第25話 雨



「ほんと、何をやってるんだか……」


 温かいシャワーを浴びながら、小さく息を吐く。


 結局また古賀さんの家にお邪魔させてもらった俺は、古賀さんに勧められるがまま、シャワーを浴びさせてもらっていた。


「まさかこんな短い感覚で、二度も女の子の家のシャワーを借りることになるなんてな」


 この前、川に落ちたのは完全に俺の自業自得だが、今回は不可抗力だ。いくら天気予報を見ていたとはいえ、まさかあんなタイミングで急な夕立が来るなんて、全く想定していなかった。


「あの河川敷、なんか呪われてるんじゃないだろうな……」


 などと、つまらないことを考えている間も、外から激しい雨音が聴こえてくる。ただの夕立だと思っていたけれど、もしかして台風でもきているのか? いやでも、台風がきているなら、天音子さんも俺を呼び出したりはしないだろう。俺も、そんな予報を見た覚えはない。


「もうすぐしたら、古賀さんのご両親も帰ってくるだろうし、できれば早く止んで欲しいな」


 なんてことを考えながら、シャワーを止める。古賀さんは優しいから、先に俺にシャワーを浴びていいと言ってくれた。流石に、濡れたままの女の子より先に俺がシャワーを浴びるわけにはいかないと思ったのだが、強引に押し切られてしまった。


「そういうところは、昔と変わってないよな」


 まあ何にせよ、あんまりゆっくりしていると、古賀さんが風邪をひいてしまうかもしれない。


「ってか、また古賀さんの服借りることになるのか」


 前の段階で大して問題がないことは分かっているが、やっぱりなんだか申し訳ないし、恥ずかしい。ただまあだからって、濡れた制服を着るわけにもいかない。


 俺は諦めて、風呂場の扉を開ける。


「あ」


「……え?」


 そして、そこにはどうしてか、服を着替えた古賀さんの姿があった。


「…………」


「……………………」


 時間が止まる。止まっている場合ではないのだが、時間が勝手に止まってしまう。あー、そうか。もしかして古賀さん、俺の着替えを持ってきてくれたのか。それで俺が変に気を利かせて早く出てきてしまったから、こうして鉢合わせてしまった。


 ……古賀さんも想定外の展開だったのか、完全に固まってしまっている。ここは俺が「きゃー!」とか叫んで、場面転換を挟んだ方がいいだろうか? などと、愚にもつかないバカな思考が頭を過ぎるが、解決案は浮かばない。


 とりあえず今は、風呂場に戻ろう。このままだと、体を隠せるものが何もない。そう思い引き返そうとしたのだが、それより一瞬早く、顔を真っ赤にした古賀さんが叫んだ。


「ご、ごめん! あ、あたしっ、声もかけないで! き、着替えはここに置いとくから!! ごめんなさい……!」


 と、それだけ言って古賀さんは走って、洗面所から出ていってしまう。裸のまま一人取り残された俺は、恥ずかしいやら申し訳ないやらで、なんだか死にたくなっていた。


「……きゃー」


 なんとなく小さくそう呟くが、その声は外の激しい雨音に飲み込まれて消える。……本当に俺は、何をやっているのだろうか? なんだか酷く、自分が情けなかった。



 ◇



「というわけで、こんにちは、落葉お兄ちゃん。あなたの可愛い妹、古賀こが 美海子みみこです」


 着替えてリビングにやってきた俺を、可愛らしいピンク色のパーカーを着た美海子ちゃんが出迎えてくれる。……古賀さんは、俺と入れ替わりでシャワーを浴びている。なんて言っていいのか分からず、まだ謝ることもできていない。


 俺はため息を飲み込んで、美海子ちゃんの方に視線を向ける。


「……こんにちは、美海子ちゃん。何度もお邪魔してごめんね?」


「いえいえ、構いませんよ。落葉お兄ちゃんが来てくれると、うちの金髪イケメンフォルダが潤うので」


「相変わらずだね、美海子ちゃんは」


 俺は大きく息を吐いて、ソファに座らせてもらう。見たところ、古賀さんのご両親はまだ帰ってきていないようだ。


「あれ? 落葉お兄ちゃん、なんだかちょっと元気がないですね? こんな美少女な妹が目の前にいるのに、もったいないですよ?」


「実はさっきちょっと、事故があってさ」


「事故?」


「そ。さっき着替えを持ってきてくれた古賀さんと、風呂場で鉢合わせちゃってさ。……後で古賀さんに、謝っとかないと」


「あ、成功しましたか。うちのラブコメ大作戦は」


「……ん?」


 引っかかる言葉が聞こえた気がして、美海子ちゃんの方に視線を向ける。美海子ちゃんはえへんと胸を張って、得意げに言葉を続ける。


「ラブコメといえば定番でしょ? ヒロインが着替えているところに、鉢合わせてしまうイベント! せっかく家まで来てるのに、前はそういうイベントがなかったので、うちなりに気を遣ってみました!」


