ぎゃらん堂へようこそ⑥    飛縁魔の好転反応(後編)

ユッキー

飛縁魔の好転反応(後編)

 シュボッ。

 燃えています──裁きの火が。

 もうすぐ貴方達を焼き尽くします。

 もうすぐです……

 

 

 オレの大切な仲間は橋の上で燃え尽きた。

 焼け残ったのは、足首だけである。


 ぎゃらん堂前の川沿いの歩道は幅が狭く、消防車が入れない。その為、離れた車道からホースを伸ばして放水したのだが、火の勢いが随分強かったらしく、そのちょっとした時間のロスでほぼ全焼してしまったのだ。オレは野次馬を規制している警察官に事情を話して、焼き尽くされた仲間のそばに行かせてもらった。火災現場は三脚付きの投光器に照らされている。

 黒く焦げたアスファルトの上に、両足首の骨だけが立っていた。

「そんな…どうして……」

 思わずその場にしゃがみ込む。


「まるで人体自然発火・・・・・・ですね」


 ハッとして振り向くと、先に帰ったはずの真見まみが歩いてきた。

 やはり関係者だとして通してもらったのだろう。投光器を背にして、逆光で顔が見えない。

「私は駅に向かって歩道を歩いていたのですが、途中、橋の中程に人影が立っているのが見えました。橋上には街灯が無いので、遠目ではシルエットしか分かりません。動かないので川を眺めてるのかと思い、通り過ぎようとしたのですが──

 急に『ボンッ』て音がして、振り向いたらもう炎が上がっていたんです。

 全く火の気が無かったにも関わらず突然人間が燃える──そんな〈人体自然発火現象〉は過去三百年間で、二百件以上の報告例があります。

 犠牲者は独り暮らしの高齢者が多く、大抵は自宅での焼死です。しかし不思議な事に、手や足首など体の先端部分は焼け残る事が多いそうです。頭部や上半身は本人かどうか確認できないほど黒焦げになっているのに、内臓は全く無傷という珍しいケースもあるらしいですよ。

 また犠牲者が亡くなっていた部屋は、家具や壁に脂のカスいぶした様な甘い匂いが残っているくらいで、ほとんど燃えていない事が多いそうです」

 残された足首。

 焦げているだけのアスファルト。

 確かに符号はするが……

「一四七〇年、イタリアの騎士ヴォルスティウスはミラノにある自宅で強いワインを飲んだ後、突然口から火を吐き、全身が炎に包まれたそうです。これが記録に残る人体自然発火の最古の例ですね。

 一九五一年七月、アメリカ・フロリダ州のメアリー・リーサーの住むマンションを息子が訪ねると、母親はスリッパを履いた足を残して焼け死んでいました。

 イギリス南部のアルフレッド・アシュトンは一九八八年一月、下半身のみを残して焼死。

 二〇一〇年十二月二十二日には、アイルランド西部の自宅の居間でマイケル・フェアティが焼死体で発見されました。しかし周囲に焼けあとは無く、警察は彼の死因を自然発火と判定したのです。

 そんな人体自然発火は、喫煙者や飲酒量の多い女性に被害が集中していました。一七二五年のフランス・パリの宿屋の主人の妻─ニコール・ミレーの体は寝室で燃えて灰になりましたが、彼女は慢性的なアルコール中毒だったそうです。その為、体内の煙草タバコやアルコールに含まれる物質が燃料状態になり、何らかの理由で発火したのではないかと言われたのです。

 他にも球電──発雷時に観測される特殊な形態のプラズマが原因だという説や、特異体質により被害者の体内に可燃性物質が生成されたという説があります。

 或いは『人体蝋燭ロウソク化説』ですね。体内の脂肪分が蝋燭の様な状態になる事で小さな火が持続的に燃え続け、周囲に延焼せず人体だけが燃え尽きるという…。

 今回のこれ・・はどうなんでしょう?」

これ・・って……」

 オレは真見の昏いかおを見つめた。その声は相変わらず無感動だ。この惨状を前に、何故これほど冷静なのか。

 まさか本当に、真見が一連の火事に関係しているのか?文太ぶんたさんが言っていた、対象物を見るだけで発火させられる超能力パイロキネシスを思い出す。それなら人体自然発火も可能だ。橋の上にいる仲間も燃やせる。彼女はホントに超能力者エスパーなのか……

 ホンモノの飛縁魔ひのえんまなのか──

 オレは唇を噛む。

「……キミは悲しくないのか…?」

「え?」

「一緒に働いてきた仲間なんだ…開業以来ずっと……」

「……確かに私より先輩ですね」

「そうだよ、なのにこんなむごい事を一体誰が……なあ?誰がお前を燃やしたんだっ……


 骨夫ホネオおっ……!」

 

「ハイハイ、茶番はそこまで〜」

 真見の背後から、やはり先に帰ったマヨねえが呆れた様な声を上げた。

かおるちゃんセンセは情に厚い人だし、すぐアダ名付けるのも知ってるけどさ…感情移入し過ぎ。骨夫ホネオって……

 そりゃあ大事な骨格標本・・・・だろうけどさあ〜」

 そう、骨夫ホネオはオレがぎゃらん堂を始めるに当たって、ギリギリの開業資金をりして買った等身大の骨格標本である。大きな声では言えないがウン十万もしたのだ。後から入った真見は勿論、マヨ姉を受付として雇う前からいる最初の仲間・・じゃないか。だからちゃんとフルネームで骨川骨夫ホネオって名付けたんだ。茶番だなんて…酷い。

