魔女ミレーユだって、愛されたい
九月ソナタ
前編
「あしたは、いい日がくるの?」
と18歳のエイベルが尋ねた。
「お兄さま、明日はよい日ですよ。きっとよい日です」
と14歳のシャンテルが答える。
お兄さまと呼んでいるが、シャンテルは彼の乳母の孫娘で、妹として育ったのだった。
「あしたは、よい日」
と繰り返して、兄は美しい顔で笑った。でも、それは赤ん坊のようで、以前の精悍な兄の顔ではない。
エイベルは小さな荷物を背負い、少し前かがみでとことこと歩き、時々、後ろの妹を振り返る。彼のチョコレート色のまっすぐな髪が風に揺れている。
小さなシャンテルのほうは大きな荷物を背負い、両手には何やら重そうな袋を下げているから早くは歩けないが、兄の背中からは目を離さない。
兄が不安げに振り返ると、妹の暑さで真っ赤になった顔はひまわりのように輝いて、うんうん大丈夫よと頷いてみせた。
お兄さまは必ずもとのお兄さまに戻ります。戻さなくてはなりません。
シャンテルは手にようやく森にたどりついて、兄と並んでその入口に立った。ここだわ、ついに見つけた。
「いいにおいがする。みどりのにおいだ。いいなぁ」
エイベルが頬をピンクにして微笑む。
「そんなにうれしいのですか、お兄さま」
「うれしいよ。ぼく、もうへやの中にとじ込められるのは、いやだ」
「もう閉じ込めさせません。だから、こうやって……」
「ここは、精霊の森よ」
とシャンテルが兄に教える。
「この森には、せいれいがすんでいるの?」
入口の石の標識には「魔女ミレーユの森。入るな」と刻まれているが、兄がこわがらないように、そう言ったのだ。
「そうよ。ミレーユという精霊が住んでいるのよ」
「ミレーユ」
と繰り返す兄の顔を、シャンテルはじっと見つめる。何か思い出すかしら。
「シャンテル、早くせいれいに会いにいこうよ」
ふたりは森の中にはいっていく。秋の落ち葉がところどころに重なっている。
だんだんと暗くなり、もう道というものがなく、先に進んでいるのか、戻っているのかもわからない。でも、木々の間からやさしい月が見えるから、その光を頼りにシャンテルは歩いていく。
「ぼく、つかれた」
「そうね。お兄さまは、しばらく歩くことをしていなかったから、お疲れなのは無理がないわ。今夜はここで休みましょう」
シャンテルは小枝を集め、火を起こし、荷物の中からパンとハムを取り出した。
「おいしい?」
「おいしいよ」
食事がすんで、あたたかいお茶を飲んだら、エイベルは眠くなり、木にもたれて、瞳を閉じる。シャンテルが袋から毛布を取り出して、兄にかけた。
シャンテルはひとりで、蝋燭を片手に、森の中を歩いていく。帰り道がわからなくなったら困るから、小石を落としていく。
「魔女さま、魔女さま」
シャンテルが呼び続ける。
「何か用か」
と黒いマントの魔女ミレーユが現れた。
「ミレーユさま、どうぞ、お力をお貸しくださいませ。ご相談があります」
「おまえはだれだ」
「王子エイベルの侍女、シャンテルです」
「あいつの侍女か」
ミレーユがため息をついた後、せせら笑った。
「王子をもとの賢い王子に戻していただきたくてやってきました。この世に魔女はたくさんおりますが、その中で、ミレーユさまが一番です。きっと頼みを聞いてくださるのではないかと信じて、はるばるやってきました」
シャンテルは実は言いたいことは柘榴の実ほどあるし、できるなら一発なぐってやりたいところなのだが、ここで魔女を怒らせてはならない。
「お忙しいところ本当にすみませんが、ミレーユさましか、王子を救える方がおりません」
「ははは。私が、あいつを幼子にしたんだ」
魔女は自慢するように言った。
しかし、シャンテルはそんなことは知っている。だから、この森を探してやって来たのだ。早くどうにかせよ、と言いたいところだが抑えた。
「魔法をかけたのは、ミレーユさまでしたか」
「そうだ。なぜ、私が魔法をかけたのか、知っているか」
「いいえ。王子が何か悪いことをしたのでしょうか」
「あいつが悪い」
「はい。悪いに決まっています。でも、その理由は」
「あいつはな、顔も、瞳も、髪もすべてが美しい。栗毛の馬に乗って駆ける姿が、この魂を揺らした」
「は、はい。ミレーユさまは王子をお好きだったのですか」
「……しかし、あいつは私を振った」
「王子がミレーユさまの申し出を断ったということですか。まさか」
「そうだ」
「この世の中に、ミレーユさまを振る男なんか、いません」
「信じられないことだが、あいつは振った」
「きっと何かの誤解です。では、こうしてはいかがでしょう。もう一度、王子をもとの姿に戻し、本心を聞いてみてはいかがでしょうか」
ははは、と魔女が笑った。
「そんな手は食わない。おまえの作戦には乗らない」
「作戦なんて、ありません。ただ、王子をもとの姿に戻してほしいだけです。これでは、あまりにかわいそうではないですか」
「生かしておかないという選択もあったのだぞ。生かしておいただけ、感謝すべきではないのか」
「ありがとうございます。でも生かしてくださっても、王子は王宮の奥の部屋に閉じこめられていたのですから、息をしていただけで、生きていたとはいえません」
「あいつは、閉じ込められていたのか」
「はい。二年間も」
「王子なのに、役にたたなくなったら部屋に閉じこめるとは、人間とはひどいことをする奴らだ」
自分のほうがひどいことをしている、と言いたいところだが、シャンテルはこの時も我慢した。
「何をすれば、王子の魔法を解いていただけるのでしょうか。蜂蜜、織物、本など、たくさんの贈り物を持参してきました」
「そうか」
「新しい箒ですか。マントですか。金貨ですか。それとも、」
「それとも」
「私の命ですか。王子のためなら、この命をさしあげます」
「ふん」
と魔女が言った。「そんなお涙ちょうだいは私の趣味ではない」
「では、何を」
「そうだな。……感動する言葉をくれ。私を感動させてみるがいい。そしたら、やつを元に戻してやろう」
「感動する言葉とは」
「そんなことは自分で考えよ。一日考えて、明日の夜、もってこい。エイベルも連れて来い」
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