綺美子さんは君への興味を隠せない

潮田とまと

第1話

(※ひらがな表記の部分があります)


 一人。光を吸う、漆黒の髪をした少女が語り始める。


 むかーしむかし、

 あるところに浦島太郎というせいねんがいました。浦島はまいにちうみにでて、おとうさんとおかあさんをやしなうためにしごとをしています。


 ーーある日、いつもどおり浦島がはまべを歩いていると、悪ガキどもがよってたかって何かをいじめているではありませんか。

 浦島はすかさず止めに入りました。


 すると、いじめっ子たちはおどろいたようすですたすた走りさっていきました。

 かけよった浦島が、子供たちの中心に目をやると、


 ……それはカメのしがいでした。


 カメはすでに殺されてしまっていたのです。浦島の手の中でカメはピクリとも動きません。


 ーーーー


 ちゃんちゃん。


 ーーーーは?


「いや……終わらせんな!」


 素で口からまろび出たツッコミに彼女のリアクションはない。


「さぁて、この後。浦島太郎はどうなったでしょうか?」


 場に静寂が流れる。


「「つまらなーい!」」


 一人を契機に、子供たちは口々にそう告げた。

当然だ。昔話に都市伝説はつきものだが、そもそもこれではお話にすらなっていない。創作にしても、もっとちゃんとしろというものだ。

 原作リスペクトのかけらもない二次創作は好ましくない。

 『浦島太郎』は確かに報われない話だ。良い行いをしたら報われたいーーというのが一般的な願い。子供の時に読んだ絵本の中でも納得のいかなかった作品の一つだ。しかしそれでもーー、

 

 今は幼稚園で職場体験中。

 高校の授業の一環で、朝から子供たちと戯れている。


 ああ、楽しい。


 ストレスというものに無理解であった中学生時代が懐かしく感じるほど、今の高校生活は精神的にも肉体的にもだいぶこたえている。

 偏差値58と、さほど勉学に特化した学校ではない。それでも授業スピードは中学の比ではなく、マラソン大会で十キロ走らされると聞いた時は眩暈がした。

 だからこそ、こうして自由を謳歌している子供たちを見ると心が暖まる。羨ましさもあるが二対八で安らぎが勝つ。

 そんなこんな朝から脳内を幼児退行させ、偽りの無邪気に身を投じていたわけだが、もう一人ーー同じく職場体験中の女子生徒が変な話をするものだから、一緒に遊んでいた子供たちはすっかり退屈してしまった。


「ちょっと! まだ途中だったんだけど」

 

 そんな彼女の手を引っ張り、少し離れた廊下で問い詰める。


「どういうつもりですか、綺美子さん!

お手洗いで保育士の先生が外していたからよかったですけど、こんな変な話子供たちに聞かせて……教育にも悪いですよ。こんな意味の分からない話……」


 彼女が僕の相方、黒咲綺美子さんだ。

品行方正で成績優秀……なのだが、こうした意味不明な言動が有名で、近寄りがたいオーラを身に纏っている。

 これは学校では共通認識だ。

 しかし、避けられている理由はそれだけではない。

 墨汁を被ったような黒髪は艶やかで、その目も黒一色。吸い込まれそうな瞳とはこういうことなのだろうか。

 対して肌は漂白されたような、真っ白に近いオフホワイト。人として綺麗というより、この黒と白の対比からか芸術的な美しさをも感じる。 

 つまりは容姿も人間っぽくないのだ。自然的でない容姿に本能が拒絶してしまう。

 以前、クラスの女子の可愛さランキングをつくった安藤という男子が咎められていた。

 偶然その紙を目にしたが、「可愛いんだけど……でかい日本人形みたいなイメージで他の人と比べられないからランク外」と書いてあってその場で顎を引いて納得した覚えがある。

 面識はあるが、彼女と二人きりで会話したのは今回が初めてである。

 

「意味がわからない……か。……君はこの後、どうなったと思う?」


「ーー?」


「浦島太郎の話だよ。子供たちにも聞くつもりだったんだけどネ。カメの死骸を目の前に、彼はどうなったカナ?」

 

