コヨーテの啼く夜に

櫻井金貨

第1話 コヨーテが歩く土地

「今朝、ホセが死んだんだよ」


 その日、招きに応じて訪れた夫と私に、彼、Jさんは言いました。


 私達が近所で仲良くしているJさん夫妻は、近くに住む高齢の一人暮らしの男性、ホセさんをよく助けてあげていました。


「一日に何度も電話がかかってきてね、もういいかげんにしなさい! なんて言ったこともあったんだけど」


 Jさんの奥さんが言います。


 病を得た後、ホセさんは室内でも転倒するようになり、よく助けを求めて電話をしてきたとのことでした。


「今朝、病院でね。最後、みんなにありがとう、ありがとう、ってお礼を言っていた。医師や、看護師や、家族や……私達にもね」


 キッチンで話し込む男達を置いて、リビングルームに移動したJさんの奥さんと私。

 Jさんの奥さんは話を続けます。


「うちの夫は、ホセより二歳若いだけなの。私も来月手術の予定があってね。いつまでここで暮らせるかしら、なんて思ったりもするのよ」


 窓の外はすっかり暗くなりました。

 いつもなら、明るい午後に訪ねることが多い、Jさん宅。

 夜にお邪魔したのは、その日が初めてのことでした。


***


 道路の両側には、黄色く枯れた草地が広がっています。

 冬のために牧草を刈り取った後の、秋の終わりの風景です。

 そこに、独特の姿勢で歩く、一匹の動物がいました。

 大きな耳。お尻を下げて、まるで忍者のように草地を進んでいきます。

 大きくフサフサした尻尾は下がったまま。

 犬ではありません。


「コヨーテだ」


 私がつぶやくと、車を運転しながら夫が問いかけました。


「何匹?」

「一匹だけ」

「ふぅん」


 キツネよりは大きく、オオカミよりは小さい。

 コヨーテは中型犬より、ちょっと大きいくらいかな。


 私達が暮らす田舎では、コヨーテは珍しくありません。


 ここは起伏のある丘陵地帯。

 オークの森が点在し、その間に牛が放牧されています。

 まるで草原のように見える草地も、誰かの所有地です。


 それぞれの敷地が広いので、家々は隣り合うことなく、ぽつんぽつん、と建っているのが、のどかです。


 この田舎に引っ越して、まずしたのは、夫と一緒に我が家の敷地中を歩き回ることでした。


 ガイドは夫です。


「一応、敷地の中央をこの小道トレイルが走っている」

「ふんふん」(トレイル? ハイキングみたいね)


 小道から外れて、お隣との境界を見るために、木々の間を下って行きます。


「一応、敷地はぐるっと柵が張ってあるけれど、結構壊れている箇所もある」

「ふんふん」


「あんな感じで、大きな木が柵の上に倒れてしまっている。木を動かすのにトラクターがいるけれど、ここは木が多くてトラクターを入れられないから、たぶん、今後も放置」

「ふんふん?」(お、なかなか大変な感じですね)


「森の中は結構、木が倒れているよ。チェーンソーで切って、薪にしても、まあ一生薪には困らないね」


 ふたたび小道に戻ってくると、夫が地面を指さしました。


「これは、コヨーテのもの」


 ん? と思って地面を見ると、そこには野生動物のが。

 犬のよりも大きいですね。


「犬じゃない。コヨーテのは動物の毛が入っているんだ。コヨーテはリスやウサギを食べるし、シカも襲う」


 ここにコヨーテのがあるということは、もちろん、ここにコヨーテが来ていたということで。


 散歩をするのが好きな私は、一瞬、どうしよう、と思ったのでした。

 突然、目の前に、バーン!! とコヨーテが姿を現したら……!?

 すると私の考えを読んだかのように、夫は言いました。


「ランニングをしている時に、コヨーテとばったり出くわしたことがある。コヨーテの方が逃げて行くから大丈夫。普通は」


(普通は!?)


 ちょっと不安になりましたが、自然が豊かなこの土地柄。

 田舎暮らしは動物達との共存であることがわかっています。


 シカやカメは家庭菜園を荒らしていくし、アルマジロは庭に穴を掘ってしまいます。

 小鳥やリスはたくさんいますし、春先は野ウサギもたくさん。

 森の中にはアライグマもいますよ。

 死んだふりをする、ポッサムというおかしな動物もいます。


 要注意なのは、スカンクですね。

 臭いで攻撃されたらどうしよう、と思うとひたすら「出会いませんように」と祈ります。


「危険なのは、クマとかヤマネコとかかな?」

「クマは出ないと思うけど、知り合いの家の暗視カメラに映ってたって。どこかにいるかもしれないよ。ヤマネコは危ないね。夜になったら森の中に出てくる」


 夜の森か……。


 それは怖そう、と私は思いました。

 外灯がいっさいないので、夜になると、この辺りは真っ暗です。

 灯りは、家の中の照明のみ。


 そのおかげで星はすごくよく見えるのですが、周囲は、ましてや森の中は、何も見えません。


 突然、背後でガサガサっ! なんて音がしたら、どきっとすること間違いなしです。


 夜の主役は、野生動物達。


 暗くなったら、家の中に入る。

 まるで小さな子どものようですが、それが自然な暮らしになりました。


 ああ、遠いところに来てしまった。

 日本にいれば、夜明けも日没も関係なく生活できます。

 暗くなれば、外灯が自動で点灯しますし。


 でも、草地をコヨーテが歩くこの田舎暮らしでは。

 大自然のリズムとともに、人間も生活するのだなぁ。

 改めてそう実感したのでした。

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