 オレが柔道整復師として骨折や脱臼の施術を行なう際、患者に現状と治療方針を説明するにはこの骨夫ホネオが欠かせない。『ここがこう曲がってる』だの『ここがこんな風に折れてる』だの、口だけで説明しても全く伝わらないのだ。それに筋肉の凝りだって、骨格の歪みが原因になっている。それを全部身を以て表現してくれる骨夫ホネオのお陰で、患者さんも納得し、安心して施術に集中できていた。なのに、足首だけになっちゃうなんて…骨夫ホネオぉ……


 まだ火災原因の調査があるので現場は保存すると言われ、骨夫ホネオ遺骨・・は引き取らせてもらえなかった。

 オレ達はとりあえずぎゃらん堂に戻る。

 道すがら真見が呟いた。

「今朝、私が出勤した時にはあの標本…骨夫ホネオさんは確かにありました。昼休みの間に持ち出されたんでしょうか?」 

 そうだと思う。

 オレが今日の午後ずっと違和感を感じていたのは、院内から骨夫ホネオが消えていたからだ。

 目立つ所に置いていた訳ではない。狭い院内で場所も塞ぐし、子供の患者だと怖がるコもいる。なので吊り下げて固定できるスタンドを窓際の隅に置いて、そこに直立して待機・・してもらっていた。施術用のベッドを仕切るカーテンの陰にもなっていて、院内を動き回っていると時々視界に入る程度の奥ゆかしい位置だ。それでハッキリといなくなったと認識できず、『何か足りない様な…』という違和感だけ感じていたのだろう。

 しかし一体誰が骨夫ホネオを持ち出したのか?オレも真見もマヨ姉も今日の昼は別々に過ごし、互いの行動を把握していない。院内が無人となった時間帯もあったろう。その場合、普通は戸締まりをしていくものだろうが、ぎゃらん堂ウチには特別・・があって出入りは自由に出来た。外部の人間が侵入した可能性は勿論ある。

 しかし、内部・・の人間の犯行もあり得るのだ。

 オレは、考え込んでいる真見の横顔を黙って見ていた………


「いやあ、すまん!私のせいだな」

 うえ様が頭を下げる。

 六十代後半のはずだが体は引き締まり、日焼けした顔は眉が太く男前で、声も渋くて威厳に満ちていて……褒めちぎっているが、何せぎゃらん堂が入るビル─シャトー松平のオーナーであり、シャトーの最上階に住んでいる天上人である。多少の忖度は勘弁して。

「私が昼に出入りするのに鍵が開けっ放しだから、泥棒されたんだろ?薫ちゃんセンセにはえらい迷惑を掛けてしまった」

「いえいえ、毎日掃除をしてくださってホントに感謝してるんスよ。奥さんにもいつも差し入れいただいて…」

 オレは直角より深い角度でお辞儀をする。上様よりが高いのはマズかろう。

 そんな上様はマヨ姉の伯父おじでもある。このビルの二階でぎゃらん堂を営業させてもらえるだけでもありがたいのに、姪がお世話になってるからと、奥さん共々昼休憩の間に院内の掃除をしてくれているのだ。申し訳ないと断ろうとしたのだが、多趣味な上様は一階を自らのガレージにしていて、普段そこでバイクや釣り道具、ゴルフクラブ等の手入れを常にしている凝り性で甲斐甲斐しい人だ。『自分のビルを手入れするのも趣味なんだ』と笑う上様に、オレはひれ伏す。

 しかしその上様の恩情が仇となり、昼休憩中の掃除の前後、無人・無施錠の状況が生まれてしまった。その間に骨夫ホネオは持ち去られた──

 身内のマヨ姉は手厳しい。

「だから防犯カメラ、ちゃんと二階にも付けてって言ったのに…そしたら骨夫ホネオを盗んだ犯人も分かったかもよ。一階のカメラも伯父さんのガレージの方しか映ってないんでしょ?」

「だってハーレー盗まれたらショックだからさ…」

 睨まれてションボリする上様。休日になるとハーレー仲間とツーリングに行ってブイブイ言わせている暴れん坊も、姪っ子には弱い。そのままスゴスゴと最上階─五階の自室へと帰ろうとする。

「あ、ヒロム寝てたらもう起こさなくていいからね」 

 今日はマヨ姉の息子のヒロムを小学校が終わった後迎えに行って、そのまま預かってくれていたそうだ。仕事を終えたマヨ姉はヒロムを連れて帰ろうと五階に上がったが、そこでさっきの火事騒ぎがあったので、いったん様子見で息子はまだ五階うえにいる。ヒロムは大伯父の上様と大の仲良しで、毎週水曜日には夜の九時から二人で大好きな『相棒』を正座して観て、そのまま泊まっていくそうだ。だからヒロムのパジャマや着替えは常備してある。だが今日は月曜日だ。

「え?まだ帰らないのか?」

「うん、ちょっとね」

 言葉を濁すマヨ姉に首を捻りながら去る上様。


 残されたオレ達三人は、照明を絞られた薄暗い施術室で向かい合った。

 暖房も切ってしまったので足元から嫌な冷気が上がってくる。誰も何も言わず、沈黙が重たい。いつも明るく清潔感のある職場が、こんなに居心地が悪いなんて……

 オレは、この場の責任者として口火を切った。

「……間違ってたらゴメン。

 骨夫ホネオの事…真見クンじゃないのか…?」

 真見が俯いていた顔を上げる。

「…どうしてそう思うんですか?」

「だって、おかしいよ…ずっとキミの周りで不審火が続いてる。最初のマンションの火事は分からないけど、紅林くればやしさんの自転車も駅の自販機も、キミが火を付けたんじゃないのか?いつもあのガッチャマン、持ち歩いてるんだろう?」