 突然何を聞くのか。形だけのお辞儀をしながら無視して子供達の元へ戻る。その時、急に腕を掴まれる。予想以上の力強さに呆気なく脚が止まる。

 彼女の黒い眼差しに見つめられては答えないという選択肢はなかった。


「はぁ……あぁ、さっきの話ですよね。えっと、ちょっと待ってくださいね。……うーん、例え死んでいるように見えても、一応は病院へ行って診せるとか。……あ! すぐ近くに墓を作って埋めてあげたとか」


 質問の意図はわからないが、それなりに思索した上で発言する。浦島太郎の内容を思い返した上で、人物像に合った悪くない回答だと自賛する。


「ーーーー」


「えっと、答えは?」


「はぁ、君はつまらないね」


 そう言って両の手のひらをこちらに向けて、呆れたように首を振ってくる。これに嘲笑が加わっていたら流石に拳を握っていたところだ。


「……それにじゃあ、答えはなんだっていうんですか。心優しい浦島太郎が他にどうするって? 二次創作だからって性格改変するのは許しませんからね」


「あぁ、そっち方面厳しいタイプ? でも安心してよ。浦島太郎は浦島太郎だよ。でも、それは関係ないんだ」


「ーーーー」


「うーん、仕方ない。今回だけは答えを教えてアゲル。まずねぇ、君の答えは浦島太郎のとる行動としては正しい。でも、浦島太郎の行動は浦島太郎が決めるとは限らないだろ?」


 やはり、彼女の話はいつも掴みどころがなくて正直理解できない。

 保育士の職業体験に関わらず、彼女はいつもこんな調子で、生徒自らに考えさせては答えを渋る話し方をする。塾ならまだしも同学年の女子にこんな話し方をされてはジリジリと苛立ってくる。

 

「ごめんネ。つまりは……えっとー、君は浦島太郎になりきって考えただろ? その気持ちをサァ」


「ん? それは、あたりまえじゃないですか。この後どうするかって……そう言う質問をしたのはあなたで……」


「違うよ?」


「え?」


「私はこの後どうなるかを聞いただけだよ。うーん……理解力の乏しい子供に教えるのは難しいなァ。これを日常的にやってる保育士さんは、やっぱりすごいヨ」


 時には暴力も必要だと子供達に教えるいい機会かもしれない。自然と拳に力が入る。

 それでも自制心がフル稼働しなんとか踏みとどまる。相手が一応女子でなかったら停学になっていたかもしれない。

 決して奇妙な綺美子さんに物怖じしたわけではない……。


「君は人の気持ちになって考えろって教えられてきた側だろ」


「まぁ、そうですね。誰でもそうだと思いますけど」


「それ自体は間違っていないよ。でもそれは君が加害者だったとき、周りが君を咎める時の教えだ。今回、使うのは『客観的に考えろ』と言うやつだね」


 相手の気持ちになって考えるのでは、主観的な意見に縛られてしまうということだろうか。

 やっぱり分からない。だからなんだと言うのだろうか。周りがなんと言おうと、いつだって行動の最終決定権は自分にあるはずだ。


「本当にそうカナ?」


「え?」


「今、自分の行動は結局は自分で決めるものだろ。なんて考えてたんじゃないカ?」


「っう! まぁ、そうです。はい。」


 図星を突かれて無意識に声が漏れる。


「ふふ。じゃあ、君のことを聞こう。今日、この職場体験に来たのはなぜだい?」


「それはまぁ、子供たちと触れ合って遊んで……1番授業っぽくなくて楽しそうだったから、ですかね」


 いつのまにか掴まれた腕は解放され、綺美子さんは左右にぶらぶらとほっつきながら、眠りこける直前のように大きく首を縦に振る。


「うんうん。じゃあ、もう一つ質問。君は学校で、どこに行こうか期限ギリギリまで悩んだ挙句、先生に定員に余裕のあるところを教えてもらってその中から選んだよネ」


 こちらを指差してキメ顔の綺美子さん。

 可愛い……いや、普通に怖い。今回は二対八で恐怖の勝ちだ。何故そんなことを知っている。

 言葉はその言葉の内容より、誰が言うかが大切だと聞いたことがある。極論だが、学者と一大学生の論文の内容が真逆であれば、大学生の論文は読みもせず、学者のものを信用してしまうだろう。

