エースの疑惑
『サンコー』には、敷地内に専用の野球場が存在する。
その設備は、下手な市民球場を鼻で笑えるほど、本格的なものだ。
まず、グラウンドにはマウンドとベース周りを除いて良質な人工芝が敷き詰められていて、その外周は高めのラバーフェンスでぐるりと囲われている。
バックネット裏と一・三塁線沿いに設けられた観客席は、前を防球ネット、後ろをコンクリートの壁に挟まれた鉄壁仕様で。
極めつけに、バックスクリーンには簡易式の電光掲示板まで設置されていた。
「なんでもバブル期に、理事長が懇意にしていた建設会社の口車に乗せられるまま、湯水のように予算を使って作られたものらしいぜ」
というのは、隣に座る荒川さんの談だ。
部室を出た俺たちは今、バックネット裏の観客席から、グラウンドで練習中の【野球部】を見下ろしている。
こうして引いた位置から全体を見渡すと、細部に至るまで左右対称を徹底した造りになっていて、設計者の強い拘りが感じられた。
「まぁ、これだけ環境が整ってる割に、長いこと結果を出せてないのが悩みの種なんだけどな」
頬を掻きつつ、荒川さんが自嘲する。
「何言ってんだよ。確か、今年の夏は5回戦まで勝ち上がってただろ。ベスト16なら、立派なもんじゃねぇか」
甲子園予選当時、バイトしてたラーメン屋のテレビで西東京大会の試合がずっと流れてたもんだから、俺でも結果くらいは知っている。
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、俺らの世代は勝負の年ってことで、学校に散々金を使わせちまったからなぁ。ベスト16止まりじゃ、とても投資額に見合った結果とは言えねぇんだよ。監督も、任期中のノルマが達成できなくて辞任させられちまったし」
「世知辛ぇなぁ」
「【
「あぁー……」
確かに、荒川さんが腰掛けに在籍していた【黒魔術研究会】での一件は、表沙汰にこそならなかったが、学校と生徒会の耳には入っているわけで。
今後、必要以上に厳しい目を向けられることも、ないとは言えないだろう。
「だから、【
「新チームの仕上がりは?」
「あんま言いたくないが、正直厳しい。勝負の世代は一年置きに作られるもんだから、しょうがないっちゃしょうがないんだけどよ」
それは、運動部全般に言えることだろう。
予算、人材、出場機会。
それらのリソースを本命のチーム作りに集中させたら、どうしてもすぐ下の世代は割を食うことになる。
チーム戦略的に正しいとしても、少しばかり気の毒な話だ。
「そういうわけで、俺としては、せめてもの罪滅ぼしとして、今回の騒ぎを何とか収めてやりたいわけよ。……余計なお世話かもしれねぇけどな」
「でしたら、そろそろ何があったのか聞かせていただいてもよろしいですか?」
苦笑する荒川さんに、退屈そうにグラウンドを眺めていた唯愛が尋ねる。
詳細は待ち人が来てから、という話だったのだが、そろそろ我慢の限界らしい。自慢の外面の良さが崩れてきてる。
荒川さんも連れ出した手前、あまり待たせるわけにはいかないと判断したのか、
「……一応言っとくけど、他言無用だからな」
そう前置きをして、事件の概要を語り始めた。
曰く。
昨日の夕方、野球場のすぐ近くで、自転車と歩行者の接触事故があった。
被害者は【吹奏楽部】の女子生徒で、転倒した際に手首を骨折する大怪我を負ったという。
犯人は、接触後すぐに逃走。
被害者もぶつかった相手の姿を見ておらず、事件はこのまま迷宮入りするかと思われたが、そこで善意の第三者が現れた。
偶然近くを通りかかった【新聞部】の部員が、自転車で逃げる犯人の背中を見ていたのである。
その目撃情報を元に、学校側は秘密裏に調査を開始。
そして、名前が挙がったのが……。
「あいつだ」
荒川さんが指差した方向に、俺と唯愛は目を向ける。
レフトとライトに立てられた、ファールポール。
それらを目印に、数人の部員がダッシュで外野を横断している。
俗に『ポール間走』と呼ばれる基礎トレーニングだ。
聞くところによると、あれで結構きついらしい。
「一年の
それが誰を指すのかは、一目で分かった。
決して不真面目ではないが、かといって鬼気迫るほど真剣とは言い難いサンコー野球部の練習風景。
その中で、その男だけが、明らかに違う空気を纏っていた。
頭一つ抜けた身体能力で他の面子を軽々と置き去りにし、ダッシュ後も膝に手を当て辛そうにしている周りをよそに一人涼しい顔をしている。
「まったく、幸先が悪い話だよな。大会直前の大事な時期に、よりにもよってエースがひき逃げの容疑者にされちまうなんてよ」
「容疑者、ということは本人は犯行を否認しているんですね?」
「もちろんだ。……ただ、目撃者もなかなか頑固でな。自分が見たのは間違いなく須田だったと主張して、一歩も譲らねぇんだ」
「逆に【野球部】の方には、無罪とする根拠はあるんですか?」
そう、気になるのはそこだ。
普通、目撃者がいたらその時点でほぼ詰みな気がするが、こうも堂々としているのには、何かしらの理由が……。
「それを部外者に話す必要はないだろう」
不意に聞こえた声に、俺たちは背後を振り返る。
そこにいたのは、練習用ユニフォームに身を包んだ野球部員だった。
すらっとした長身に、鋭い目つき。
足に着けられたレガースを見るに、ポジションはキャッチャーだろうか。
「おう、来たか高城、悪いな、わざわざ呼び出して」
「ほんと、勘弁してくださいよ荒川先輩。こちとらただでさえ大会前で忙しい中、昨日の件で学校側からあれこれ聴取されて、てんやわんやなんですから」
「まぁ、そう言ってくれるなよ。俺だって可愛い後輩たちの力になりてぇんだ」
疲れ切った顔をした男の背中をバシバシと叩いてから、荒川が俺たちに向き直る。
「こいつは二年の
「どうも」
高城さんが軽く会釈を返すが、その目には露骨な警戒心がにじんでいた。
「お前らが先輩が電話で言ってた探偵か。えっと、名前は……」
「【SD倶楽部】部長の姫崎唯愛です。こちらは助手の三善竜司」
すかさずケンラン名刺を差し出した唯愛に、俺も倣う。
高城さんは「手触り良っ」というお決まりのリアクションを取った後、ガシガシと頭を掻いた。
「先輩には申し訳ないんスけど、うちとしてはあまり第三者を噛ませたくないんスよね」
「こいつらの口の堅さは俺が保証する、安心しろ。何より【SD倶楽部】は生徒会の執行機関だ。この二人が須田は無罪だと太鼓判を押せば、生徒会経由で一気に話をまとめられる。大会前の大事な時期だ、面倒ごとはさっさと片づけたいだろ?」
「……分かりました。先輩がそこまで仰るなら」
渋々、といった様子で高城は荒川さんの申し出を受け入れると、俺たちに尋ねた。
「えーと、須田が無罪だと証明する根拠について、だったよな?」
「えぇ。目撃情報を覆す証拠をお持ちなら、是非確認させてください」
「……いいだろう」
そう言うと、高城はユニフォームの尻ポケットからスマホを取り出した。
軽く操作をしてから、横画面に切り替えたそれを、唯愛に差し出す。
「ほらよ」
「ありがとうございます。えーと、これは……?」
肩を寄せ合い、俺たちはスマホを覗き込む。
そこに映っていたのは、再生前の動画ファイルだった。
「お前らが好きそうな表現を選ぶとすれば、『決定的な証拠』ってやつだ」
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