第24話【プライスレス】

 オリーブ食べ過ぎ事件後、家族から食事管理を徹底された銀仁朗は、快調そのものであった。毛ヅヤも良く、無駄なお肉も減っている様で、今までの食生活がやや不摂生であった事を裏付ける形になっていた。


「なーんや最近、めっちゃ調子ええわ。やっぱり、腹八分目が丁度ええなぁ」


 呑気な銀仁朗の言葉に、玲が冷静に突っ込みを入れる。


「今までが食べ過ぎだったんだよ、銀ちゃん。これからも健康でいられるように、私たちがちゃんと管理していくからね!」


「へいへい。宜しゅう頼んます」


 そんな他愛のない会話をしていると、玲のスマホから着信音が鳴りだした。


「電話だ。誰からだろう……あ、麻美からだ。もしもーし」


「もしもーし、じゃないよ玲! 大変な事になってるよ!」


「えっ? どうしたの、そんなに慌てて」


「ネットニュースに上がってんだよ! コアラを背負った少女を目撃したって記事が!」


「え……うそ——」


「嘘じゃないよ! しかも、玲の家の近所で写真撮られてるっぽかったよ。顔にはモザイクかけられてたけど、知ってる人が見たら、すぐに玲だって気付くんじゃないかな」


「どうしよう……」


「とりま、ネット記事のURLをVINEで送るから、確認してみて」


「うん、わかった」


「何があっても、うちは玲と銀ちゃん達の味方だかんね!」


「ありがと。ちょっと記事見てから、親とどうするか相談してみる」


「うん……きっと大丈夫だから。何かあったら連絡してね!」


「うん、ありがと。それじゃ、また」


「じゃね!」


 玲は電話を切ると、麻美が送ってきてくれた記事のURLが貼り付けられたメッセージを開いた。そこには、麻美の言っていた通り、銀仁朗を背負い自転車に乗っている玲の姿が掲載されていた。


「お母さん、大変だよ!」


「どうしたの? 急に大声出して、珍しい」


「これ見て!」


「何? あぁ、ネットニュースね。何の記事なの……って、これあなたじゃないの⁈」


 英莉子の言葉に、玲は小さく頷いた。


「こないだの、朝早くから公園に行った日だよね」


「うん。その日しか銀ちゃん背負って自転車に乗ってないし」


「もう少し早く帰って来てたら、こんな写真撮られなかったかもしれないわねぇ……」


 ただならぬ様子を察知して、銀仁朗も二人の会話の中に入ってきた。


「どないしたんや? 何かあったか」


「銀ちゃん。それがね、ちょっと前に玲と公園に出かけた日があったでしょ。その日の姿が写真に撮られてて、ネットニュースになってるのよ」


「ほんまかいなぁ。それはちぃとマズいんとちゃうか?」


「そうよねぇ……」


「お姉ちゃん、お風呂上がったよー。次入る……って、どったのみんなして? ママ、何かあった?」


「それがね、かくかくしかじかで——」


「まーじか、やっちまったなー」


「ごめんね、銀ちゃん。私が甘かったよ……」


「いやいや、玲は悪ないって。頭上げてくれ。あの日、わしが夢中になって遊び過ぎたんが悪いんやから」


「でも……」


「それに、玲はわしの気を遣って外に気晴らしに連れてってくれたやろ。そんな優しさに甘え過ぎて、わしも周り気にするん忘れてもうてたんや。すまん!」


「とりあえず、二人とも頭を上げて。もう少ししたら、パパ帰ってくるから、それから家族会議を開きましょう。パパならきっと、良い解決策を考えてくれるからさ! 玲はその間にお風呂入っちゃいなさい」


「うん、そうする……」


「だーいじょうぶ! そんな顔しないで」


 責任を感じ、目を赤らめている玲の頭を、英莉子は優しく撫でた。


「ありがと。お風呂行ってくるね」




 玲がお風呂から上がって十分程経った頃、健志が帰宅した。おおむねのあらすじは、英莉子とのVINEでのやり取りで把握していた為、帰宅早々に家族会議が開催される事になった。


