3.タヌキがおじさんを御招待した話

「先生。先生。すみません。起きて下さい。もうすぐ駅です」


 子どもの一生懸命な声が、おじさんのひじを何度も揺すっています。


「え? ああ、すまない。眠ってしまったか」


 終列車の隅っこの座席で、いつものようにうつらうつらと眠ってしまったおじさんは、顔を上げると円い眼鏡の奥で目蓋をぱちくりぱちくりしました。


「ありゃりゃ? 誰が起こしてくれたのかな?」


「ボクです。狸です」


 隣の座席にお行儀良く坐っていた小さな子狸が、おじさんのひじから、そっと前足を離しました。


「やあ、君か。ありがとう」


「そんな。とんでもありません」


 子狸は、はにかんで鼻面を隠しました。


「今日も眼鏡を借りに来たのかい?」


「いえ。今日はそうではなくて。あ、駅に着きました」


 おじさんは大学の先生で毎日遅くまで大学で研究をしているのでした。二人は電車を降りて、風に潮の香の匂う駅の改札を通り抜けました。


「あ」とおじさんは立ち止まりました。


「君、切符は買ったのかい?」


「いいえ。切符ってなんですか?」


「知らないだろうなあ。いいよ、わたしが出すからね」


 おじさんがポケットから財布を出そうとすると、駅員さんが笑って止めました。


「この子の切符はいいんですよ、お客さん」


「しかし……」


「二時間ほど前に、この子から、お客さんをお迎えにいくのだけど、電車に乗せてもらえませんか、と頼まれましてね」


 駅員さんは子狸の頭を撫でました。


「こんな小っこい子狸から運賃を取るほど、日本国有鉄道は落ちぶれちゃあ、いませんよ」


「そうか。ありがとう」


 おじさんが頬笑むと駅員さんも笑って敬礼しました。


「ありがとうございます」


 子狸も後足で立って敬礼したので、駅員さんはアハハと笑いました。




******



 おじさんと子狸が歩き出すと、空には月がかかっていました。


「やあ、今夜も月がきれいだなあ」


「そうなんです。今日は満月ではありませんが「のちの月」と呼ぶんです。仲秋の名月の、その次の十三夜です」


「ああ、そうか。後の月か。君は偉いね。よく知っているね」


 狸ははにかんで尻尾を揺らしました。


「ありがとうございます。あの、それで、今夜もお祭りなので、先生をお誘いに来たのです。一緒に行きませんか」


 狸は一生懸命に言いました。


 すると、おじさんはわずかに眉を寄せました。今夜は満月ではなかったので、子狸が迎えに来るとは思わなかったのです。


「それはありがとう。ただね、申し訳ないが、今夜は満月ではなかったから、支度をしてなかったんだよ。せっかくだけれど、また今度にさせて貰えるかな」


「そうですか」 子狸はしょんぼりとうつむきました。


 おじさんは狸の脇にしゃがむと、その顔を覗きこみました。


「ああ、すまなかったねえ。ほんとうに申し訳ない」


「いえ、いいんです。お気になさらないでください」


 子狸は元気に顔を上げましたが、その瞳は潤んでいました。


「ひいひいおじいさんも申しておりました。狸はヤッコセだけどにんげんはチュッコセだから、お誘いしても御迷惑になるかも知れないよ、って」


「そうか。おじいさんはそんなことも御存知なのかね。たいしたものだ」


「ヤッコセとチュッコセってなんですか?」


「うむ。夜行性というのは、昼間眠って夜に活動する狸のような生き物のことだ。昼行性というのは逆に、夜は眠って昼間に活動するわたしら人間のような生き物のことだよ」


「そうでしたか。それで先生は夜になると眠いんですね。僕、失礼しました。ごめんなさい」


「いいんだよ」


 おじさんは子狸の頭を撫でました。


「わたしは君たちのお祭りに誘ってもらえて、ほんとうに嬉しいんだよ」


 狸が顔を上げると、おじさんはハンカチを出して涙を拭いてやりました。


「あり、あり、がとうございます」


 狸は尻尾をもじもじさせました。


「もし、君たちが良かったら、わたしは明後日の満月の日には仕事を休んで昼寝をするよ。そしたら、夜からのお祭りに出られるだろう?」


「ほんとうですか?」


 子狸は嬉しくて、おじさんの膝に前足をかけて尻尾をブンブン振りました。


「うれしいです。ありがたいです。わあ、みんな、大喜びしますよ!」


 そう言ってはしゃぐ狸が可愛くて、おじさんは思わず抱きしめました。


「きゅうう、きゃうう」狸は嬉しくて不思議な声を出しました。




 子狸とおじさんは、おじさんの家の前で別れました。


 松林にむかって走って行く子狸を、おじさんはいつまでも見送っていました。

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