透明王(インヴィジブル・キング)の異世界革命譚

@futao_sorato

第1話 ロストグラフ編「透明人間と魔女」

「透明人間になれたら何をしたいですか?」


 バラエティー番組なんかでたまに見る、こんな質問。


 そんなことは起こらないと分かっていても、つい考えてしまう。


 姿を隠して悪いやつを懲らしめたい?


 知り合いをこっそり驚かしたい?


お金を盗むとか、ストーカーするとか、犯罪行為に及ぶやつもいるかもしれない。

 なにせ誰にもバレない。分かりっこないんだから。


 だがいざ透明人間になれたら、きっと一番に願うことは──「元に戻りたい」、だろう。

 そう思わないやつはきっと、よほど透明人間になったままやりたいことがあるのだ。


 例えば、目の前に小さな女の子がいる。

 八歳か九歳くらいか。


 まともな生活をしていれば輝くようなツヤが出るはずのブロンドはぺったりと薄く、それなりの物を食べていれば玉のように光るだろう白い肌は土に汚れ、これからの未来に輝くはずの青い両目は長らく太陽を見てないためにくすんでいる。

 服は破れて薄いあばらが見え、細い足首には枷が付いてる。


 そんな子が人並みの幸せを手に入れる手伝いが出来るなら──どうだ。

 しばらくは透明人間でいるのも悪くないと思わないか?



 萩野はぎの月人つきと、高校二年生。

 ついさっきまで俺は、学校の校舎裏にいたはずだった。

 片思いをしていた先輩から呼び出され、まさかの告白を受けたのだ。

 しかし舞い上がる俺を待っていたのは「ジャンケンで負けたらキモいやつに告白するゲーム」で、そのターゲットにされただけだった。

 イケメンと笑い合いながら俺を指差す彼女を見て、強く願った。


(ああ、もう消えたいなぁ……)


 そして俺の体は本当に消え始め──


 ──気付いたときには、この薄暗い洞窟にいたのだ。


 なるほど、告白も含めて全ては悪夢か。

 ふー、良かった。

 ホッとした。

 目が覚めれば惨めな思いなんてしないですむ、平穏な日常が始まるのだ。


 もう一度まぶたを閉じる。


 その時だった。

 ぎゅむ、と俺の腹に重たいものが落ちて──息苦しさのあまり、夢でないことに気付いた。


 俺と彼女・・との、運命の出逢いだった。





「ふえっ?」


 鼻が詰まったみたいな、やけに幼い声が腹の上から聞こえる。

「なんかいる……?」

 加えて舌ったらず。

「……つんつん」

 やめろ、腹をつつくなくすぐったい。


 鼻の穴に指を突っ込むんじゃない!


「いい加減にしろ」

 立ち上がると同時に、ころん、とちっこいガキが転がった。

「ふあ?」

 目が慣れてきた。

 どんな鼻垂れクソ坊主が腹の上に乗っかったんだと思いきや……

 お人形さんみたいなお子さまが、へたり込んでいた。


 日本語を喋ったけど、日本人じゃないな。

 腰まである天然のブロンド。

 コバルトブルーの目。

 明かりが少なくて分かりづらいが、恐らく色白。

 いいとこのお嬢ちゃんのようだ。しかしずいぶん汚れて痩せこけている。


 うーん……現実味が薄い。やっぱこれ夢かな?


「お前、一人か? 親はどうした。ここ、どこだか分かるか?」

 最後の記憶は校舎裏で終わっているが、さすがに日本から離れちゃいないだろう。

 しかし彼女の返答は意味不明だった。


「やっぱりだれかいる……?」


 目が見えないというわけでもなさそうだが。

「ここにいるぞ、ちびっこ。見て分かんねーのか?」

 ばん、と胸を叩いて、しかし違和感に気づく。

 叩くべき胸が見えない。

 いや、叩く手も見えない。おかしいな、足も見えないじゃないか。

 鏡は無いか、鏡は。

 水溜まりを見つけたので覗き込むと、やはり俺の顔は映らなかった。


 どうやら俺は透明人間になってしまったらしい──。


 ……。

 ……ま、そんなこともあるだろう。

 いざこうなると、すぐに理解して受け入れてしまうのが俺の長所だ。


 ショックといえばショックだが、別にいいじゃないか。どうせ片思いの先輩にからかわれる程度のつまらない顔だ。すね毛もちょっと濃かったし、その割にあそこの毛は薄かったし、胴に対して脚が短かったし、たまに脇が臭ったし。いっそ全部消えた方が魅力的かもしれない。


