第32話 はんぶんこ



 榊さんが俺を連れて来てくれたのは、俺が普段行かないような、高そうな雰囲気のレストランだった。


「……そういや榊さん、お金持ちだったな」


 なんか、タワマンの最上階とかに住んでるんだっけ? よく知らないけど、そういう噂を聴いた覚えがある。


 ……まあ、うちも父親が元プロサッカー選手で、家とかまあまあデカい。ただそれでも、ずっとサッカー漬けでこういうところに連れて来てもらったことがないから、何だかちょっと緊張してしまう。


 榊さんは、しっかりと予約してくれていたのか。待たされることなく個室に案内され、俺たちは向かい合って席に座る。


「今日は私が奢りますから、好きなもの頼んでください」


「いや、流石にそういうわけにはいかないよ。自分の分くらいは、ちゃんと払うよ」


 とりあえず、メニューを確認してみる。……思ってたより、安い。コースメニューしかないような店だと思っていたが、ランチメニューはかなりリーズナブルだ。


「ここ、お昼は安くて美味しいんです。雰囲気も落ち着いていて、その……デートにぴったりかなと……」


 榊さんは頬を赤くして、メニューの方に視線を向ける。俺も何だか照れくさくて、つい視線を逸らしてしまう。


「……確かにここ、いい雰囲気の店だね。俺、こんな店全然行かないから、ちょっと緊張してる」


「坂島くんは普段、どういう店に行くんですか?」


「俺? 俺は……ラーメンとかファストフードが多いかな。まあでも、そういうのってカロリー高いから、できる限りは自炊で済ませるようにしてるけど」


「そういえば坂島くんは、一人で生活してるんでしたね。……大変でしょ? 毎日、ご飯とか用意するの」


「それは……まあ、慣れたから」


 最近は、古賀さんが作りに来てくれたりしているから、問題ない。……なんてことは、流石に言えない。別に、浮気してるってわけじゃないけど、デート中に他の女の子の名前を出すのはマナー違反だろう。


「それより、メニュー多くて悩むな。……なんか、榊さんのおすすめとかある?」


「私はいつも、海鮮系のパスタを頼みます。ランチだと、サラダとスープがセットでついてきて、お得なんです」


「へぇ、いいね。じゃあ俺も、それにしようかな」


「……あと、このデザートのイチゴのタルトが凄く美味しいんです。タルト生地がサクサクで、イチゴも甘くて……。あ、でも、こっちのモンブランも舌触りが滑らかで……」


 榊さんは少しハイテンションで、いろんなデザートの説明をしてくれる。


「榊さんって、甘いもの好きなんだね?」


「……すみません。一人で、盛り上がってしまって。……少し、緊張しているのかもしれません」


 榊さんは顔を赤くして、また視線を下げてしまう。何だか榊さん、意外と可愛いところが多い。……『塩対応のお姫様』なんて呼ばれていた彼女からは、想像できなかった一面ばかりだ。


 やっぱり俺は、榊さんのことを何も知らなかったようだ。


「じゃあ俺、モンブラン頼むから、榊さんイチゴタルト頼みなよ。それで半分ずつにしようよ。あ、もちろん、榊さんが嫌じゃなければ、だけど……」


「い、嫌じゃないです。……いいですね、それ。なんだがちょっと、デートっぽくって」


「……そうかな」


 なんか、俺まで照れてしまう。そのあと、店員さんにパスタとケーキを頼んで、しばらくちょっと無言の時間が流れた。別に、気まずいとかそういうのではないけれど、しばらくお互いがお互いのことを見つめていた。


 そして、店員さんがパスタを運んできてくれて、俺たちは時間が動き出したように、また会話を始めた。特に何を話したって訳でもない普通の世間話。……でも、榊さんがそういう風に俺と普通に話してくれるのが新鮮で、凄く楽しいなって俺は思った。