「私が放火した証拠はありませんよ」

「してないって証拠も無いだろう?」

「〈悪魔の証明〉ですか……」

 薄く笑う真見。その表情には余裕があるが、オレは胸が張り裂けそうなほど苦しかった。

「落ち着きなさいよ、薫ちゃんセンセ。せっかく一緒に働いてきた仲間を疑うなんて──」

骨夫ホネオだって仲間だった!」

 無惨な姿を思い出したオレは、そうとするマヨ姉の言葉も遮って叫ぶ。

「真見クンは自分がオトコに付きまとわれる飛縁魔だから、今まで色んなとこを馘首クビになったって言ったよね。でもそれって、本当は自分が問題を起こして辞めさせられたんじゃないの?

 オトコゴコロに火を付けるんじゃなくて、実はホントの放火魔なんだろ?

 ストレス発散で放火するヤツも多いって言うじゃん。紅林さんに好転反応の事で文句言われて、それで自転車に火付けたんだ。ぎゃらん堂ウチのやり方に不満があって、骨夫ホネオを燃やしたんだ。

 真見クンは厭な事があったらすぐ火を付ける、火のえん魔なんだっ…!」

「上手い事言いますね…」

「悪いけどキミとはもう、一緒に仕事は出来ないよ……」

「……分かりました」

 オレは大きく息を吐く。信頼して共に働いてきた仲間に、こんな事を言わなくてはいけないなんて……

 外は風が強くなってきた。この季節、火は簡単に燃え広がる。火元を絶たなければ、疑惑の炎は全てを焼き尽くすだろう。そうなる前に消し止めなければ──


 オレを見つめる真見の瞳は、昏く燃えていた。



 シュボッ。

 いよいよです。

 遂に裁きの時が来ました。

 貴方達を燃やし、私を燃やします。

 多くの人を巻き込みつつ自らも命を断つ行為を〈拡大自殺〉と言うそうです。海外なら凶悪犯罪を犯した末に射殺してもらおうとするケースが多いのですが、日本の警察はなかなか拳銃を使ってくれないので、強盗殺人や無差別な通り魔殺人なんかで捕まっても死刑になるまで時間が掛かってしまいます。

 だから放火による拡大自殺は、手っ取り早いんです。それでいて大勢巻き添えに出来るんだから、最高です。

 私なんて生きている価値はありません。

 でも、貴方達にもありません。

 さあ一緒に、火えん地獄に堕ちましょう………

 


 翌日、火曜日──午後十時。

 火の曜日とは出来過ぎだ。

 私は内心苦笑しながら、夜の街を歩く。

 昨夜ゆうべからずっと風が強く、空気が凍えるほど冷たい。白いロングコートの前もピッタリ閉じているが、更に肩から提げたショルダーバッグの紐を両手で掴んで、体全体をギュッと縮めて耐える。駅前の眩しいネオンからは随分離れたので、その暗さが余計に寒々しい。スマートフォンのナビによればここら辺だが……ああ。電光看板が置いてある。

『鍼灸SANADA』──点灯されていないが間違いない。

 来年開業予定の真田先生の鍼灸院だ。

 三階建ての雑居ビルの一階だが、歩道に面した窓は全てカーテンが閉じられていた。しかしシャッターが三分の二程開けられた入口のガラス扉からは、中が明るいのが分かる。私は少し屈みながら、そのガラス扉を押して中に入った。

「やあ待ってたよ」

 院内から明るい声がする。入口を入ったすぐ脇に受付カウンターがあり、その前にベージュのセーターとブルージーンズを着こなした真田先生が立っていた。

 彼の向こうにはカーテンで仕切られた施術用のベッドが二床と、その奥には〈骨格矯正カイロプラクティック〉用の特殊なベッドが一床設置されているのが見える。〈トムソンベッド〉とも呼ばれ、頭、胸、腰、骨盤が乗る部分がそれぞれ独立して作られていて、患者を寝かせた状態で上から圧を加えるとその部位だけがストンと下に落ちる仕組みだ。そうやってそれぞれの部位を個別に調節する事で、骨格と姿勢を整えるのである。

 その他にも電気治療器や全身の経穴ツボを解説している図表等、こじんまりとしているが設備は充実している。院内の内装も白一色の病院然とした殺風景なモノではなく、壁紙が木目調だったり、ベッドや絨毯じゅうたんが落ち着いたブラウンで統一されてたり、まるで高級ホテルの客室の様に洒落ていた。

「よく来てくれたね。なかなかいいカンジでしょ、ここ?この雰囲気なら肩凝りとかギックリ腰の患者さんだけじゃなく、美容目的の若い女性も集めやすいかなと思ってさ。都内で生き残るには色々工夫しないとね〜」

「なるほど…」

 私はひと通り見回した後、頭を下げた。

「今朝はどうもありがとうございます。

 昨日、勤めていた整骨院を解雇されたばかりでしたので、ご連絡いただいた時には驚きました」

「いや、この間偶然遭った時に縁があるなって思って、気になってたんだ。

 ホラ、一緒に働いてたとこ辞めた経緯があれ・・だったから、引っ越した住所は誰にも教えなかったろ?だから電話番号も変えちゃったかなと思って、連絡すんの躊躇してたんだけど…繫がって良かった」

