勇者の最期
沼津平成
俺は勇者。間も無く死のうとしている。原因は轢死だ。この世界の住民は皆ハンドルを握ると乱暴になる。
もともと風は穏やかだが、排気ガスのせいで全くそれが感じられない。ただ顔に吹き付けてくる爆風が、戦場を思わせる。
信号無視? そんなの日常茶飯事だ。信号というのは、一人暮らしの埃を被ったピアノのようにただお荷物なだけだ。……というかみんな、信号の本当の使い方を知っているのか?
さっき俺は向こうの道まで渡ろうとして、歩道橋の近くまでやってきた。そこで、敵の暗殺者軍団の姿をとらえた。幸い、まだ自分の居場所が
(今ならまだ助かるなぁ)
そう思った俺は、踵を返した。そういえばこれは冒険者ギルドに行く道だ。あそこ、洞窟が近くて便利だった。年のせいか最近はあまり使っていないが。
というか、使ったらマスコミに「勇者復活!!」などと大きな見出しをデカデカと乗せられて、Dランクの依頼を受けたいのに受付嬢には、
「Aランクですか? それともSランク? いやいややっぱりSSランクですか!?」
と聞かれる始末だ。というかそうなるに違いない。そんな未来は目に見える。そんなことを考えながら軽快に走っていると、背中の方から宙を裂かんばかりの怒鳴り声が聞こえた。
実際に静寂を切り裂いたその声を合図に、足音——それもかなり大きめの——が鳴り響き始めた。
地震警報の誤報が鳴るほどのその音は、数年間洞窟内で泊まっていた俺でも、あまり聞いたことがないほどの轟音だった。
雷鳴をかなり近く——数メートルで聞いた時、どんな音がするか知っているだろうか? ドン、というよりかは、世界中のバケツを空からひっくり返して、濁流に飲まれてゆく人々の音に近い。
もっというと、酒場のロックバンドのドラム係を全員呼び寄せて、一斉に叩いたような轟音だ。というかそれだ。
「逃げる! もうそれしかない」
声に出すより先に、俺の覚悟は決まっていた。
俺は走り出したが、向こうはしつこく、空気砲を撃ち続ける上に、どうやら車まで手配していたらしい。
広い車道の隙間に、俺は突っ立っていた。
俺はいま、こうして轢かれようとしている。
俺の目の前を、一気に走馬灯が駆け抜けた。
——0歳。そんな裕福ではないが、そんな貧しくもない家に生まれた。農家の家で、食べ物には困らなかった。
——3歳。震災が起きて、麦や稲花がされ、灰色と茶色に揉まれた濁流に飲まれてゆく。あれは今思い返しても痛々しい光景だった。家族は俺を捨てて逃げた。
——6歳。フリーターに助けられた俺は、フリーターと散歩をしていた。突然フリーターがスライムに足を引っ張られて、頭を打った。おそらく即死だったろう。
——それから。俺はスライムどもを恨み、修行を続けた。そして、仮の家を見つけ、いつの間にかギルド一に成り上がっていた。
全職業に共通して言えるのは、質の低い人材は皆上っ面を舐めていることだった。
それに対して大した思い出もなく、上流階級で習い事を多くして、「マルチタスク」とか言ってドヤ顔を繰り返す輩を言っている。
もともと習い事というのは三つも四つもやるものじゃない。せいぜい二つだ。幾つも両立したい場合は、二つ習得してからまた三つ目をやればいい。
——たとえば、俺は
俺はもうそろそろ遺言の時間だから、世界にこう助言しておいた。
まもなく、雨が降り始めた。
車はブレーキを踏む機会はなく、俺に突進してきている。俺は涙を堪えながら、金縛りにあったように硬直して突っ立っていた。
「危ないッ!」
と声が聞こえた。俺が振り返るより先に、何かが背中から突進してきて、俺を歩道へと押してゆく。
俺は打ちどころが良くて、せいぜい肘に擦り傷を作っただけだった。
向こうの歩道に、若い男が立っていた。男は俺の無事を確認し、笑顔になった。俺も満面の笑みを返した。
勇者の最期 沼津平成 @Numadu-StickmanNovel
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