第2話執事

 


 夕食を切り上げ、何やらまだ後ろでギャギャー騒ぐ夫を無視して、私はカルディアリアム伯爵家の執務室に足を運んだ。


「お嬢様――いえ、奥様、ローレイ様にあのような真似をされて良かったのですか?」


 私の後ろには、この家の執事の一人である《ジェームズ》が心配そうについてきていた。


「大丈夫よ、私があの人に遠慮をする必要がないもの」


 私の台詞に、ジェームズは驚いた表情を浮かべた後、優しく微笑んだ。


「ええ、その通りです奥様」


 このジェームズは、父の時代からカルディアリアム伯爵家の執事をしていた人物で、この家で唯一の私の味方。皆が去る中で、ジェームズだけは私を守るために、この家に残ってくれた。


「時に奥様、執務室に何か御用なのですか?」


「ちょっと帳簿とか領地の状態とか、この家の経営の確認をしたくて」


「経営の確認――ですか? 奥様が?」


 おっと、怪しまれちゃったかな。そりゃあ、今まで箱入り娘で、そんなの一切手を出したことが無いお嬢様がいきなりそんなのを確認したいとか言ったら、怪しまれますか。


「ええ、実は以前からこっそり勉強していたの」


「勉強……ですか、いつの間に……」


 完全に納得はしていないみたいだけど、ちゃっちゃと物事を進めて行きたいので、ジェームズの疑問はスルーします。


 机や本棚の扉を開け、必要書類を確認していく。

 ローレイは決められた勤務時間以外は執務室に来ることは無いし、時間を気にする必要は無い。最も、執務室にいたとして、仕事をしていたようには思えないけど。愛人を連れ込んでよろしくやっていたようですし。

 もう少し時間が掛かるかと思っていたけど、あっという間に欲しい情報は手に入った。


「ローレイは随分、好き勝手してるみたいね」


 転生したこの世界が小説やら漫画やらゲームの世界かも分からないけど、兎に角、この世界には貴族とやらが存在していて、私の転生先であるカルディアリアム伯爵家の当主は、領主としての領地運営と、カルディアリアム伯爵家が所有している事業の経営、そして、家の管理を円滑に運用出来るように統治しなくてはならないのだが、ローレイはこの全てをめちゃくちゃにしていた。

 領民達から集めた税や会社のお金を自分の私利私欲に使い込んでいたり、自分達の身内や友人を勝手に採用して多くの給金を支払っていたり、愛人に生活費を渡し、貢いだり――ちょっと相手の不利になるものが出れば良いと思っていただけなのに、次から次へと出て来る宝の山。ほんと、最低な男ね。

 これだけあれば、もう充分。


「……奥様が難しい書類を理解されているなんて……」


 隣にいるジェームズは、私がスムーズに書類を読み進めているのに感動してか、ハンカチで何度も涙を拭っていた。

 いや、気持ちは分かりますけどね? 本当に何も出来ない子でしたから。


「さて、取り敢えずはこのくらいでいいかな」


 私は必要な書類を持ち出すと、ジェームズと別れ、部屋に戻った。薄暗い部屋……そう言えば電灯が消えたまま、交換もしてくれていないんだっけ。

 月明かりを頼りにタンスを開け、小型の魔法のランプを取り出し、手をかざして光を灯す。

 この世界は前世と違って特別な力も存在していて、この小型ランプも、どういった原理かは分かないが、電気を使わず、魔法石と呼ばれる石の力で光るようになっている。こうやって前世には無い魔法とかを目にすると、ああ、私って本当に転生したんだなと、しみじみ感じてしまうわ。


 ――生前、お父様が生きていた頃の私の部屋は、あの浮気女に盗られた。

 浮気女の分際で我が物顔でこの家に居座るキャサリン。確か男爵令嬢でしたっけ。女の武器を最大限使って、夫を誘惑した不貞女。

 女の武器を使うことが悪いこととは思わないけど、人様の夫を奪うような悪いことをするなら話は別。


「さて、色々としていかないといけないけど、まずは会社が優先かしら」


 座った椅子は古くて、私の体重の重さに悲鳴を上げるように、ギジッとした音が聞こえた。


 カルディアリアム伯爵家が所有する事業は現在、真っ赤な赤字だった。

 持ち出した書類を確認すると、横領以外にもずさんな経営に無茶な投資、何の戦略も練っていないような馬鹿みたいな経営方針――最早、無能としか言いようがない。

 よくあんなのが伯爵家の当主になれたな。ああ、そうです、すみません、私がローレイに甘い言葉でそそのかされて結婚してしまったんです。

 箱入り娘がまんまと悪い男に引っかかってしまったんです、猛省します。


 さっさと離婚してやりたいところだけど、何事も焦りは禁物。

 私の社畜時代の悪いクセで、何事も物事を効率的に進めようと焦って失敗してしまうことがありますからね。効率的にスムーズに物事を進めつつ、準備はきちんと整えなくては。

 そして優先順位も大切です。この場合、あんなうだつが上がらない夫の相手をするよりも、事業を先に何とかする方が先決だと判断しました。


「明日、早速会社の方に顔を出すことにしましょう」


 そうと決まれば、早く就寝して体を休めておくことが最優先。


 もう一度手をかざして光を消すと、ベッドの中に潜り込んだ。

 埃臭い布団に、石のように硬いベッド。前世、貴族じゃない一般市民の瞳(ひとみ)でも、こんなボロい寝具使って無かったわよ。ああ、でも市民は市民でも、独身貴族で自分のためにだけにお金を使えていたので、良い物を揃えていましたけどね。


 はぁ、早くあの浮気女から自分の部屋を取り戻さなきゃ。良質な睡眠は健康のためにも仕事の効率的にも、とても大切ですからね。

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