「いやぁ、少し面倒な事になっちゃったね」


「父上、お疲れのとこ申し訳ない」


「いや、いいんだよ。遅かれ早かれ、こういう事態には直面するんじゃないかとは考えてたからね」


「お父さん、ごめんなさい! 私が軽率だったからこんな事に……」


「大丈夫だって。パパに任しておきな! とりあえず、帰りの電車の中でネットニュースの削除依頼は済ませてあるから」


「健ちゃん、流石! 仕事が早い」


「でも、すぐに消える物でもないし、拡散されてたら止めようが無いんだけどね」


「そうよねぇ。どうしたもんか……」


「僕に一つアイデアがあるんだ」


「どんなアイデア?」


「玲の部屋に、銀ちゃんそっくりなコアラのぬいぐるみがあっただろ。それを使って、敢えてまた話題になるってのはどう?」


 以前、麻美が遊びにやって来た際に貰ったコアラのぬいぐるみがある。それを背負って街中を走れば、ただのぬいぐるみを背負った少女がいたという話で済むのではないかという考えだった。


「うーん、でも何で少女がコアラのぬいぐるみ背負ってるのってならない?」


「だ、だねぇ。理由付けが必要になるか……」


「試しにぬいぐるみを抱っこ紐に取り付けてみる?」


 玲はそう言うと、部屋から例のぬいぐるみを持ってきて、実際に抱っこ紐にセットしてみた。


「あぁ、やっぱり。これだとぬいぐるみ感が否めないよ」


「だねぇ。そだ! ぬいぐるみが駄目なら、あの手でどうだろうか」


「あの手って?」


「上手くいくか分からないから、今は内緒にしとくよ。ちょっと時間かかるかもだし」


「ひとまず、今日の所はお開きにしましょうか。健ちゃんも仕事終わりに疲れたでしょうし。先お風呂に入る?」


「いや、ちょっと手回しが必要だから、英莉ちゃん先入ってもらっていいよ」


「そう。じゃあ先入るね。ありがと」




 本日の緊急家族会議では、抜本的な解決策を見出す事は出来なかった。しかし、健志の頭の中には、解決策になり得る作戦があるようだ。


 早速、それを実行するにあたって必要な人にコンタクトを取ってみるのだった。


「最近連絡してなかったけど、VINEには入ってたよな。えっと……お、あった!」


 VINEのアイコンには、トイプードルの写真が使われていた。飼い犬だろう。ユーザー名は『すわぴー』となっている。健志の大学時代の同窓生の諏訪すわ亜美あみだ。


「とりあえず今日はメッセージを送るだけにしておこう。まだ仕事中かもだしな」


 メッセージの内容はこうだった。


『すわぴー、お疲れ。久々で何なんだけど、折り入って頼み事があります。金銭的なやつじゃないから、そこは安心して下さい! ちょっと家族の事で、のっぴきならない問題が発生してて、お力添え頂きたく思います。またお手すきの際に連絡くれたら助かります』




