあった。


 アストレイアをかつて支配していたのは、西にあるさらに巨大な宗教国家エカルド。アストレイアの独立をかけた最後の対戦が終了してから早95年。そのエカルドが7年前、突如としてアストレイア最大の軍事施設を爆撃したことがこの戦争の始まりだった。


 今まで何度もあった国境近くの小競り合いとは格が違う。両国の軍事力はほぼ互角。なかなか決着がつかず、現在はアストレイアが優勢という状況だった。どちらも和睦という選択肢はないようで、戦争は7年目に突入するというかなりの長期戦となっていた。


 アストレイアの軍事力をここまで高めているのは、世界最強と謳われるアストレイア陸軍――誓星せいしょう軍である。最大の強みは、何といっても魔師ましが存在することだろう。そして彼らの魔力を研究し、兵器に活用しようとする魔法調査団の功績も大きい。


 魔力というのは親から受け継ぐこともあればある日突然発現するものもある。代々魔力を受け継ぐ家系を魔族と呼ぶが、現在は魔族の中でも確固たる地位を築いた「御三家」が陸軍を取り仕切っているという状況だった。


 一家はアンベール、二家はヴァレンタイン、そして三家はキルシュタイン。陸軍のみならず、海軍や空軍をおいても御三家が要人となっていることが多い。御三家が重宝され、敬われる理由。それは由緒ある血筋ももちろんだが、圧倒的な魔力量を維持できる者が多いことにもあった。


 一度に放出できる魔力には限界がある。それは使用者の体力に依存することもあれば、年齢、環境……様々なものに影響される。魔力を多く消費する魔法ほど威力を発揮する。魔力量が多ければ多いほど強くなれる。つまり、生まれながらに魔力量がすさまじく、技を連発できること、もしくは持久力にすぐれている魔師たちを多く輩出している。それが御三家なのである。


 ルミナは御三家、キルシュタイン家の出身であった。攻めのアンベールなら支えのキルシュタインと呼ばれるように、キルシュタイン家の者は持久力が抜きんでて高い。より魔力を多く消費する広範囲の結界魔法や盾魔法を得意とする。それらは総じて守護魔法と呼ばれるが、その中でもより重宝されるのが治癒魔法である。


◇◇◇


「重傷者はこっちへ! シスター・フラン、軽症者はあちら側で応急処置をお願いします!」


 テントが開けられ、続々と負傷者が運ばれてくる。呻き声をあげて傷口を抑えている者や、意識がない様子で担架に横たわったままぴくりともしない者もいる。ルミナは修道服の袖を捲り上げ、頬に張り付いている髪を払った。


「シスター・ルミナ、お願いします!」


 運ばれてきたのは肩の上に切創を負った兵士だった。汚い布がきつく巻かれており、一応止血はしているようだが、それでも血は止まっていない。兵士の指から血が滴っているし、脱がされた鎧も血まみれだった。上から鉈のようなものを叩きつけられたのか、深い傷が肩の曲線に沿って刻み込まれている。


 ルミナは止血布をほどき、傷口を子細に観察する。鉈は骨で止まったようだ。骨が砕けていないことに、ひとまずほっと息をつく。骨を再生させるとなったら、とてもではないが魔力が持たない。ルミナは自分の腕の内側を見る。弱々しく明滅する文字を一瞥し、そっと目を閉じた。


(お願い。もう少しだけ、耐えて)


 ルミナの治療を見守っていた者は息を飲んだ。彼女の修道服から覗いた細腕の手首あたりに、不意に黄金の輪が三本出現したのだ。ひざまずいて両手を組み、目を閉じる彼女は敬虔な信者のようだったが、ぽうっと暖かな光を放つ金の輪はさらに輝きを増して回転し始めた。アンクレットのようなそれは、明らかに腕に触れずに平行に回転し続けている。


 ルミナは目を閉じていたが、頭の中ではっきりと、横たわる兵士の全身を見ていた。視点は傷口に移り、望遠鏡をのぞくように視界を狭くしていく。千切れている筋肉の筋、出血し続ける毛細血管や動脈をを子細に観察する。ルミナの治癒魔法は裁縫に似ている。針で布を縫うように、ずたずたになったそれらを一つづつ繋げていくイメージだ。丁寧に。ゆっくりと。


 無意識のうちに呼吸が荒くなる。冷たい汗がこめかみを伝った。全身を引き裂かれるような痛みがルミナを襲う。悲鳴が聞こえる。空中で炸裂する爆弾。空を埋め尽くす黒い矢の雨。敵が来る。絶望だ。仲間が携えた巨大な盾の向こうに、敵の陣営が見える。こっちへ来る。足音を立ててこっちへ――。


 目の前に鉄の刃が現われた。曲がった刃だ。力任せに振り下ろされるそれが視界を覆う。ぐるっと視界が回転し、次の瞬間焼けるような痛みが全身を貫いた。絶叫する。口の中に生臭い鉄の匂いが広がっていく。熱い。熱い。熱い! もう一度絶叫する。あまりの痛みに地面をのたうち回り、爪を立てて血が混じった地面をひっかく。敵か味方かもわからない靴が自分の頭をにじった。突撃していく兵士たちに傷ついた肩を蹴り飛ばされ、意識が遠のいていく。


 ルミナの視界はそこで暗くなった。


「はあっ、はあっ」


 荒い息をついて目を開く。手がぶるぶると震えていた。今日だけで何百回も見た景色だ。けれど、こんなに生々しく、痛みを強く感じたのは今回が初めてである。魔力切れが近い。


(魔力が)


 めまいがする。震えている手が他の兵士たちから見えないようにしながら腕を裏返すと、赤い文字はさっきよりも薄くなっていた。明滅する感覚が長い。少しの間目を閉じると、ゆっくりと呼吸を整えた。ベールの間に髪を押し込んで、ルミナは自分が治療した患者の肩を見下ろす。


 何事もなかったように肉がつながり、出血も止まっていた。兵士の顔も穏やかになり、ルミナはほっと息をついた。あのまま放置していたら、腕を切断するしかなくなっていただろう。ルミナは湿らせた布で兵士の血を拭ってやりながら、何度も深呼吸をした。

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