 真田先生が言う『あれ・・』とは、前の院長のストーカー騒ぎの事だ。

「ハイ、散々付いてこられた家はさすがに気持ち悪くて、セキュリティのしっかりしている所に引っ越しましたが、お世話になった真田先生と連絡が取れなくなるのもどうかと思ってスマホの番号は変えなかったんです。お知らせしてなくてすみません」

「いやいや…しかしそうと知ってたら、もっと早く連絡取るんだったな。まあこっちも、開業準備が忙しかったのもあるんだけど」

「一月六日が開業予定日なんですね」

「そうなんだ。もう、あと三週間切ったよ。

 でも内装や備品揃えるのに時間掛かって、一緒に働いてくれる鍼灸師が見付けられなかった。まあオープンからしばらくは一人でやる気だったからいいんだけど、ホラ、君との縁を感じちゃったから。それでウチに来てもらえないか玉砕覚悟で今朝電話してみたんだけど…まさか辞めた直後だったなんて……」

「奇遇ですね」

「ホントに…いや、これはもう運命・・かもね。是非ウチで働いてよ!」

 真田先生はそう言って満面の笑みを浮かべた。

 私も微笑み返す。

「私も運命・・かもって思ってましたよ」

「おお、それじゃっ…」

「ええ。


 真田先生もか・・・・・って。

 私と一緒に働いた男性は、どうしてもストーカーになっちゃう運命なんですね」


 真田先生は一瞬固まったが、すぐに大仰に手を振った。

「僕がストーカー?ハハ…何言ってるの?」

「私の動向をずっと探ってましたよね。それで昨日ぎゃらん堂を解雇されたのを知って、連絡してきたんでしょう?ちょっと焦り過ぎましたね」

「いやいや、僕は君が前のとこで酷い目に遭ってたのが許せなくて、ずっと気にしてたんだ。だから今朝も思い付いて電話したら偶々たまたま…」

奇遇・・──ですか。この間街で出遭った時もそう仰ってましたが、そんな偶然はなかなかありません」

「そうやって疑ったら全部怪しくなっちゃうよ。何?僕は君が街に出かけるのも解雇されたのも、全部知ってて先回りしたって言うの?そんなのどうやって──」


「簡単ですよ。

 これ・・を使えば」


 そう言いながら、烏頭うとう先生が院内に入ってきた。

 黒いパーカー姿で、右手に持ったコンセントの二又プラグを掲げている。

「真見クンの言う通り、仕掛けられてたよ。

 盗聴器・・・……」

 厳しい声で告げる、薫ちゃんセンセ。

 真田先生の表情が歪んだ。



 昨夜、骨夫ホネオが燃やされた橋からぎゃらん堂へ戻る途中、真見がオレとマヨ姉に持ち掛けてきた。

 自分を馘首にする芝居をして欲しいと──

『まず誓って申し上げますが、紅林さんの自転車も骨夫ホネオさんも、私は燃やしていません。

 しかし私以外の人間が犯人だとすると、私と悶着のあった患者さんの愛車をその日のうちに狙ったり、骨夫ホネオさんを持ち出せる昼休みの無人の時間帯を知っていて、なおかつそれを私が退勤するタイミングで燃やせるなんて不可思議です。文太さんが言われた様な超能力でも使えば可能でしょうが…そうじゃないとしたら、考えられるのはただ一つ。

 ぎゃらん堂は盗聴されています』

 その盗聴を逆手に取って犯人にを仕掛ける──それがオレ達の小芝居だった。

 真見には犯人の目星が付いていた様で、その小芝居で自分が解雇されたと知ったらすぐにアクションを起こすだろうから、それで自分と犯人が会っている隙に盗聴器を発見して欲しいと頼んできた。素人が盗聴器を見付けるのは無理なので業者に任せるしかないが、盗聴されている最中にそんな作業をしたら相手にバレてしまうからだ。オレは詳しくはないのだが、盗聴器からの電波を受信出来る範囲は一般的にせいぜい百メートル程だそうで、受信機を持った人物をそれより遠くの場所に引き付けておかなくてはならない。

 オレ達はまさかの展開に動揺しながらも、真見のシナリオ通りの小芝居を演じた。芝居とはいえ真見を責め立てる自分の台詞に胸が張り裂けそうになったが、アドリブで言ってみた『火のえん魔』が褒められてちょっと嬉しかったりもした。これが舞台の魔力か…。

 それで今日、真見には仕事を休んで待機してもらったが、患者さんに口々に『真見先生どうしたの?』と尋ねられて困った。いつ盗聴されてるか分からない事を考えれば『辞めた』って言わないと辻褄が合わなくなるが、事情を知らない患者にまで小芝居はさせられない。仕方無く『いやちょっと…』と濁して誤魔化し続けたので、明日以降説明するのは大変だろう。

 しかしまさか、犯人があの真田だったとは……彼は真見をストーカー院長から救ってくれたのではなかったのか?正義の味方かと思ったらとんだ裏切り野郎である。だが言われてみれば、あの真見と二人で出かけた日に街で出遭ったのも偶然にしては出来過ぎで、盗聴していたのなら納得だ。前日にマヨ姉が散々デートしてこいと言い、どこに行くかまで細かく指定していたのだから。

 真見が淡々と語り出した。

「以前の鍼灸院で私を助けてくださった時、ありがたかったのですが、同時に随分親切だなと思っていました。もしかしてこの方も私に対して特別な執着があるのでは…そう勘繰っていたんです。私はそれまで散々ストーカー紛いの男性同僚の被害に遭って、疑り深くなっていましたから……しかしせっかくのご厚意を疑ってはいけないと、自身を戒めてもいたのです。