 メッセージを送信してから一時間程が経った頃、諏訪から連絡が返ってきた。


『健ちゃん、おひさ! どしたの急に? 私で良かったら相談聞くけど』


 健志は、メッセージを確認するや否や『今電話出来る?』と返信した。すると、諏訪から電話を掛けてきてくれた。


「健ちゃん、何があったの? 急にあんな連絡が来たから心配で心配で」


「すわぴー、久しぶり! いや、ちょっと困った事が起きちゃっててさー、すわぴーのお力を借りられたら解決するかもって思って連絡したんだ。急にごめんね!」


「私で何とかなるのかな? で、何があったの?」


「ちょっと電話では伝えづらい内容で……」


「あ~、健ちゃん浮気ばれちゃった系でしょ⁉ それなら私じゃ力になれないよ~」


「違う違う! 家族の問題ではあるけど、そっち系じゃないから!」


「なら良かった。まぁ~健ちゃんは浮気とかする人間じゃないの知ってたけど」


「だろ~! とにかく、近々どこかで会って話せないかな? 職場、神戸だよね?」


「そうだよ。今も元町のファミリエ本店にいるよ」


「変わってなくて良かった! そこで働いてるからこそ、力になって貰えるかもって思って連絡したんだ」


「そうなの? 何だかよく分からなけど、私に出来る事なら協力するから」


「そう言って貰えて助かるよ。ちなみに、急で申し訳ないけど、明日とかって時間作れたりする?」


「明日か~。もしかして、結構切羽詰まってる感じ?」


「……まぁまぁ」


「わかった。シフトいじって、午前中会えるようにするよ。こっちに来てもらえる?」


「助かる~、さすが店長さん! もちろん僕がそっちに行かせて貰いますので」


「店長ったって大した事ないよ、全然。じゃあ、行きつけのカフェがあるから、明日の十時にそこで落ち合おっか。場所の詳細は後で送っとくね」


「ありがとう。恩に着るよ」


「まだ力になれるかどうか分かんないけどね。じゃあ、そう言う事で、また明日」


「うん、宜しく」




 翌日。約束の十時ちょうどに指定のカフェの近くに着いた健志は、店の前に立っている諏訪を見つけた。


「久しぶり、すわぴー。五年ぶりくらいだね」


「おはよう、健ちゃん。元気そうで何よりだわ」


「いやぁ~、それがあんまし元気じゃないんだよねぇ」


「そうだったね、ごめんなさい。立ち話も何だし、中入ろっか」


 店の中へ入ると、昭和にタイムスリップしたかのような、カフェと呼ぶよりも、喫茶店と呼んだ方がしっくりとくる雰囲気の店だった。


「良い感じでしょ、ここ。凄く落ち着くのよね~。あ、マスターおはようございます」


「いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」


「奥の個室って空いてます?」


「空いてますよ。どうぞお使い下さい」


「へぇ。カフェに個室があるんだ」


「ちょっと前までは、喫煙者用で使ってたらしいんだけど、今は条例で喫煙禁止になってるから、ただの個室になったみたい。たまに商談とかで使わせて頂いてるのよ」


「なるほど。穴場だね!」


「マスター、ブレンドをホットで」


「僕も同じ物をお願いします」


「かしこまりました」




 店の奥へ進むと、ガラス製の重厚な扉があり、そこを開けると、いかにも昭和感のある四角い木製のテーブルと、緋色のベロア生地の椅子が四脚置いてあった。


 椅子に腰かけると、諏訪が口を開いた。


「で、話って何だったの?」


「まずは、これ見て貰えるかな」


 そう言って、健志はくだんのネットニュース記事を諏訪に見せた。


「これ、私も見たわよ。結構話題になってたから。この記事がどうかしたの?」


「実は……ここに写ってるの、僕の娘なんだ」


「えぇ~⁉ ホントに?」


「うん」


「じ、じゃあ、この背中のコアラは、一体何だったの?」


「すわぴーを信用して話するんだけどさ、この事は、絶対に口外しないって約束してくれないかな? お願い事をしに来ている分際で、こんな言い方するのも何なんだけど」