 同様に今回も、これが別の友人の発言ならば、「どこで聞いたんだよ」と笑って流せる。きっとどこかで現場を見ていたか、見ていた誰かから又聞きしたのだと。

 しっかし、どうだ。

 真っ黒な瞳を大きく見開いて、うったえかけるような態度でまじまじとこっちの様子を伺う綺美子さん。何もかも見透かす魔眼のようなものを持っていると言われても驚かない。ただただ怖い。


「え? いや、なんでそんなことまで知ってるんですか……そうですけど」


「ネームリー、そうなんだよ。君は先生の助言なしに保育士を選んでいた自信はあるかい?」


 浦島太郎の話なんてどうでもよかったが、とりあえずの相槌を打つ。


「そう言われると……たしかにまぁ。」


 実際さっきの理由は建前だ。無論本心ではある。バイトの面接で言う志望動機みたいなものだ。実際バイトをする理由なんて、突き詰めればお金が欲しい以外にない。

 明日同じことを言えるかと聞かれれば、答えはノーだ。


「そうだろう? これ以上長くなると先生も帰って来そうだしね。答えを言っちゃうよ」


「はい、お願いします……」


「答えは、目の前で亀が殺されそうになっているのに何もしなかったと卑下される。若しくは、カメの死骸と一緒にいるところを竜宮城戦力に見つかって未知の能力で始末される。そんなところかな」


「ーーーー」


「ちなみに私は後者派ダネ。死んだカメをみて怒り狂う乙姫とか絵になると思わないかい? 普段何考えてるかわからない美人が、感情を漏らした時の表情ってそそるよネ。浦島の村まで巻き込んで全員老人化計画執行! 超高齢化社会になった村は滅ぶ……なんて面白くないかい? 浦島を知る者はいなくなり、このお話はそもそも生まれないなんてのもはたまたーー」


 ……納得はできる。この答えを聞いて最初になんてリアルな話をするんだろうと思ってしまった。それはつまり実際そうなると、腑に落ちてしまったと言うことだ。

 現代社会において、重要な教えを説いた話だと言えるだろう。

 その場にいたわけでもなく、詳しい事情も知らないやつらがネットを介して誹謗中傷する。

 しかしどうだろう。物語に求める非日常感。それが全くないこの話はーー、


「つまらないです」


「へ?」


「いや、だからつまらないですって。こんな結末。少なくとも幼稚園児に聞かせる話じゃないですよ。それに、物語にも多少の現実味が必要なのは分かりますが、これはやり過ぎです。ほら、子供たちもいつのまにか将棋してますよ……この年で将棋、凄いな」


「ーーーーそうかい。とってもざんねんだよ。傑作だと思ったんだけどネー」


 ざんねんと、そう言い放った彼女は本当に残念そうな顔で目を伏せていた。それでもーー、


「少なくとも、子供に聞かせる話ではないです」


「それは、そうかもね。ワタシとしては君の感想を聞きたいな」


「まぁ、つまらなかったですけど、嫌いではないです。僕たちくらいの年頃ならまだ……面白いっていう人もいるんじゃないですか」


「そうかい。それなら良かった。及第点ってことだね」


 今度は引けていた顎を突き出すように、わかりやすくドヤ顔をキメてくる。こんなに感情が徐な綺美子さんは初めて見た気がする。

 何かと嬉しそうににんまりと、また不気味に微笑む彼女を横目に、目を合わさないように意味もなく子供たちに手を振る。


「また、話してもいいかな?」


「え、子供たちにですか? いやダメですよ。先生に怒られますし、自分も止めます」


「それなら、最初に君に聞かせるよ。何か思いついたらすぐ君に話すから、君が判断してくれないか?」


「それは…………まぁ、いいですけど」

 

 流れでオーケーしてしまった。一応、彼女がせっかく考えた話を途中で止めてしまったことに対する謝罪の気持ちだ。


「ありがとう、やっぱり君は優しいね」


 先程よりも柔らかな笑みを浮かべる彼女に少しばかり可愛いと思ってしまった。

 目と目が合い、数秒世界が停止する。

 はっと我に帰る。きっと愛らしい園児を前に可愛いセンサーが壊れてしまっていたのだ。

 両の頬を手でパチンと叩き、散らかったおもちゃを片付け始める。


「ーーそういえば、綺美子さんはなんでこの仕事を選んだんですか? 今思い出したんですけど、僕の後でしたよね、提出したの。職員室前で確かすれ違ったなぁって。それで僕と先生の話も聞いてたんですよね」