「って、そんなわけあるかよ……これからどうすりゃいいんだ」

 顔を覆って立ち尽くすが、手が見えないから地面が見えた。

 そこに、ひょこっ、と覗いてくる、ちびっこの顔。声で大体の居場所を察知しているのだろう。


「……おにいちゃん、姿が見えないの? ふしぎね……」

 彼女はしかし、ちっとも怖がる様子もなくぺたぺたと俺の体を触って存在を確かめようとした。

「だいじょうぶだよ、ニュトわかるよ。ここにいるのね。からだ、おっきいね」

 笑うと小さな歯が見える。

 ニュト、っていうのがこの子の名前らしい。

 やっぱり、八、九歳くらいかな。

 彼女は俺の横腹に抱きつくと、さすさすと背中を撫でてくれた。どうやらちびっこなりに、異常事態に戸惑う俺を慰めてくれているようだ。

 優しい子だな。


「ああ……なんか気を遣わせちまって悪い。透明なのはさておき俺は萩野月人っていうんだが、ニュト、ここがどこか分かるか?」

「ちゅきと、ここはろーや」

「ツキトだ。ろーや?」

 その発音で俺が知ってる単語は「牢屋」しかないんだが……まさか違うよな?

 そもそも現代日本に牢屋なんて無いし、留置所なら分かるが、それならこんなネイチャーなほら穴じゃないだろう。


 とは言え、嫌な予感がしてふらふらと歩きながら明かりの方へ向かう──くそ、今まで知らんかったが、自分の体が見えないと歩きづらいな──と、ゴツい鉄柵が俺を出迎えた。


 マジで牢屋かよ……。

「しかも何だ、よく見えないが遠くに立ってる連中が着てるの、あれ甲冑じゃないか?」

「ちゅきと、ここにいる? おっきい声だすと、怒られちゃうよ?」

 いつの間にかくっ付いてきてたニュトが、探るように俺の体をぺたぺたと叩く。

「ニュト、知ってたら教えてほしいんだが、このろーや・・・があんのはどこの国だ……?」


「ろすとぐらふ」


 ……。


「パボニカたいりくの、ろすとぐらふおーこく」

 あ? どこの何だって?

 さっぱり分からんぞ。

 ふーむ。


 よし、ちょっと頭を切り替えるか。

 ニュトが嘘をついているとは思えないし、考えていても始まらない。

 謎の体になって謎の国にいるとしたら、自分の力じゃどうしようもない。


 苦労して育つと精神がタフになるもんだ。体が透明になったこともそうだが、不幸な出来事も突然の事故もままあることだと受け入れられる。


 俺は一旦、どっかりと座った。


「そんで、お前はどうして牢屋に閉じ込められてるんだ?」

 とりあえずここからは出られなさそうだ。出来ることと言えば、幼い同居人の話し相手になってやるくらいだろう。

 現状を知るためにも、俺は彼女に向き合った。


「ニュト、まじょだから閉じ込められてるの」

 牢屋、王国と来て次は魔女か。

「魔法で悪さでもしたのか」

「してないよ」

「何もしてないのに閉じ込められるのか?」

「まじょは生きてるだけでざいにんなんだって。えいゆうさまが、そう決めたの」

「生きてるだけで罪人って、そんな無茶苦茶あるかよ。英雄様? 誰だそりゃ」

「世界を救ったえらいひとたち。国のみんなも、オトナもコドモも、みーんなえいゆうさまの言うこと聞かなきゃダメなんだって」

 何から世界を救ったか知らんが、それ、支配者が変わっただけじゃね?