「ご家族の問題なんでしょ。誰彼に話する訳ないでしょうに」


「うん、そうだよね。ありがとう。じゃあ、事のあらましを説明するね。実は——」


 健志は、諏訪に銀仁朗に関する話を語った。言うまでもなく、諏訪は終始驚きを隠し切れない表情のまま耳を傾けていた。


「何その話……。作り話でも突拍子過ぎない?」


「僕がこんな嘘つくとは思わんでしょ?」


「たしかにそうなのよねぇ。きっと全て本当の話なんでしょうけど……頭が付いていかないわ」


「それで、今日お願いしたい事ってのはさ——」


 話が本日の核心部分となり、諏訪は居住まいを正した。


「マネキンを貸して欲しいんだ!」


「……は?」


 諏訪は、健志からの思いもよらぬ依頼内容に、さらに頭が回らなくなり、開いた口が塞がらなくなった。


「マネキンにコアラの着ぐるみを着させてさ、ただのマネキンでしたー的な記事に見立てられないかなって考えてるんだよ」


「……あ、あぁ、なるほど……。でも、何でコアラの着ぐるみを着たマネキンを背負ってるのっていう疑問が浮かぶんだけど、それはどう解釈させるつもり?」


「そこも、協力して欲しい部分でさ……。実はファミリエの広告だったって感じに出来ないかなと思ったんだけど」


「はぁ~。なかなかにぶっ飛んだアイデアだね」


「ファミリエでも赤ちゃん用の抱っこ紐とか取り扱ってるでしょ? それの宣伝で少女がコアラを背負ってたって事にできないかな?」


「私の一存では何とも……。でも面白いマーケティング方法にはなりそうかもね。同期の子が販促課のマネージャーしてるから、ちょっと掛け合ってみる事は出来るかもだけど」


「マジで! めっちゃ助かる‼」


「シナリオ通りに行かない可能性の方が高いよ」


「可能性はゼロじゃない。それで充分だよ!」


「……健ちゃん、そんな熱い人間だったっけ?」


「家族を護る為だったら、熱くだってなるさ」


「そうだね。ごめん、愚問だった。分かった、私もちょっと頑張ってみるよ」


「久々に会って、こんな話をする事になって大変申し訳ない」


「大丈夫だよ~。とにかく、ご家族の為に良い着地点が見つかるようにしてあげよう」


「そうだね。今日は本当にありがとう。色々とお手数かけちゃうかもだけど、宜しくお願いします」




 諏訪との話し合いを終えた健志は、その足で近くの神社へと向かい、そこに奉られている神様へ、今後の抱負をお伝えした。


「最善かどうかは分からないですが、今出来る事はやれたと思います。家族を護る事が私の至上命令だと思っています。それを成し遂げられる様に、ご助力頂けたら幸いです」




 諏訪からの返事は、その日の夕方に届いた。


『今朝の話についてだけど、SNS担当の方から面白そうな企画だって事で、高評価を頂いてます。もちろん、アレの事は話してないからね! もう少し企画を詰める必要があるから、稟議りんぎが通るまでもう少し待ってて貰えるかな?』


 そのメッセージを見て、健志はすぐに返信した。


『それは朗報だ! ありがとう。くれぐれも無理はしなくていいからね。また連絡待ってます』


 メッセージを送り終えた健志は、果報は寝て待てだなと考え、昨晩あまり寝付けなかった分、今夜はぐっすり眠ろうと心に決めた。




 翌朝、まだ諏訪からの連絡は来ていなかった。焦ってもしょうがないと思い、通常通り仕事へと向かった。




 ちょうどお昼休憩を取ろうとした時、スマホの着信が鳴った。諏訪からだった。


「あ、もしもし健ちゃん。今電話できる?」


「お疲れ。今から休憩だから大丈夫だよ。何か進展あった?」


「その話なんだけど、何とかなりそうなの。でも、娘さんに少し負担が掛かるかもしれないのがちょっと気がかりなんだけど……」


「どういう事?」


「あの記事を、広告の布石として使用するんだったら、あの少女が別の人間に代わってたら辻褄つじつまが合わなくなるでしょ。そのままあの子で行けるのなら、ゴー出しても良いって言われてるのよ」