 ですからその鍼灸院を辞して自宅を引っ越した時、転居先はお伝えしなかったのに連絡先の電話番号を変えなかったのは、真田先生を信じたかったからです」

「そうだよ…信じてくれ。

 盗聴器?僕はそんなの知らない。僕が仕掛けたのを見た目撃者でもいるのか?」

「いいえ。

 ですから憶測ですけど、貴方は独立開業するご自身の鍼灸院に職を失った私を雇い、そうやって恩を売って、私を手に入れようと考えていた。その為に私の引っ越し先も突き止め、開業準備のかたわら様子を探っていたんです。

 しかし今年の春、私はぎゃらん堂に就職しました。貴方は意表を突かれたんじゃないですか?前の職場であんな事があったからきっと臆病になって、しばらく失業保険と貯金で暮らすだろうと踏んでいたのでしょう?それでもまだ貴方には余裕があった。何せ私はすぐに男性に取り憑かれる飛縁魔オバケ、新しい職場でも問題を起こすのではと様子を見る事にした。開業準備も忙しいし、だからしばらくはアクションを起こさなかったのでしょう。

 ところが春から夏になり、秋が過ぎても、私は順調に勤務を続けています。それで貴方は焦って、私がそこを辞めざるを得ない様に追い込む事にしたんです。だからぎゃらん堂の様子を窺い、昼休みに無人で無施錠のタイミングがある事に気付いて、盗聴器を仕掛けた──」

「ちょっと待ってくれ!」

 無表情、無感動で話し続ける真見を、真田が遮った。だいぶ余裕が無くなっている。

「おかしくないか?僕が君の引っ越し先を突き止めた?どうやって!

 その後もずっと様子を探ってたとか、そんなの毎日君の跡を付けなきゃ無理だろ。でも僕が開業準備で忙しかったのは言った通りだよ?なのに君の勤務先まで突き止めるなんて──」

「それはこれ・・がありましたから」

 興奮する真田を静かに制し、真見は肩から提げたショルダーバッグを指差す。

「このバッグの底の部分に〈スマートトラッカー・・・・・・・・・〉が仕掛けられています。

 同じ材質の布を重ね貼りにして二重底にし、その中に薄い小型のモノを仕込んでありますから、普通に触っても気付きませんが…」

「スマートトラッカー?」

 オレはずっと黙って真田を睨み付けていたのだが、思わず訊いてしまった。

 真見はこちらに向かって軽く頷いて返す。

「スマートトラッカーとは本来、自分の持ち物や貴重品に取り付け、それをスマートフォンやタブレット等と無線接続する事でその位置を把握できるアイテムの事です。紛失防止タグや忘れ物防止タグとも呼ばれます。

 そのスマートトラッカーの一部の機種にはGPS─人工衛星を使った全地球測位システムが搭載されているんです。これは遠距離からでも精確な位置が特定できるので、家の鍵や財布等をうっかり失くしてしまう人には大変便利なアイテムなんですが、一方、近年はこのスマートトラッカーを使ったストーキング行為も横行して問題になっています。知らないうちに持ち物や車に仕掛けられて、自宅や職場を特定された例は数え切れません。それこそ街中で見かけた見知らぬ女性に一目惚れして、すれ違いざまにバッグにスマートトラッカーを投げ込むだけでいい。元々持ち歩く邪魔にならないよう、小型軽量化を極めている製品なのです。簡単には気付かれません」

 オレは背筋が寒くなった。便利な道具なのにそんな怖ろしい使い方……真見はよく気付いたな。

「私のバッグに仕掛けられたスマートトラッカーも、直径3センチの薄い円盤型で重さも6グラムしかありませんでした。私が前の鍼灸院にいた頃、或る日帰ろうとバッグを持ったら6グラム重いのに気が付いたんです。勤務中に二重底に細工されて、仕込まれたんでしょうね」

 いや、6グラムの差に気付くって、それこそ超能力だろ……しかしそれ以上にオレは驚いてしまった。

「え?もうその時にスマートトラッカーに気が付いてたの?それでそのままにしてたって事?」

「だってその時点では誰が仕掛けたのか分かりませんでしたから。当時、前の院長との決着は一応付いていましたが、最後の未練でやったかもしれませんし。

 ですからこれを仕掛けた人物が次にアクションを起こすまで、泳がせる・・・・事にしたんです。その頃には私が辞めて引っ越す事は皆知ってましたから、その引っ越し先を突き止めるつもりでスマートトラッカーを仕掛けたのなら、やがて新居周辺に現れるでしょう。これはボタン電池が使われていて、一年位は作動するタイプですからね。相手もじっくり来る気なら、こちらも犯人を特定できるまでじっくり待とうかと…。

 しかしなかなか犯人は姿を見せず、最近はもしかして私への執着も捨てたのかなと思い始めていたんです。

 だから先日、烏頭先生のお見舞いの帰り道で、誰かが跡を付けている気配に気が付いた時にはちょっと驚いてしまいました」

 え?その日?

「それで思わず固まっていたらマヨ姉さんに不審がられて、その時ちょうどあのマンションの火事が起きたので、そっちを見ていた事にしたんですよ。出火原因がアロマオイルだったのは、後から現場を見て気付いただけです。でもその火事騒ぎのお陰で、野次馬に紛れていた貴方をさり気なく確認できました。

 真田先生、あの時あの場にいたのは、スマートトラッカーで位置情報を把握して私を尾行していなければあり得ませんよ?

 盗聴器を仕掛けたのはそのちょっと前だと思います。それで私が烏頭先生のお見舞いに行くと言っているのを聴いて、貴方は焦り出したんじゃありませんか?まさかまた、勤めている所の院長と深い仲にって……」

 深い仲?オレと?

