第3話アフォリズムC

A葛藤の夜明けに、追憶が去来するのは、光と影の交差する一瞬の戸惑いにも似て、美しい。―それは反省の肉体的表現である。いわば、葛藤は、止まないで、自転は止まる。間隙をぬって、やってくる記憶こそがプリミティブな心である。そこに一切の穢れは存在しない。再び葛藤が起きると、今に返って、真昼が光と影をのみ込んでいく。


B夜明けはやってくる。街に降りる雲のしぶきのように。快楽をともなって。そのエネルギーの爆発が追い越していく世界の背理で偽善を焼いて、個人的なものが世界以上だと断言できたなら、我々は内側に没入してエゴイズムでいいのだと悟る。快楽が必ずともなっている。


C条理の否定を行う意識こそ、生きる快楽の加速運動である。


D街のランプが一斉に落ちるとき、暗闇の中でとある獰猛なオオカミが吠える。月に、まるで、光は月の薄明かりしかないから、オオカミは一斉にランプの点いたときに、月の光を忘れる。ここに弱点がある。本能とはランプと月の区別がつかない。しかし、意識の奥に理性の光があればそれは見分けることができる。が忘却こそが美しい。個人的な戯れは、個人のうちに止まり、外へ出ると、遠吠えだけが耳に残る。―快楽に偽らないことこそが個人的である―


E現実を越えることは困難だ。しかしプリミティブな(本能的な)意識をともなって生きつづけるのもまた不自然だ。欲求の解放は個人的なものにとどまる。しかし個人的なものが世界にまで届けば欲求は広がる。

 支配とは世界から個人に向かっていく。

 この鎖を断ち切るためには欲求を肥大化させて、あくまで個人的にとどまるという感覚と理性のバランスがいる。しかし、仙人であることはできない。遠くまで旅をして多くを見れば、経験の下等さがわかる。

 認識はできないので、人は世界を憎む。

 限定していくままに、もし世界がなくなればと望む。

 この想像力は美しい。破壊的詩情である。

 だからこそ、現実は越えずにバラの美しさを愛することができるのだ。

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断章集 鏑木レイジ @tuhimurayuki

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