「なるほど、そういう事か……。もちろん、顔出しは無いよね?」


「いや、出来たらモザイクとかは無しの方が有難い……」


「モデル……デビュー的な事になっちゃう?」


「良く言うと、そうなるね」


「うーん。うちの子、前に出るのとか苦手なんだよな~。特に目立つ事が嫌いで、そういうの絶対避ける性格なんだよ」


「ごめんね。弊社の都合優先するような感じになってしまって」


「いや、でも話を持ち掛けたのはこっちだから、すわぴーが謝る事じゃないよ」


「気遣いありがと。娘さんにも、少し打診してみて貰えたら助かります」


「そうだね。ダメ元で話をしてみるよ」


「じゃあ、また進捗しんちょくがあったら連絡してね」


「わかった。色々とありがとう。じゃあ、また連絡します」


「無理だけはしないでね。じゃあ」


 電話を終えると、健志は何とも言えない気持ちになった。トラブルを解決する糸口が見つかったが、その為には玲に犠牲を強いるかもしれなというジレンマに陥ったからだ。


「絶対嫌がるだろうな~、玲」


 そう言うと、健志は大きな溜め息をついた。




 仕事を終え帰宅すると、既に第二回家族会議の準備が出来ていた。


「ただいま。玲、話はママから聞いているかな?」


「うん。聞いた」


「やっぱり……嫌だよね、モデルさんとか」


 健志の発言後、リビングに、しばしの静寂が流れた。意を決した様に、玲の口が小さく動く。


「……私、やる」


「そうだよね~、嫌だよ……って、え?」


「だから、やる。やりたい!」


「ほ、本気で言ってるのか? 英莉ちゃん、大丈夫なのかな?」


「玲にこの話をしたらね、ちょっと考えるって言って、さっきまでずっと悩んでたの。でも、銀ちゃんの事を護れるんだったら、自分が頑張るっていう結論になったみたい」


「玲、無理しなくても良いんだよ」


「ちょっとまだ不安があるけど、自分が出来る事って何だろうって考えたら、これくらいの事しかできないなぁって思ったの。お父さんも、色々考えてくれてこういう流れになったんだと思ったら、私も出来る事をやろうって気持ちになったんだよ」


「玲……。わかった。じゃあ、先方にお願いするって伝えるよ?」


「うん、大丈夫。頑張る」


「凄いねー、お姉ちゃん。ファミリエのモデルさんになるんだね!」


「モデルとか、私が出来る訳ないって思ってたけど、実は前からちょっと興味はあったんだ。最近、ファッション誌とかもちょくちょく見てたし……」


「へぇ~、玲がファッションに興味持ってたなんて、パパ知らなかったよ」


「ちょ、ちょっとだけだよ。銀ちゃんが来てからさ、私に色んなアドバイスをしてくれてるんだ。その中で、何事もチャレンジするのが大事だっていつも言ってくれてて、前までだったらこんな話が来たとしても、絶対に断ってたと思う。でも今は、少しでもやりたいって思える事には何でも挑戦しようって考え方に変わってきてるんだ」