 先ほどまでは問いの答えに夢中で思い出せなかった。職員室を出た際、誰かにぶつかりそうになって謝った記憶がある。時間も遅く、暗がりで誰かまでは分からなかったが、プリントを持っていたということはきっとそういうことだ。


「ーーーー」


「綺美子さんも、結構悩んでこの仕事を選んだってことですよね。もしかして、僕と同じで先生に勧められて……?」


「それはね」


「はい」


「それはね……」


「はい……」


「……ヒ・ミ・ツだよ?ふふ ミステリアスな女の子って良いだろ」


 やはり先ほどまでは可愛いセンサーが故障していたらしい。

 だって今は、どうしようもなく、殺意しか湧いてこない。振り上げた拳は床に叩きつけた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 あれから暫く経った。半年ほどだろうか。

 授業終了の鐘が鳴る。周囲の喧騒を背に、そそくさとと教室を出る。目的地は図書室だ。今日も綺美子さんとの密会がある。密会というのも名ばかりかもしれない、実際は2人きりで話をするだけだ。

 ただ、図書室の入り口は、上部がガラス張りの引き戸で、入る前から中が見える。綺美子さんを確認した生徒は大抵Uターンするため、九分九厘2人きりーー密会という形になる。

 約束は職業体験に限った話でなく、「私が保育士になるまで」だそうでこうして放課後にたまに会っている。


「失礼しまーす」


 扉は抵抗なく開く。数ヶ月前まではこうはいかなかった。慣れたように辺りを見渡す。

 同じクラスで授業終了のタイミングも同じ。そのはずが、毎回彼女は先に到着して私を待っている。  

 今日もどこかにーー、


「…………」


「あ、いたいた……って」


 綺美子さんは図書館中央の長机に座って、寝ていた。

 目を瞑って動かないため、寝ているはずだ。呼吸音が全く聞こえないのは不思議だが、綺美子さんの奇妙な部分にいちいち触れることはしない。彼女はそういう存在なのだ。

 机に突っ伏すのではなく、頬杖をついており、寝顔が直に拝める。

 かわいい。脳内の自分がそう叫ぶ。現実で叫ばなかったのは、図書館という環境が作用したためだ。恐怖に感じていた綺美子さんという存在にもだいぶ慣れてきたらしい。

 いつのまにか瞳は無防備な彼女に釘付けになり、無遠慮に頭のてっぺんから足先までを眺めてしまう。

 

「っな!」


 自然とこぼした声。大きな声を出した口を、咎めるように手で覆う。反射的に辺りを見渡すが、人はいない。


「む、胸が……」


 猫背で頬杖をついて寝ている綺美子さん。その豊満なものが机の上に乗せられている。思わず顔を背ける。

 本当になんて失礼なこと……。綺美子さんをそういう目で見るなんて。でもそうか。綺美子さんは女性だったのか。

 そういえばそうだった。


「あれ?」


 否、これまでまともに女性として見ていなかったという方が失礼ではないだろうか。いやしかし、女性は好きな相手以外にそういう目で見られるのを好まないと聞いたことがある。それに、今は綺美子さんの相談相手としてここにいる。邪な感情は抱くべきではない。

 それにしても、寝ている綺美子さんを前に一体どうしたものか。


「しっつれいしまーふ!」


「っ!」


「あ! よっすよっす……って日本人形!」


 クラスの男子生徒の一人。一応の友人でもある安藤が侵入。どうやらこの位置では綺美子さんは入り口から見えないらしい。寝ている彼女の姿にに安堵し、胸を撫で下ろす安藤。そして綺美子さんを凝視する安藤。


「おい、何してんだよ」


「いや、黙ってる日本人形なんて滅多にお目にかかれないからな。……それにしてもこうしてみるとマジでナイスバディだよな……お前もこっち来て見ようぜ」


 パン!