「そうやって尾行した時に、あのマンションの火事が起きた。それがヒントになったんじゃありません?

 こんな風に私の周辺で不審な火事が相次げば、ぎゃらん堂に居づらくなるんじゃないかって──

 それで紅林さんの自転車も燃やしたけど、それでも私は烏頭先生と二人で仲良く出かけていた。だから立て続けに駅の自販機を燃やし、骨夫ホネオさんを燃やし……それだけ焦っていたから、昨日の芝居を聴いて、喜んですぐ連絡をしてきたんでしょう?」

 真見は何気なく語っているが、跡を付けられている気配に気付き、そこからここまでストーカーの心理を読み切るとかやはり常人ではない。流石エスパー真見……

 いや、それだけストーキングされるのに慣れている・・・・・という事か。だったら不幸な能力だ。

 真見は真田を真っすぐ見つめて続けた。

「やはり飛縁魔ではないかと言われている一人に、〈八百屋お七〉という少女がいます。

 お七は江戸本郷の八百屋の娘で、実録体の小説集である『天和てんな笑委集』によると、天和二年十二月二十八日の天和の大火で焼け出されたお七の一家は、正仙院という寺に避難しました。そこで彼女は寺小姓の庄之介と恋仲になるのですが、やがて店が建て直されると一家は当然実家に戻ります。しかし庄之介と引き離されたお七の恋慕は激しく燃え上がり、やがて執着の炎と化しました。そこで彼女は怖ろしい考えに取り憑かれてしまうのです。

 庄之介様に逢いたい……

 また庄之介様がいるお寺で暮らしたい……

 そうだ…もう一度、お家が燃えれば………

 そしてお七は庄之介に逢いたい一心で、自宅に火を放ちました。火はすぐに消し止められ小火ボヤに留まったのですが、当時放火は重罪です。あえなく捕縛されたお七は、鈴ヶ森刑場で火炙りにされました。

 貴方がやった事は、そのお七と同じです。自分が気に入った女性を支配下に置きたい──そんな身勝手な目的の為に我を忘れ、延焼して大火事を起こしかねない乾燥した季節に放火を繰り返した。それはどんな犠牲が出るかも想像できない、愚かで許し難い所業です。私は貴方を軽蔑します。

 真の飛縁魔バケモノは私ではありません。

 貴方です、真田先生」

 オレは真見と共に、改めて真田を睨む。


 バケモノは、薄笑いを浮かべていた。


「自分で言った通りだよ、菜倉さん。全部憶測だ。僕がやったという証拠は無い」

「やっていないという証拠もありません」

「フン、悪魔の証明・・・・・だね」

 昨夜の小芝居で真見が口にした台詞だ。やはりコイツはあの時、どこか近くに潜んで聴いていたのだ。その台詞をこれ見よがしに使いながら、しかし真田はニヤニヤして続ける。

「とりあえず帰ってくれないか?どうやら君とは一緒に働けないようだからね。これ以上おかしな言い掛かりを付けるなら、名誉毀損で訴えてもいいよ?

 僕から言えるのはただひとつ──

 そのバケモノとやらが、もっと酷い事しないといいね……」

 悪意に満ちた表情に、さすがの真見も言葉に詰まる。

 だからオレが言ってやった。


「オレの仲間に手を出すな!

 もし真見クンに何かしたらその時は──

 骨夫ホネオかたき取るからな!」


 怒りが強過ぎて我ながら意味不明な脅し文句になったが、とりあえず真田は黙った。怯んだのか呆れたのかは分からないが……

 その隙に真見の手を引いて、オレはその場を後にした。

 真見は、少し笑っていた気がする。



 シュボッ。

 火が点きました。

 私の希望の火です。

 貴方達には絶望の業火です。

 今まで自分の部屋でライターの火を付けてはずっと妄想してきた裁きの時が、やっと本番を迎えたのです。

 さっき貴方の鍼灸院を見張っていたら、あの女が入っていくのを見ました。私というものがありながら、貴方を奪った忌々しいあの女…それに夢中になってしまった愛する貴方……それで最後の決意が固まったのです。貴方達を道連れに、裁きの火に焼かれる決意が。

 急いですぐ近くに借りていたアパートに帰りました。仕事も辞めて、ずっと貴方を見る為に借りていたんです。そこに用意していたポリタンクを持ってきて、火を付けたライターを手に貴方の院の扉をくぐります。

 貴方は何かをブツブツ言っていました。

「ふざけんな…僕が何の為にここ・・を開業したと思ってるんだ……全部君の為だぞ?君は僕と一緒にいなきゃダメなんだ!手を出すな?何だあんな優男やさおとこっ…僕の方が君を幸せに出来るんだぞ?それなのにっ……

 許せない……燃やしてやる!整骨院ごと皆燃やしてやるからな、覚悟しとけっ……!」

 どうやら貴方は一人の様です。あの女は帰ったのか……罪深い女狐めぎつねを焼き殺せないのは残念ですが、まあ仕方ありません。一番大事なのは貴方と私の未来です。

 私は背中を向けてまだ何か言っている貴方に、ポリタンクのガソリンをぶち撒けます。

 驚いて振り向く貴方。

 私は貴方が悦ぶように、精一杯可愛く笑います。

「人の為になりたいと思って鍼灸師になった私は、結婚もしないで頑張ってきました。なのに大して役にも立ってない連中が私を見下すんです。患者も同僚も皆、何故私を見下せるのですか。何もやり返せないと思っているからですか?馬鹿にしないでください。