「お前、どのくらい閉じ込められてるんだ?」

「一年くらい……たぶん。ろーやに入れられたとき寒くて、今また寒いから」

 第二次性徴が始まる頃の大事な一年をこんな牢獄で過ごすなんざ、冗談じゃないぞ。


 段々と腹が立ってきた。

 こんなワケの分からない存在になっちまった俺なんかにも優しく懐いてくれるような子供が、生きてるだけで罪人扱いとは理不尽すぎる。

「親はどうしたんだ」

「……ころされちゃったの」

「は? マジかよ……誰にだ?」

「……えいゆうさま」

 ……俺はこの世界の常識なんて何も知らんが、断言できることがある。

 そいつは絶対英雄なんかじゃねーぜ。


「じゃあ一人か……」

 ニュトはコクン、と頷いた。

「親のいない辛さは分かるよ。俺も小さい頃に両親を亡くしてな……」

 それだけで周りから浮いてしまい、少々ねじくれた俺には友人も恋人も出来なかった。

「俺たち似た者ってわけだな」

「にたもの?」

「仲間ってことさ」

「ナカマ……! ニュトとちゅきと、ナカマ、嬉しい!」


 ニュトはガバッと抱きついてきた。距離感が掴めないからか全身でぶつかってきて、俺はひっくり返る。

 彼女は腹の上にまたがっていて、最初に乗っかられた時と同じ構図だ。

 洗われていないボロがちょっと臭うが、その奥に本来の子供らしい甘い匂いが感じられた。

「いたた……ニュト、静かにするんだ」

「あ、ごめんなしゃい……」

「怒ってるんじゃない。お前は俺にとっても初めて出来た友達だ。そんなやつが牢獄に囚われたままなんて許せないだろう? ……決めた、俺がお前を幸せにしてやる」

「しゃわせ……?」

「お前みたいなやつが不幸せでいる世の中なんて間違ってるだろ。せっかく透明人間になったんだ、そのメリットを限界まで活かしてやる。いいかニュト、これから二人きりのとき以外は俺を無視しろ。話しかけたりしちゃ駄目だ」

「なんで?」

「色々やってみるためさ。仲間を信じてくれるか?」

「うん……ちゅきとがそう言うなら」

「いい子だ」


 そのとき遠くから足音が近づいてきた。

 堂々と柵の間から覗けるのは透明人間のいいところだな。


「飯だ。ちゃんと食えよ、魔女」

 古びたトレイに木の器を一個だけ乗せて、看守が食事を運んできた。

 今度はしっかり見た。鎖帷子くさりかたびらに腰当てに鉄靴てっか、兜は被ってないがやはり西洋風の甲冑だ。


「ありがとございましゅ」

 ニュトは律儀にお礼を言うが、看守は黙って鍵束に手を回す。

 こんな近くで俺が見てるなんて思いも寄らないだろうな。


 ……牢屋番号は「64」か。


 看守が扉を閉める前に、俺はスルリと牢屋から出た。

 自分の体が見えないと相手にぶつからないかヒヤヒヤしたが、ニュトが足枷を付けていることに安心しているのか、看守は油断しているようだった。


 再び看守が去っていくのを待ち、俺はニュトに視線を落とす。

「よく俺の方を見なかったな、偉いぞニュト」

 透明人間だから見たくても見れないのかもしれんが。

「んう? ちゅきと、どこにいるの?」

「牢屋の外に出た。なんだそりゃ、水か?」

「すうぷ」


 具材が何も入ってないじゃないか……こんなもんで一年も過ごさせてきたのか。


「……ニュト、俺は必ず戻ってくる。お前をここから出すと約束する。だから──いいか。俺のことは、二人だけの秘密にしてくれ」

「ちゅきと……ニュトを置いて行っちゃう?」


 初めて不安げな表情を向けた彼女に、俺は柵の隙間から手を伸ばして頭を撫でてやった。

「……すぐ戻ってくるさ。小指を出して」

 ニュトは不思議な顔をしながら小さく小指を立てた。それに俺の小指を絡める。

「これは約束のしるしだ。嘘をついたら後で何だってしてやる」

「うん……わかった」

「いい子だ」

 またなだめるようにそう言って、もう一度彼女の頭を撫でると、俺はゆっくり立ち上がった。


 ──視線の先には細く伸びる暗い牢獄。地下水が滴り、ネズミが脇を歩いていく。遠くに見える明かりはどうやら松明たいまつで、さらに向こうに甲冑を着た看守が立っている。

 未だに実感が湧かなかった。数時間前まで普通の高校生をやっていた俺が、こんなファンタジーな世界で珍妙な存在になって生きているのだ。


 だが。

 いま絡めたばかりの小指に残る感触だけは、確かなものとして俺の存在を肯定する。

 親がいない二人の、底辺から始まるこの夢の行き先がどこへ続いているのか──


 ──俺は見えない拳を、それでも意志を主張するように強く握った。

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