 手を叩く。ピース、とくれば世のオタクなら大抵何を指すか分かるだろう。机の下に潜り、その後指を指す安藤。目標へ発進の合図である。


「やめとけって……本人がいつ起きるか分からないのによくそんなことできるよな」


 四つん這いの安藤を足をつかむ。「離せ」と言わんばかりに屈伸運動を繰り返す。サイズの合っていない学校シューズを残して彼は先へ進んでしまった。


「いや、今しかないだろ。知ってるか、男ってちょっと馬鹿なくらいがモテるんだぜ」


「バカと愛嬌を履き違えるな」


「ーーお! もうちょっとで見えそう」


 そう言って楽しげに一度振り返る安藤。

 呆れる自分。

 

 目線を戻す安藤。


 すると、目標物があったとこに笑みのカケラもない、真顔の綺美子さんがいた。完全に目が合う。


「ぎぃやぁぁぁぁぁあ!」


 そのまま無意識に逃げようとする安藤。不意に立ち上がり頭頂部を机にぶつける。声にならない悲鳴をあげながら、匍匐前進の体制で机から這い出てきた。


 安藤のほとほと疲れ果てた様子で下校する姿が窓越しに映る。図書室に二人の微かな笑い声が響いた。綺美子さんの正面の席に座ると同時に、今日の話が始まる。



 私の幼馴染はイエスマンです。


 小さい頃から、彼は私の言うことならなんでもしてくれて、私は彼のことが好きでした。

 しかし、その姿を見ているとたまに心配になってしまうのです。

 彼は男の子にしては華奢で身長も低いです。

 今後何かあった時のために、ノーと言えるようになって欲しい。そう思っていました。


 ある日のことです。屋上で一緒にお弁当を食べる約束をしたはずが、彼は一向に現れません。私は彼のいる教室に向かいます。

 

 彼は不良グループに囲まれ、「今日の飯よこせ」と脅迫されていました。私が助けないと……そうして教室に足を踏み込んだ瞬間ーー、


「お前らに渡す食い物なんてネェよ」


 普段聞かない彼の声色に私の足は止まってしまいます。すると、彼の圧迫感に怯んだ不良生徒はそのまま胸ぐらを掴まれ逃げていきます。

 

 不思議そうに見つめる私の視線に気づき、彼は私の元へかけよりこう呟くのです。


「さっさと昼飯にしようぜ! これ購買の限定カツサンド。お前に食べて欲しくて奮発しちゃったよ」


 彼の言葉に赤面しつつも、未だ理解の追いつかない私に、彼は続いてーー、


「俺がイエスマンになるのは、お前の前だけだから」


 優しい彼に甘えてばかりで、本当にこれからが心配なのは私の方だったみたいです。


 おしまい。



「ーーーーっは!?」


 えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?


 狼狽える。椅子がひっくり返らなかったのは奇跡だ。そうでなければ、椅子の足裏まで掃除を欠かさないここの担当生徒のおかげだ。本当にありがとう。

 「理解が追いつかない」はこっちのセリフ。

 まさか、綺美子さんが恋愛関連の話を作ってくるとは予想だにしなかった。

 しかもかなり好みだ。テンプレだが、オタクが好きなタイプの話だ。

 浦島からは大分進歩したが、ベクトルが間違っているため対象年齢に変化はない。

 綺美子さんは、両肘をつき、手のひらに顔を乗せ、こちらの動揺をじーっと眺めている。誇らしげな彼女は楽しそうだ。

 

 通称椅子カターン。椅子の足ーー前の二点を軸として、椅子を縦に揺らす。満足げな綺美子さん。「ふふっ」と笑みをこぼす。

 まずい。可愛すぎる。こんな動く綺美子さんも、こんな楽しそうな綺美子さんも初めてだ。

 

「ギャップ萌えしたかい?」


「え、えぇ。うん。っあ、はい」

 

 恐らく求められているのは彼女の話に対する感想だろう。しかし、「綺美子さんってこういう恋してみたいのかな」とか考えてしまって脳が渦巻く。寝顔から連鎖する可愛さの波状攻撃。脳はとっくに大量のエラーを吐き、思考を放棄した頭は口の制御を疎かにする。


「ギャップ萌えとは少し違うような……個人的にはギャップ萌えって言葉を知ってたり、色恋沙汰に以外と興味ある綺美子さんにギャップ萌えしそうというかーー」


 ニンマリと口角を上げる綺美子さん。


「君が私に揺さぶられるのを見るととても胸が高鳴るヨ」


「なんて嫌な趣味……」


「そうかい? 私の寝顔と体を舐め回すように見ていた男の方が、よっぽど趣味が悪いと思うけどネ。なんて言ってたカナァ。私の胸がどうとかーーーー」


 いつから起きていたのか。それどころか寝ていなかったらしい。ずっと綺美子さんの手のひらの上でコロコロしていただけだったようだ。手を額に当て、熱を冷ますように顔を仰ぐ。