 玲の心の変化を知り、英莉子は優しく微笑みながら「銀ちゃん様々ね」と言った。


「そうだね。本当にそうだと思う。だから、銀ちゃんの為になるなら、モデルにもチャレンジしようって思えたんだ」


 健志は、玲の意思が無理強いではなく、自らの考えの基から出たものであると分かり安堵した。


「よし。じゃあ早速連絡をしてくるね。玲、ありがとう!」


「うん、私頑張るから!」




 それから二日後。SNSマーケティングは、話題の新鮮さが重要であるという事で、撮影のスケジュールはスピーディーに決まり、週末の朝に実施される運びとなった。


 撮影を翌日に控えた夜、諏訪から電話が掛かってきた。


「健ちゃん、明日は宜しくね。私は畑違いなんだけど、関係者って事で私も撮影に同席することになったから」


「そうして貰えたら有難いよ。娘もだけど、僕らも何が何だか分からないまま、トントン拍子に話が進んでくから、ちょっと困惑しててさ」


「でしょうね~。本当にごめんなさい」


「いやいや、前にも言ったけど、こちらの都合ありきだから、すわぴーは謝らないで」


「そうだったわね。ありがとう。じゃ、明日現場で会いましょう」


「うん。また明日」


 電話を切った健志は、玲の部屋のドアをノックした。


「玲、今大丈夫かい?」


「どうしたの、お父さん?」


「ん? いや、緊張とかしてないかなぁ~って」


「もちろん不安だけど、緊張とかは無い。むしろ、ちょっと楽しみな感じ」


「そ、そうか。なら良かった」


「お父さんの方が、なんか顔引きつってるよ」


「あぁ、ごめん。パパの方が心配し過ぎちゃってるかもね、あははっ」


「ふふっ。ありがと、お父さん。心配してくれて」


「良い方向に物事が進むといいね」


「そだね。話はそれだけ? 明日早いし、もう寝るよ」


「あぁ、そうだったね。おやすみ」


「うん、おやすみ」




 ゆっくりとドアを閉め、退室すると、銀仁朗がすぐ後ろに立っていた。


「うわぁ、びっくりした!」


「父上、大きい声出したらあかんがな。桜っこはもう寝とるで」


「ご、ごめん(じゃあ驚かさないでよ……)」


「わしがこの家に来たことで、迷惑ばっかり掛けてしまって、ほんますまんな」


「何言ってるんだよ、銀ちゃん。迷惑なんて一つもないよ」


「でも、今回の事やって、わしが原因やろ」


「そんな言い方しないで銀ちゃん。感謝こそすれど、迷惑だなんて僕らは一切思ってないから!」


「……感謝?」


「そう、感謝だよ。玲が自分からやりたい事言ってくるなんて、今まで全然無かったんだから。誕生日もクリスマスも、プレゼント何が欲しいって聞いても『特にない』しか言わない子だったんだから」


「物欲が無いだけちゃうんか?」


「それもあるけど、玲はちょっと優柔不断な所があってさ、なかなか自分の意思を決めたり、何かを選んだりするのが苦手なんだ。きっかけはともあれ、そんな玲が、自らの意思でモデルやりたいって言ったんだよ。これは成長以外の何物でも無い。それを後押ししてくれたのは、紛れもなく銀ちゃんなんだよ!」


「そうなん、かなぁ。わしにはよぉ分からへんわ」


「分からなくてもいいよ。僕らが分かってるから。それで充分さ」


「そうか……。すまん、ありがとう……。その言葉を聞けて、安心したわ……。あぁ、悪い、ちょっと顔洗ってくるわ」


 銀仁朗の目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。銀仁朗もまた、様々な責任を感じていたのだ。健志の言葉で、その不安が払拭され、胸のつかえが取れたのだろう。


 洗面所へと走っていく銀仁朗の背中へ向かい、健志は「大丈夫。君も大切な家族だ。みんなで護るからね」と言った。




 撮影当日。まだ朝日が昇りきらない中、ロケ現場の公園に到着した。


「おはよう、健ちゃん。それと、初めまして。諏訪と申します」


「おはようございます。妻の英莉子と、娘の玲と桜です」


「お、おはようございます。大原玲です」


「桜です、おはようございます」


「今日は宜しくね。難しいポーズとかはしなくていいから、気楽にやってね!」


「はい、頑張りますっ!」


「リラックス、リラックス。じゃ、撮影担当呼んでくるから、ここで待ってて」


「宜しくお願いしますっ!」




 撮影場所の近くに、銀色のロケバスが停まっていた。その中で着替えやメイクなどが行われた。神戸を代表するブランドだけあって、どれも洒落たデザインの服や小物ばかりであった。メイクなどを担当する女性スタッフの松岡さんが、玲の着替えなども全てフォローしてくれていた。