 そして食後、頼んでいたデザートとコーヒーが運ばれてくる。


「うわっ、綺麗なケーキ。……ちょっと、写真撮ってもいい?」


「構いませんよ」


 榊さんはケーキを持ち上げて、可愛くピースしてくれる。


「…………」


 俺はケーキの写真を撮りたいと言ったつもりだったのだが、まさか榊さんがそんな風にピースまでしてくれるとは思わず、少し固まってしまう。


「……? どうか、しましたか?」


「あ、いや、ごめん。写真、撮るね?」


 今さらケーキが撮りたいだけなんて言えず、何枚かケーキを持った榊さんの写真を撮らせてもらう。……榊さん、意外と天然なところがあるのか? まあ、いい思い出になったので、これはこれでよかったのかもしれない。


 そのあと、今度はケーキを持った俺の写真を榊さんが撮ってくれて、半分に切ったケーキを二人で食べた。『あーん』とか、そういうことはしなかったけど、ここのケーキはとても甘くて美味しくて、何より……ケーキを美味しそうに食べる榊さんが可愛くて、それだけで凄く幸せな時間だった。


「さて、次はこの辺りを散策するんだっけ?」


 支払いを終えて店を出た俺は、軽く伸びをしながら榊さんの方に視線を向ける。……ちなみに、支払いは割り勘だった。榊さんは奢ると言ってくれたのだが、流石にそれは断った。


 本当は俺が奢ってあげたいくらいだったのだが、ついこの前、新しいスマホを買ったばかりで、手持ちがそんなになかった。


 ……情けない。


 榊さんは、上品な腕時計で時間を確認してから、こちらに視線を向ける。


「そうですね。時間はまだ余裕がありますし、このままこの辺りを散策しながら、歩いて水族館に向かいましょうか?」


「分かった。……俺、水族館とか子どもの頃以来だから、ちょっと楽しみ」


「あんまり大きな水族館じゃないですけど、いろんな魚がいて綺麗なんですよ」


 そんなことを話しながら、俺たちは並んで歩き出す。


「…………」


 榊さんが、当たり前のように俺の手を握る。……別に、手を握るくらいいいんだけど、クールな榊さんがそんなことをするギャップに、無駄にドキッとしてしまう。


 チラリと榊さんの横顔を窺うと、彼女はいつもの凛とした表情で、真っ直ぐに前を見て歩いている。今日だけでもう、榊さんのいろんな一面が見れたけど、凛としている榊さんもやっぱり綺麗だ。


「どうかしましたか? 坂島くん」


 榊さんがこっちを見る。俺は慌てて、視線を逸らす。


「……いや、何でもないよ。ただ、榊さんの髪、綺麗だなって思っただけ」


「……そうですか? その……それは、ありがとうございます」


 榊さんは顔を赤くして、小さく頭を下げる。……余計なことを、言ってしまった。俺もやはり、緊張しているのだろう。言わなくてもいいことばかり、言ってしまう。


 そのまま二人で、ゆっくりと歩く。途中、目についた店に入ってみたりして、いろいろ散策しながら、俺たちはずっと手を繋いだまま歩き続けた。


 そうして、俺たちは並んで水族館にやってきたのだが……


「水族館、閉まってるね?」


「……すみません。まさか、改装中だったなんて……」


 榊さんも、知らなかったようだ。……まあ、小さい水族館でSNSのアカウントとかもないみたいなので、それは仕方がない。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいね? これから行けそうな場所、探しますので……」


 慌てた様子の榊さんが、俺から手を離しスマホでいろいろ調べ出す。この辺りはいろんな店があるけれど、今から行くとなると……


「そうだ、榊さん」


「……なんですか?」


 榊さんは少し気落ちしたような表情で、こちらを見る。俺は榊さんを励ますように笑みを浮かべて、言う。


「最後にさ、ちょっとだけ付き合って欲しいところがあるんだけど、いいかな?」


「付き合って欲しいところ、ですか……?」


「そ。今日は榊さん、いろいろ連れて行ってくれたでしょ? だから、そのお返しってわけじゃないけど、俺がよく行ってた場所に榊さんを連れて行ってあげたいんだよ。ダメかな?」


「いえ、ダメじゃないです。じゃあ、その……お願いします」


 少し元気がなくなってしまった榊さんの手を今度は俺から握って、歩き出す。……あの場所に行くのは俺も久しぶりだけど、榊さん、喜んでくれたらいいなと、俺は思った。


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