第2話 伯文と仲興
結局、灰色の目の少年は名乗らなかった。
「おぬしにしては、
右隣で、薄水色の着物を着た男が、膝に散った肉包のかけらを払いのけて座り直した。
彼は
「でも本当なんだ。鸚鵡を連れて立ち去って……」
私が言うと、伯文が手で言葉を遮った。
「いいや、鳥は籠にいれておかなければ」
かご。
「問題は、そこじゃない気がするけど」
あやうく脱力して落としそうになっていた肉包をつかみなおす。
「そうだぞ。今から役人面するな。伯文」
左隣で、きん、とした声が聞こえる。
そちらを見るが、肉包しか見えない。
いや、よく見ると、特大の肉包をつかんでいる手が見える。
視線を下ろすと、いたずらっぽい目をした男の顔がある。男は、もう片方の手で、着物の裾にひっかかっていたひまわりの種をつまみあげていた。
この小柄な男は、
「話題をそらすのは、高級官僚っぽくて気に入らないな」
仲興は、拾い上げたひまわりの種を口に放り込んだ。
「おぬしこそ、下に落としたものを喰らうなんて、気に入らないな。悪食だと思わんか」
伯文が呆れたように、ゆっくりとまばたきをした。
「うるさいな。落としたんじゃない。
「裾? ほぼ地面だったがな」
「うるさい。俺の着物は長いんだよ。布地をたっぷり使ってんだ」
仲興が吠える。
私は仲興の着物を見た。
我が国の人々は、たいてい膝丈の着物の下に
身の丈に合わない服を着ているのは、布地をたっぷり使ってわざと作ったというわけではない。単に、兄上のお下がりで、兄上の方が背が高かっただけなのだ。
かくいう私も兄のお下がりを着ている。私の場合は、兄よりも背が高すぎたために、膝の上で着物が切れているが。
残念ながら、いくら仲興が吠えても、兄のお下がりなどを着ている学生は、「山麓」には仲興と私くらいしかいなかった。
「いいか、伯文」
仲興は肉包をかじりながら、まだ吠えている。
「おかしいのはさ、俺たちくらいの年齢の男が、鸚鵡なんて飼っているかどうかだよ。あれは高いんだ。おまえ、知らないだろう。おまえの親父の安月給なんかではな、とうてい手が出ない鳥なんだよ」
それを聞いて、伯文がぴくりと眉を動かしたが、それきりだった。
孫伯文は、あまり高位ではない役人の息子だ。庶民の家に比べれば裕福だが、周仲興の家にはかなわない。
周家は、華都でいちばんの商家だ。南方の果物や西方の布など、いろんな物を扱っている。それだけではなく、家の一角に店を構え、珍しい食材を使った料理を出すようになってからは、いっそう豊かになった。
けちは以前と変わらないそうだが。
金持ちである以外でも、周仲興は特別な存在だった。
商人の息子の中で、彼だけは詩を全部暗唱できるのだ。
私や伯文と同時期に入塾した彼は、当初、まったく詩を覚えていなかった。それを伯文にからかわれ、一晩のうちにすべての詩を覚えてきた。
あの時の周仲興の大人びた顔は、今でも忘れられない。
「陸洋。本当に、私たちくらいの年齢だったのか」
伯文が冷静な声で話を戻した。
「体つきも、顔も、私たちくらいだったと思うよ」
答えながら、仲興を見やる。仲興は口に肉包を押し込み、目を白黒させながら飲み込んでいた。私と目が合うと、照れくさそうに笑い、袖で口元を拭う。
「わかった! 若作りしてるんだよ。本当はもっと大人でさ」
人差し指を立て、いかにもそれが真実だというように、仲興が言った。
「大人の体ではなかったと思うけど」
私は仲興の袖が汚れたのを見なかったことにして、空を仰ぐ。
「わからないだろ。そんなの。そうだ。話したんだろ。話し方が老人みたいだったとか、ないのか?」
私は曖昧にうなり、伯文を見る。話し方で年齢がわかるのなら、彼などとっくの昔に老人だ。
「なぜこちらを見るのだ」
伯文がほぼ無表情になって問うた。
私は答えようとして、言葉に詰まった。
あの少年との会話を、そのまま語るわけにはいかない。彼が誰であれ、皇帝批判をしたことが知れればただでは済まない。我が国は自由な国だが、皇帝陛下については別だ。
「どうした。目が泳いでるぞ」
仲興が私をのぞき込んだ。
「いいや、目は泳がん。眼球が動くのだ」
伯文が
「うるさいな。揚げ足を取るなよ」
仲興がうるさそうに伯文を見た。
「座っている者の揚げ足は取れん」
伯文も落ち着いて返す。
このままでは、いつもの口げんかになる。私は二人の間に割って入らなければと思いながら、ぼんやりやりとりを聞いていた。
ほんとうのことを言うと、二人のやりとりが、私は好きだ。
私には兄がたくさんいるが、こんな会話はしない。理路整然とし、無駄がない。もちろん父もだ。
ほんとうのことを言うと、私はそこまで理路整然とした思考を持っていない。
だから、私は自分のおろかさが、家族や世間に知れないように生きていくしかない。
「何をぼんやりしてるんだ。陸洋、つっこめよ」
仲興の声で顔を上げると、二人の空気はすっかり冷めてしまっていた。仲興は顔を赤くして怒っていたし、伯文はこれ見よがしに詩の暗唱などしている。
私は笑い出しそうになるのをこらえ、無理矢理口元に微笑みを刻む。
仲興はこちらを睨んでいた。
「待て、鸚鵡って言えば!」
突然、大声を上げて立ち上がると、辺りを見回した。
「どうしたんだ?」
私が聞くと、仲興は答えず、座り直して声をひそめた。
「なあ、近頃、真っ昼間の華都に出る賊がいるのを知ってるか?」
「賊?」
「そうだ」
「昼間にどうやって逃げるんだ?」
「それが、体が光るっていうんだ。その光が目くらましになってる。俺たちくらいの年齢の男が一人、それに老人が加わっているらしい」
「私たちくらいの?」
「ただし、その場を荒らすだけで物は盗らない。でも、店を荒らされるのは嫌だからさ。うちでも気をつけてるんだ」
「でも、人が消えるなんて」
私は言いよどんだ。
伯文が、私の肩に手を当てた。
「そんなことがあるわけなかろう。そもそも、それと鸚鵡のどこがつながる?」
伯文が落ち着いた声で指摘する。
「黙ってろ」
仲興はむっとしたように頬を膨らませた。
「いいか、話はこれからだ。うちの使用人が言うのには、必ず襲われた家の近くには宿があって、変な声がするそうだ。声は振動して甲高く、同じ言葉を繰り返している」
私は伯文と顔を見合わせた。
「それが、鸚鵡だと?」
「そうだよ、陸洋。いかにも鸚鵡じゃないか。鸚鵡を連れた男の顔、見たんだろ。探すのは簡単だ。今晩は宿場街に探しに行くぞ。三人で捕まえるんだ」
伯文と私は思わずのけぞる。
計画を中止できる言い訳を考えなければと言葉を探ったが、言葉が見つかる前に、仲興が私たちの肩を押さえ、な、と念を押した。
断れないのは、私たちの悪い癖だ。私は怖がりのせいだが、伯文はこの年齢で役人気質にしばられているからだ。お互い、それを振り切らなければ大業が成せる役人にはなれない。
しかも、悪いことに、二人とも大業を成したいとは思っていなかった。
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