 そんな私が落ち着くのが火なんです。でも火に興奮する放火癖がある訳ではないですよ。ヘロストラトスみたいに有名になりたくもない。

 火は処刑道具なのです。

 私を見下す貴方達を、簡単に裁けるギロチンなのです。

 簡単だから、日本の大量殺人のトップ10テンのうち七つは放火なんですよ…ウフフ……

 そんな私に貴方は優しくしてくれました。同僚として敬意を持って接してくれて…そのうち、貴方が私を見る目に愛を感じる様になったんです。

 その愛に応えようと、私も貴方を愛しました。

 独立して開業すると聞いて、ああ、私と一緒に生きてくださるんだと感動したんです。それでいつプロポーズしてくれるのかとずっと待っていたのに……貴方はあんな…院長にストーカーされてる女なんかに惑わされて……私は前からあの女が貴方を誘惑しないか心配してたんです。若いからって調子に乗りやがってっ……だからあの女にストーカーの事を相談されても放っておいたんですよ?そのまま院長に食われちゃえば良かったんだ!なのに優しい貴方があの女を助けて、そしたらその親切に付け込んだあの女は貴方に色目を使って──いつの間にか私のモノだった貴方の目が、あの女に向けられる様になってた!私なのにっ…貴方に愛されてたのは私だったのにっ……!

 ……だから私はあの女を憎み、世の中を憎み、私を裏切った貴方を憎んだんです………」

「き、君は…関口さんか?待ってくれっ、僕は君とは何もっ……」

「私なんて生きている価値はありません。

 でも、貴方にもありません。

 貴方だけじゃなく、あの女も…私をないがしろにした貴方達を皆道連れにしたかったんですけどね。放火による拡大自殺は大勢巻き添えに出来ると思ったのに、残念です…。

 でも安心してください、貴方と私が燃え尽きても、家や財産は残るかもしれないそうです。清々すがすがしいじゃないですか。二人、身一つで旅立ちましょうよ……」

「やめろお━━っ!」

 貴方が叫んだのを合図に、私は貴方に突進して抱き付きます。初めて抱いてもらえました。うっとりして背中に回した私の手から、ライターの火が貴方の体に引火します。一気に火柱が上がりました。

「ぎゃあああ━━━っ!」

「アハハハハッ……」

 貴方の歓喜の絶叫に合わせて、私も大声で笑います。何て幸せなんでしょう。

 ポリタンクが転がり、ガソリンがフロア中に広がっていきます。

 綺麗です。とっても、綺麗です。

 ああ……

 

 二人を祝福する炎は、キモチ良く燃え上がっていきました…………



 水曜日。

 昼休憩を終えてぎゃらん堂に戻ってきたオレ達は、待合室のテレビでニュースを観て絶句した。

 画面には昨夜オレと真見が訪れたばかりの『鍼灸SANADA』の建物が、全焼して変わり果てた姿で映されていた。中から男女二人の焼死体が発見されたという。

 警察の捜査で男性は全身黒焦げで身元不明だが、その鍼灸院の院長と連絡が取れないそうだ。そして損傷が少なかった女性の方は焼け残った所持品から、鍼灸師・関口保子やすこと報じられていた。真見曰く、真田と共に働いていた鍼灸院の同僚で、もう一人いたベテランの女性鍼灸師である。年齢は真田よりも上で、五十代だそうだ。

 近所の住民の証言では昨夜の午後十時半頃、突然激しい悲鳴が上がり、何事かと見に行ったら、既に『鍼灸SANADA』の開け放たれた扉から黒い煙と炎が噴き出していたという。ガソリンを撒いて火を付けたらしい。可燃性の液体が引火する最低温度を〈引火点〉と言い、火の付きやすさの指標として使われるそうだが、ガソリンはその引火点がマイナス四十度ととても低い。つまり他の液体より圧倒的に低い温度でも簡単に引火して、燃えやすいのだ。

 ちなみに一昨日おととい燃やされたウチの骨夫ホネオも、ガソリンを振り掛けられていたらしい。報告に来てくれた警察官の話では、導火線となった長い紐にもガソリンを染み込ませ、離れた所から点火した様だとの事だった。それで足首以外を短時間で焼き尽くすほど、ガソリンは一気に燃えるのだ。まさか真田は自身が使ったと思われるその同じ手口で、焼身自殺を図ったのか…?

「嘘…薫ちゃんセンセと真見ちゃんが帰った直後じゃない。下手したら巻き込まれてたって事?」

 マヨ姉が青い顔で呟く。

 真見の声も震えていた。

「一体何が起こったんでしょう?真田先生と関口先生に付き合いがあったなんて聞いてませんし……まさか私に原因があるんでしょうか?

 やっぱり、周りを不幸にする飛縁魔は私──」

 オレはその先を言わせたくなかった。


好転反応・・・・だよ!」


「は?」「え?」

 マヨ姉はいつもの事だが、珍しく真見も呆気に取られる。

「何だか今回、色々嫌な事や辛い事があったけどさ。それはきっと、これから具合が良くなる前振りの好転反応なんだ。

 だから真見クン──

 この先何かあっても、オレがキミをまもる。

 気にせずぎゃらん堂ウチで働いてくれよ!」

 目を丸くする真見。

 マヨ姉がニヤける。

「わっ、薫ちゃんセンセ、どさくさ紛れに告白〜?」

「いや、オレはただ、大事な仲間としてっ……」

 カランカラン。

 騒いでいたら、入口の扉が開いた。そろそろ午後診療が始まる時間なのだ。

「あ、いらっしゃい……」

 笑顔を向けたオレの視線の先に、花柄のワンピースを着た紅林さんが立っていた。まさに話題にしていた好転反応で迷惑を掛けた患者さんだ。確かに毎週水曜日の午後一で予約が入ってはいるが、一瞬言葉を呑み込む。そろそろバレているとは思うが、オレがアダ名を付けていないのは大抵怒られそうな迫力のある人だ…。

 そんな紅林さんがツカツカと真見に近付いた。

「ちょっと、あんたぁ〜!」

 また何か不都合があったのか?

