スプリングストーリー
結城天喜 (ゆうき あき)
スプリングストーリー
【アーリースプリング】
誰かが植えたのか、自生したのか、車道の分離帯に菜の花が咲いた。あれはいつだったのか、アキはそのことを思い出しながらクルマを走らせる。
まるで黄色のクレヨンで縁を塗りつぶしたかのように、川の土手一面に咲いた菜の花の光景が脳裏に浮かぶ。
子供たちが海外に留学する度にアキはその場所、空港に近い川の土手を訪れた。そこは飛び立つ旅客機と菜の花のコントラストが美しく、眺めているとつい感傷的になり、すぐにでも子供のところへ飛んで行きたい衝動に駆られてしまう、そして何度か突然、留学先を訪ねたりもした。
過ぎ去った時は戻るはずもないが、最近、妙にあの頃と同じよに自分自身の情熱を感じる。
ここ何年もの間、ほとんど感情を動かすことのなかったアキだが、変化が現れた。
アキがその女性と出会ったのは仕事で赴いた県境の街でだった。クールな第一印象とは裏腹に、軽妙な語り口調が、たちまちアキの気を引くところとなり、彼女もまた、アキに興味を持ったようで、お互いの連絡先を交換した。
最初の会話は海でとれるホヤの話題、アキが曖昧な記憶で「パイナップルのような味がするんじゃなかったっけ」と言うと、彼女は「私の故郷も産地なので知っていますが、それは形のことですよ」と返してくる。おまけに側まで寄ってきて「ホヤ食べたことないんだ、美味しいのに」と囁く。
翌日も同じ場所で仕事となり、また側にくると「やっぱりホヤ食べたことないんだよね」と、囁いたと思うと、今度は勝ち誇ったようにバンザイをする。それも底抜けに明るい笑顔で。
帰り道、アキは胸を弾ませながら、次に会える日が近いことを願った。
【プロローグ】
結婚した頃は東京の山の手で暮らしていた。仕事は順調で、収入も同世代のサラリーマンよりは多かったが、夫婦揃って金には無頓着だった。
四人の子供が生まれ、それぞれが学校に通い始めると、妻にさんざん促され、休日にジュニア向けサッカー教室も開いた。
それは言うなれば、典型的な都会のミドルエイジの生活だった。海外出張も多く、ある日の朝、いきなり子供の前で「これからヨーロッパに行ってアメリカ周りで帰るからね、サッカー教室は学生コーチに頼んでおく」こんな調子だった。
転期が訪れたのは百歳近くなったアキの父親が亡くなってからだ。田舎の生家に母親が一人になったため、アキは単身帰郷して母親と同居を始めたのだ。妻は元々都会暮らしが性に合っているようで、寂しくなると時々アキと母親の様子をみにくる程度のことだった。やがて子供たちも巣立ち、妻は荷物と一緒に生家に移り住んできた。
そしてペットの犬、猫、うさぎ、も加わり田舎での暮らしがスタート、認知症の症状が出始めた母親の面倒をみながら、ご近所さんにも馴染んでいった。
アキは生家に住んでいても以前と変わらず、いや、妻が越してきたおかげで母親のことを心配することなく、出張の多い仕事もこなしていた。が、しかし無情にも、あの運命の日がきてしまう。
あの日のことは、もう一生思い出したくはないが、妻が家の近所を犬と散歩中、後ろから走ってきた乗用車にはねられて亡くなったのだ。犬はリードを付けたまま家の玄関先まで戻って、わんわん吠えた。
妻の葬儀を済ませると、そこで全てが止まった。仕事も目標も夢や希望までも、しかしアキは子供たちの深い悲しみを思うと、気持ちを奮い立たせて裁判に臨み加害者とも向き合った。
あれから十年が過ぎた。その間、介護施設に入っていた母親も逝き、アキの心にはぽっかりと穴が空いたままだった。
その女性に出会うまでは。
【サニースプリング】
彼女との出会いから三ヶ月が過ぎたころ、二人は示し合わせて鎌倉までドライブに出かける。前日に激しく降った雨が嘘のようにあがり、陽光が眩しい朝だ。途中、東京湾上にあるサービスエリアに立ち寄ると、彼女は周りの海に向かって胸いっぱい深呼吸をする。
※ カモメが一羽、海風にのったまま静止したかと思うとすぐに飛び去ってゆく。
※ 「ほんとうに癒されるね」
※ 両手で伸びをしながら彼女は言う。
東北の大都市圏で生まれ、学校も就職も地元だった彼女、家族旅行や仕事の出張などで上京することはあったが、この場所も、これから行く湘南方面も初めてだ。
サービスエリアを後にした二人は一時間余り走り、鎌倉に到着。鶴岡八幡宮に隣接した駐車場にクルマを駐め、三の鳥居下から大勢の参拝者の流れに逆らわずに歩いて進む。大銀杏の前に設けられた茅の輪を何度かくぐってから、そのまま石階段を上がり、拝殿の正面に立つと、いよいよ参拝。二礼二拍一礼。アキが作法通り済ませて横に並んだ彼女に目をやると、まだじっとまぶたを閉じたまま何かを祈り続けている。そのひたすらな姿がなんとも愛おしく、アキを益々虜にする。
「そろそろお腹が空いたね」彼女がきりだすとアキは小町通りを横に少し入った場所の創作ラーメン店に案内する。人気の店なのでその日も入店待ちの列ができている。一緒に並び約三十分ほどで白木のカウンターに案内され、お互い違う品を注文、少しシェアし合いながら食べ終え、満足して店を出る。
「さあ次は銭洗弁天に行こうよ」アキが言うと「行きたい、行きたい」耳元で思いっきり甘えた声。
鎌倉駅の西口から市役所方面に向かって歩き、トンネルを抜け、しばらくして左に折れる。すれ違う人は皆笑顔。今日の清々しさを表している。