「すいません。でも……」


「でもなんだい? 言い分があるなら聞いてあげようじゃないか。ほらほら」


「いや、綺美子さんもちゃんと女の子なんだなって……魅入っちゃったというか。っ失礼なこと言ってるのはわかってるんですけど」


 口の制御が効かない。


「ーーそうかい」


「……そうです」


 長い沈黙の末、交わした言葉はその一言のみ。お互いに顔を背け、互いに表情を見られまいと軽く俯く。


「……今日はもう解散しよっか。実はちょっと風邪気味だったんだよ。熱が下がるのに1週間くらいかかると思うから、また、その時に話そうか」


 その日、それから目を合わせることはなかった。先に図書室から出る。横目に映った彼女の白皙には、燃えるような紅が滲んでいた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 あれからまた半年経った。


「これ、プレゼント……」


「まさか君からプレゼントをもらえるなんてね。私は前世で大分徳を積んだらしい」


 今日は綺美子さんの誕生日だ。あれから、二人の仲も、ただのクラスメイトではなくなった。とはいってもそこまでの変化はない。たまの休みに会ったり、お互いに誕生日を把握しているくらいの間柄にはなった。敬語も自然と外れていた。

 そろそろクラス替えがある。

 二人の密会はそろそろ終わりを告げる。

 そんな不安を互いに抱いていた。

 綺美子さんの瞳は贈ったネックレスに釘付けだ。


「アクセサリー……ね」


「そうだよね! そういうのって自分で買うし、いらないよね。流行りとか分からないし。いらなかったら売ってもらっても」


「……そういうこと言わなくていいから」


「ごめんなさい……」


「プレゼントも何をもらったより、誰にもらったかだヨ」


「ん、ん?」


 アクセサリーの趣味の悪さに対するフォローか、あなたからもらったものならどんなものでも嬉しいと暗に伝えているのかーー答えは、なんとなく分かっている。


「ふふ、そんな別にフォローでもなんでもないよ。ただ、君からプレゼントをもらえただけでとても嬉しい。それにアクセサリーというのも良い」


「それなら、良かった」


「だって、このアクセサリーをつけて学校に来れば……あ! 俺があげたネックレスつけてくれてる……って、より君をドギマギさせられるからネ」


「ーーーー」


 いつものようにいじわるを言ってくる綺美子さん。しかしもう知っている。これは照れ隠しだ。彼女のこの口調、性格は本音を隠す仮面だ。本音を伝えたいけれど、恥ずかしさのあまり伝えられない。そのため、こんな話し方で婉曲的に伝えているのだ。


 弄られて腹を立てていた日々が懐かしい。

 彼女の容姿に恐怖を覚えていた頃が懐かしい。

 今はこんなにもーー、愛おしい。


 光を吸う、漆黒の髪をした少女が、寂しげに語り始める。


 

 一人の少女がいた。その少女には好きな人いる。

 少女はとても性格が悪い。少女の容姿はとても醜い。少女はそれを理解してる。それでもなお、想い人を諦めることはできない。

 少女は仮面をつけ、想い人に近づいた。

 少女は想い人を自分に縛りつけた。ただただ想い人の時間を独占したかった。

 こんな少女の結末は決まってーー、


「僕が決めるよ」


「……え?」


 話を断つ。反射での発言だったが後悔はない。かっこいいことなんて言えない。ただ、この関係を終わらせようとする綺美子さん、その寂幕な表情を見ていられなかった。


「その少女の結末はハッピーエンドって決まってる」


「ーーーーーーーー」


「好きです。綺美子さん。僕と付き合ってください」

 

 ポタッ

 仮面が外れる音がする。大粒の涙を流す彼女の表情はこれまでのどの瞬間よりも綺麗だった。白皙が耳まで真っ赤だ。


「ーーーーボクで、ホントにいいの?」


「え、僕っ娘だったの!?」


「やっぱり、わたーー」


「大丈夫! どんな君でも、愛してる」


 先に我慢を脱したのは綺美子さんだった。夕焼けに照らされながら、口を寄せる彼女。僕は笑顔で彼女を迎えた。

 ーー二人の唇。その間に煌めく銀の橋。これからの展開が楽しみだ。

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