 護ると宣言したばかりのオレは、体格のいいフラダンサーにタックルしようかと身構えたが、それより早く、紅林さんが真見の両手を取った。

「先週あれから、腰の具合良くなっちゃってさあ♪

 教室の先生にも、フラのキレが素晴らしいって褒められたのよ〜。

 何とか反応ってのも、気を付ければ大丈夫なんでしょ?ねえ、今日もやってくんない、鍼!」

 今にも抱き締めんばかりの勢いで迫る紅林さんに、真見は戸惑いつつ頷いた。少し頬を赤らめているのも珍しい。

 オレが見ているのに気が付くと、彼女は困った様に微笑んだ。


「お疲れ様でした〜!」

 マヨ姉が手を振って帰っていくのを見送って、オレと真見は何となく溜息をついた。

「何だか疲れたね…」

「そうですね…何だか大変な一週間でした」

 そうだった。真見がマヨ姉と風邪で寝込んだオレのお見舞いに来てくれたのは、ちょうど先週の今頃だったのだ。全てはあの日の不審火から始まったのである。その間に二人で買ったクリスマスの飾りも、バタバタしていてまだ院内に飾れていない。あと一週間でクリスマスだというのに……

「これからクリスマスの飾り付けしましょうか?」

 真見がオレの心を読んだかの様な事を言う。やはりエスパー真見なのだろうか?

「いや、明日にしよう。真見クンも疲れたろう?」

「いえ、やる気に満ち溢れてますよ、私」

 そう言って細い右腕を曲げ、力こぶを作ってみせる真見。しかしちっとも筋肉は主張していない。可愛い。初めて見た彼女のお茶目にオレはドギマギして、思わず心の声を漏らす。

「そういうギャップにオトコがやられちゃうんだね…」

 ハッとする真見。しまった。

「そっか…こういうのが駄目なんですね……」

「いや、そんな…ゴメン」

「いえ……」

 今度は俯く彼女が儚げで、またキュンとする。

 歴代のストーカー共の気持ちがちょっと分かってしまうのが腹立たしい。

 俯いていた真見が上目遣いに囁いた。

「…烏頭先生は、大丈夫ですよね……?」

 それは切実な問いだった。彼女に勝手に思い入れる馬鹿な男共のせいで、真見は散々な目に遭ってきた。彼女はただ、自分の信じる仕事をしたいだけなのだ。だからまさに最後・・だと思って、ぎゃらん堂ウチに来たのだ。ここ・・なら自分の天職である鍼灸の仕事に集中できる──そう思って。


「勿論、大丈夫だよ!

 いやあホント、オレが女で良かった」


 真見がホッとした様に口元を綻ばせる。

「前の鍼灸院を辞めた時、もう男性のいる職場は無理だと悟りました。それで女性の院長がやられている鍼灸院や整骨院を探して、ホームページでこちらの募集を見付けた時はここだと思ったんです。リラクゼーションサロンや美容マッサージのお店は女性スタッフだけの所も多いし、女性院長の美容鍼専門店もあったんですが、普通の街の整骨院では珍しいですからね」

「そうだね、オレだって上様がこのビルのテナントを安く貸してくれなかったら、開業には踏み切れなかっただろうなあ…」

「私、変なこだわりがあるんです。男女問わず、子供からお年寄りまで幅広い患者さんを治したいって──ですからぎゃらん堂こちらで働きたかったんです。美容系のお店だと女性の患者さんばかりに偏りますからね。

 それにしても烏頭先生は凄いです。柔道整復師は筋肉をほぐす男性の力仕事ってイメージもありますが、実際には手技を磨きしっかりポイントを押さえていれば、女性の筋力でも問題ないですよね。それを見事に実践して、たくさんの患者さんに信頼されて…」

「へへっ、オレは大学ん時、女子野球の日本代表候補だったんだからね。そこら辺のオトコより逞しいんだから!」

 そう言って今度はオレの力瘤を見せる。

 真見はクスッと笑った。

「そうですね、あのお祖父じい様の形見のジャケットもお似合いでしたし、骨夫ホネオさんの仇を取るって啖呵タンカも凛々しかったですよ。

 真田先生はたぶん最後まで、勘違い・・・したままだったと思います」

「え?何を?」

 キョトンとするオレに、真見は真っすぐ向き直った。

 とても清々しい表情をして。


「私、ぎゃらん堂に入って本当に良かったです。

 上様や文太さん、紅林さんみたいな大人の方も、キー坊やシュワちゃんみたいな学生さんも、ヒロム君や少年野球の子供達まで、分け隔て無くお付き合いできるこの場所が大好きです。

 これからもよろしくお願いします」

「こちらこそ!」


 という訳でウチは女ばかりだけど、精一杯技術ウデを磨いて皆さんの痛みに寄り添うつもりだ。頑張って働いて、とりあえず二代目の骨夫ホネオも買いたいし……だから良かったら──


 ぎゃらん堂へようこそ。

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ぎゃらん堂へようこそ⑥    飛縁魔の好転反応(後編) ユッキー @Myuuky

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