最後に急な坂を登り、またトンネルを抜けると、そこが銭洗弁天宇賀福神社、社務所で購入した蝋燭と線香を決まり通り上げてから据え置かれたざるに紙幣を入れて聖水で洗い、水気をとってからまた財布に戻すのが習わしらしい。二人は黙々とそれらを済ませると、きた道を鎌倉駅方面に向かう。「きて良かったね」また甘えた声。アキは何やら誇らしい気持ちになる。駅に着くと今度は江ノ電に乗る約束、ホームいっぱいに乗車待ちの人が溢れている。アキが内心、皆乗れるのかと心配しているのを見透かすように「ぜーんぜん乗れるってば」と、けらけら笑いながら顔を覗き込んでくる彼女。事実ホームで待っていた人をほぼ全員飲み込んで江ノ電は藤沢方面に向けて走り出す。いくつか駅を過ぎたころ、海側ドアの脇に立っている二人に窓から相模湾の風景が飛び込んでくる。江ノ島が見え、海にはヨットが浮かび、カモメが飛び交っている。彼女はその情景にうっとりとしているようだ。そうこうしているうちに電車は目的地、江ノ島駅に到着。駅舎を出ると午後四時を回っているにもかかわらず、まだまだ人の往来が多い。これから江ノ島に渡る人、戻る人。アキ自身は鎌倉や江ノ島が好きで何度も訪れてはいたが、人や風景がこんなに新鮮に映るのは初めてのことだ。
そして彼女と過ごしたあの日は忘れられない思い出となった。
【ラストスプリング】
思い出となった。と過去形で表現したのには訳がある。二人の間にはあれからかなりの期間、空白ができてしまっていた。いや、もう終わってしまったと言うべきか。
ことの起こりは、たわいもないメール。普通であれば数時間もすれば忘れて元の鞘に戻るに違いない。ところが出会った時からの、アキの彼女に対する思い入れが強すぎてなのか、かえってぎくしゃくしてしまい、お互いに譲らず電話もメールもやめると宣言、双方のスマートフォンから電話番号やアドレスを削除してしまったのだ。その後、複雑な思いを抱きながら、というか彼女からの連絡を期待しながらも以前のような生活に戻っていたアキ。後で分かるのだが、彼女も同じ気持ちで過ごしていたらしい。
ところが一年以上が過ぎたある晩、彼女から突然、アキが仕事で使っているパソコンのメールアドレスにメッセージが入った。そこには、何度も思い悩んだが、やはりあなたと連絡をとりたい。電話をしてもいいか、と書かれていた。すぐにこちらの電話番号を書き入れ、いつでもで電話をください。と返信したアキは運命的なものを感じずにはいられない。削除していた彼女の電話番号を古いメモ帳から拾い、すぐさま登録、高鳴る胸の鼓動を鎮めるのがやっとだった。
翌日の晩、彼女が以前の職場で働いているとしたら帰宅後となる時間、いつも彼女からアキに電話が入っていた時間ぴったりに電話が鳴った。「はい」と出るとスマートフォンのスピカーから、もう二度と聞けないと諦めていた彼女の声、「お元気でしたか、あれからどうされていました」丁寧すぎてなんだかよそよそしい、それを指摘すると、期待と恥ずかしさが入り混じって緊張しているとのこと。アキも同じだ。お互いもっとリラックスしようとなり、現在の状況などを話しているうちに以前のような口調に戻ったが、伝わってくるのは再会できることの嬉しさ、彼女の方から次回会う日を指定してきたのだ。
会話の最後に彼女は「またいつでも電話していいよね」とつけ加える。もちろんオーケーに決まっている。
【エピローグ】
抜けるような青空と真っ青な海、多くの画家が光を求めてここに集まる理由が解る。
船はジブラルタル海峡から地中海を北上、バレアレス海に入り、マヨルカ島を過ぎて南フランス沿岸を航行中。目的地はモナコ。二人はデッキのリクライニングチェアに座りながら同じ景色を観ている。
アキがライフワークと決めて船のオーナーや信頼し合えるビジネスパートナーと協力して、彼女と出会った直後から意欲的に進めてきたプロジェクト。紆余曲折はあったが、それがついに実を結んだのだ。
超豪華な客室を有するクルーズ客船をプロデュースして就航させること。複数の五つ星ホテルからなる船の名は、カームスプリング、穏やかな春、と訳せばしっくりくる。この名はアキの発案で決まった。
今二人はその船で、いっしょに世界の大都市やリゾートを巡っている最中だ。
そして彼女もまた、カームスプリング内のショッピングモールにセレクトショップを出店している。
「あれから何年だっけ、いろいろあったけど、あなた、やり抜いたね」
「いやあ、あの時君がメールをくれなかったらどうなっていたか」
「えっ、どういうこと」
「君がいなかったら途中で諦めていたかもってこと、まあいいさ、今日のディナーはブイヤベースにしようかね。僕の女神様」
陽春のコートダジュールにそそぐ光が陸の建物にきらきらと反射して、二人に歓迎の合図を送っている。
※ カモメが一羽、海風にのったまま静止したかと思うとすぐに飛び去ってゆく。
※ 「ほんとうに癒されるね」
※ 両手で伸びをしながら彼女が言う。
あの時と同じだ。アキは彼女と初めてドライブした日のことを思い出した。
【完結】
スプリングストーリー 結城天喜 (ゆうき あき) @ymkai2024
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