「……つまりさっきのは、君のせいなのか」


「はい! 密かに落葉お兄ちゃんのシャワーの音を聴いていて、止まったタイミングで急いでおねぇを呼びに行ったんです!」


「…………なるほど」


 俺は立ち上がり、得意げな少女の頬を引っ張る。


「余計なことをするんじゃない。次やったら、このまま頬っぺた引きちぎるからな?」


「ごべんばばいー」


 と、大して悪びれもせず、美海子ちゃんは頭を下げる。なんだがもうどうでもよくなって、俺は美海子ちゃんから手を離す。


「まあ、俺から謝っとくからいいけどさ。あんま変なことばっかりしてたら、古賀さんに嫌われるよ?」


「それは大丈夫です! うちのおねぇはむっつりなんで、照れたふりして喜んでるはずです!」


「……君が何を言っているのか、俺にはよく分からないよ」


 なんだか体から、力が抜ける。窓の外に視線を向けると、まだ雨は降り続けたまま。


「そういえば落葉お兄ちゃん、今日うちの学校に来てませんでした?」


「あー、よく知ってるね。ちょっと用事があって、お邪魔させてもらってたんだよ」


「やっぱり、そうでしたか。なんか噂になってましたよ? 金髪のイケメンが、グラウンドで生徒会長とサッカーやってるって」


「そうなんだ。なんか急に、サッカー教えて欲しいって頼まれてさ。それでちょっと、お邪魔させてもらってたんだよ」


「なんと! 落葉お兄ちゃん、うちやおねぇだけでなく、生徒会長にまで唾をつけていたとは! 流石、やりますね!」


「変な言い方はやめてくれ」


「失礼。唾、つけられてる方ですもんね? 落葉お兄ちゃんは」


 それはそれで違うのだけれど、まあ、もういいや。この子に反論をしても意味はない。


 それよりやっぱり、噂になってしまっていたか。まあ流石にうちの高校まで噂が広がることはないとは思うが、この前変なのに絡まれたばかりだ。しばらくは、少し気をつけておいた方がいいだろう。


「でも、落葉お兄ちゃん。うちの高校、変な人が多いので気をつけた方がいいですよ? 落葉お兄ちゃんは、少し無防備すぎです」


 俺の隣に座った美海子ちゃんが、子どもに注意するような表情でこちらを見る。俺は小さく笑って、言葉を返す。


「なんか、実は五人のお嬢様四天王がいるんだっけ?」


「そうですそうです。彼女たちは、その筆頭です。お嬢様学校とかいって基本みんな外面だけはいいですけど、ろくな恋愛経験もないので、下手に優しくするとハーレムを築くことになりますよ? 奴ら皆んな、耐性ないんで」


「……それは、どういう脅しなんだ?」


 まあでも、あんなお嬢様高校にお邪魔する機会なんてそうそうないだろうし、変に気にする必要もないだろう。


「それより、雨なかなか止まないね? 美海子ちゃんのお父さんとお母さん、大丈夫かな?」


「あー、なんか今日は帰ってこれないらしいですよ、うちの両親」


「え、そうなの?」


 俺は思わず目を見開く。美海子ちゃんは少し心配そうな表情で、窓の外に視線を向ける。


「うちの両親、二人とも市役所勤めの公務員なんですよ。で、警報とか出るとか呼び出されて待機しとかないとダメなんです」


「え? 警報とか出てんの?」


「みたいですよ。なんか、天気予報が外れて週末に降るはずだった雨が今降ってるって。さっき、お父さんとお母さんから今日は帰れないって、電話がかかってきてました」


 スマホを確認してみると、確かに警報が出ているようだ。昼間はあんなに晴れていたのに、急にこんな大雨が降るなんて想像もしていなかった。


「と、いうわけで、落葉お兄ちゃん。今日はうちに泊まっていきますよね?」


 隣に座った美海子ちゃんが、逃がさないと言うように俺の腕を抱きしめる。温かで柔らかな感触に、思わず体に力が入る。


「そうだよ、落葉くん。こんな雨の中で帰るなんて、危ないよ!」


 と、いつの間にか風呂から出てきていた古賀さんが、空いている右腕を抱きしめる。……さっきのことを気にしているのか、その頬はまだちょっと赤い。


「…………」


 俺は助けを求めるように窓の外に視線を向けるが、やっぱり雨は止んではくれない。


 ……なんだが、甘えてばかりだなって思うけど、二人がいいと言ってくれるなら、甘えてもいいのだろうか? このくらいの雨なら帰れないことはないだろうけど、無理やり帰って怪我でもしたら、古賀さんを傷つけてしまうかもしれない。


「……いや、それも言い訳か」


 泊まるなんてことは考えていなかったが、古賀さんとはまだ少し話したいことがある。せっかくの機会……というわけではないけれど、今日はお言葉に甘えさせてもらうとしよう。


 俺は覚悟を決めて、口を開く。


「じゃあその……お世話になります」


 そうして急遽、古賀さんの家に泊まらせてもらうことになったのだった。


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