「よぉし、カンベキ! 玲ちゃんは基が可愛いから、いつもよりもっと可愛くなっちゃったんじゃな~い?」


「そ、そんなことない……です」


「ダメよ~、そこ否定しちゃ! 女の子は、みーんな可愛いの! 自信持って」


「は、はい!」


「じゃ、ファーストカット行っちゃいますか!」




 初めての撮影がスタートした。慣れない事ばかりで初めは戸惑っていたが、カメラマンの褒め言葉の嵐に、玲も少しずつ上機嫌になり、それらしい表情が出来るようになった。


「いいね、いいねぇ~! 初めてとは思えないよ~。玲ちゃん素材が良いから、良い写真いっぱい頂いてますよ~」


 その様子を見て、桜は冷静に言った。


「パパ以上にチョロいんじゃないか、お姉ちゃん……」


「コラ、桜。聞こえたらどーすんの! せっかく良い感じになってきてるんだから」


「いや、英莉ちゃん、僕のフォローは……」


「健ちゃんも静かに!」


「あ、はい、すみません……」




 撮影は順調に進み、例のカットを撮ることになった。


「次は、あの記事のカット行こうか。準備よろしく~」


 カメラマンの指示により、自転車などの小道具が用意された。そこには、コアラの着ぐるみを着せた赤ちゃんマネキンもあった。松岡さんが玲に近づき、準備を始める。


「じゃあ玲ちゃん、このマネキンをこの抱っこ紐にセットして背負ってくれる?」


「はい、分かりました」


「でも、何でコアラなんだろう? まいっか。話題になればこっちのもんだしね~」


 その言葉に、玲は苦笑いした。




 自転車にまたがり、ネットニュースの記事と同じアングルでの撮影が始まった。当然ながら、ファミリエの商品であることをアピールするために、今回は遠目からの写真ではなく、近影のカットを撮影する。


「よぉし、朝日もバッチリ良い感じになってきたね~。玲ちゃん、もうちょっとこっち振り向けるかな~。あーそうそう! バッチシバッチシ~。グッドだよ~」




 撮影を傍観していた健志は、鳴り止まないシャッター音に、一度の撮影で何枚の写真を撮るのだろうか、などと考えていると、カメラマンから「オールオッケー!」という大きな掛け声が聞こえて来た。


「お、終わったんじゃないか?」


「そうみたいね。玲もホッとしてるわ」


「どんな写真になるんだろねー。楽しみだなぁー」


「健ちゃん、撮影終わったよ。玲ちゃん凄いね! 初めてでちゃんと表情とかポージングもきっちり出来てたよ!」


「どうなんだろうね。僕ら素人にはよく分からんまま終わったって感じだけど」


「ううん。きっと良い写真が撮れてるよ。私の勘がそう言ってる」


「すわぴーの勘を信じるよ。本当に色々とありがとう」


「諏訪さん、私からもお礼を言わせて下さい。ありがとうございました」


 両親が揃って頭を下げているので、桜もそれに倣って頭を下げた。


「お礼を言いたいのはこっちの方です。ありがとうございました。また今後の事は健ちゃんに連絡入れるようにするね。じゃあ私は、担当者の所に行くから、またね」


「うん。お疲れ様。また宜しくね」




 ロケバスから、普段着に戻った玲が降りて来た。側で待っていた健志が玲に駆け寄る。


「玲、どうだった? 疲れただろう」


「めっちゃ疲れた~」


「あ、いつものお姉ちゃんだ」


「何よ、その言い方」


「さっき向こうにいたお姉ちゃんは、まるで桜の知らない別人みたいだったから」


「そうねぇ。桜の言う通り、私たちの知らない人みたいだったね」


「なんかヤダな、その言われ方……」


「気を悪くしなたら謝るわ、ごめんなさい。でも、私たちが言いたかったのは、玲の違う一面を垣間見て、凄いなぁ~って思ったってだけよ」


「私、上手に出来たかな?」


「カメラマンさんも褒めてたし、パパのお友達も、初めての撮影なのに凄いって言って下さってたわよ。自信持って!」


「そっか、なら良かった」


「今日は疲れただろうし、この後、甘い物でも食べに行きましょうか?」


 英莉子の提案に、桜が「パフェ食べたーい」と、玲の意見を聞く前に答えた。そんな、いつもながらにお転婆で能天気な桜を見た三人は、顔を見合い、笑顔になった。




 撮影から五日が経った日の夕食後、諏訪からのメッセージが届いた。


『このあと八時ちょうどになったら、この間の撮影した写真が、弊社の公式インストに掲載されることになります。素敵な写真が撮れていましたので、是非楽しみして下さい!』


 健志は、皆を集めて、このメッセージを読み上げた。リビングには、大きな歓声が上がった。皆が口々に「楽しみだね」と言っていた。




 予定時刻の八時まで、残り一分となった。全員が固唾を飲んで健志のタブレット端末を覗いている。


「まだかなまだかなぁー。お姉ちゃんの世界デビュー」


「世界デビューってオーバーだな」


「でも、ネットに載るって事は、全世界の人が目にするって事じゃん。だから世界デビューだよー」


 姉妹の会話に、英莉子も感慨深げにコメントした。


「玲が世界デビューか……。銀ちゃんが来るまでは、そんなこと予想だにしなかった事態だわね」


「わしが来てから、何かと皆には迷惑かけたな。すまんかった。そして、ありがとう」


「すまんはいらないって言っただろ、銀ちゃん」


 健志がそう言った瞬間、タブレットの画面上に、あの日の撮影ショットが映った。


「キ、キターーーーーー」


 それは、朝日を背に受け、坂の上で凛々しく自転車にまたがる少女の姿だった。その少女は、言うまでもなく玲だった。しかし、普段見る事のない表情を浮かべており、健志や英莉子ですら見たことのない、真新しい玲の姿であった。


「か……かっこいい……」


 桜が、聞こえるか聞こえないかくらいの声で言った。心からそう思ったのだろう。


「凄い、凄いよお姉ちゃん! めちゃめちゃイケてるッ‼」


 玲は、画面に映る自分の姿を凝視し続けていた。その顔に満面の笑みを浮かべながら。


「これが玲か? まるで別人やなぁ。大したもんや!」


 当然ながら撮影現場に行けていなかった銀仁朗は、これが初見であった。銀仁朗の目もキラキラと輝いていた。




 この写真は、瞬く間に多くのイイネが付いていった。コメント欄には、以前のネットニュース記事を引用し『今回の写真の伏線だったのか』と書いてある物が散見された。


 全てがシナリオ通りに行った訳ではなかったが、概ね健志の狙い通りとなった。


「パパのアイデアって、こういう事だったんだねー」


「何かを護る為に吐く嘘ってやつさ。玲の頑張りも相まって、何とか丸く収まってくれてひと安心だわ」


「やっぱり、お父さんは大原家の頼れる大黒柱だね。ありがとう!」


「いつぞやの大富豪では、弱々の大貧民続きだったけどな」


「それはそれじゃないの。こうやって家族の危機をきちんと解決してくれる、頼もしい存在でしょ」


「大貧民からの大逆転だー!」


 決め台詞的な感覚で叫ぶ健志だったが、すかさず英莉子にたしなまれた。


「そんな自分を卑下ひげする様な言い方はよして下さい」


「ごめんごめん。あ、今気付いたんだけどさ。僕はいつの間にか、本当に大富豪になってたみたいだわ」


 健志の言葉の意味が理解出来ず、皆の頭上にハテナマークが浮かんだ。


 英莉子が代表して健志に真意を尋ねる。


「言ってる意味がよく分かんないんだけど、どういうこと?」


「だって僕は、いくらお金を積んだって買う事の出来ない、最高のお宝を手に入れてるんだよ!」


「さっきからパパは何のこと言ってるのー?」


「君たちの存在が、どんなお宝よりも価値のある、この世で一番のかけがえのない財産だってことだよ!」


 健志はそう言うと、皆をギュッと抱きしめた。するとリビングには、どんな宝石や黄金よりもキラキラとまばゆい輝きを放つ、大きな愛の塊りが形成された。


 それは、いかなる怪盗にも盗まれる事のない、唯一無二の無形財産であった。




「いやぁ~、くっさい事言いよるのぉ~父上は。なんやくっさ~なってしもたから、わしちょっと風呂入ってくるわ~」


 家族の暖かな抱擁ほうようシーンを目の当たりにした銀仁朗は、そんな捨て台詞を吐くと、腕で顔をぬぐいながら、一人お風呂場へと向かって行くのだった。


 銀仁朗の目から溢れ出た涙の味は、とても優しい薄味だったとさ。



 ―おわりー

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