探偵令嬢は振り回す
小鳥遊 千斗
アイム・ホーム(ズ)
「あ? あんた、今何つった?」
俺、
『それが一年振りに話す兄への態度か。まったく、お前はいつまで昔のことを……』
「論点ズレてんぞ。さっき言ってたこと、ありゃどういう意味だって聞いてんだ」
重ねての問いに、我が親愛なるクソ兄貴殿は、それ以上の小言を飲み込んだ。
『何度も言わせるな。そろそろお嬢様がそちらに到着される頃だから、くれぐれも粗相のない様にと……』
「だーかーらー、それが分かんねぇんだって。あんたも姫崎家のお歴々も、今はアメリカ住まいだろ?」
『……まさか、何も聞いていないのか? お嬢様は、私や旦那様に『話は全て通してあるから大丈夫』と仰っていたが』
「悪いけど、こちとら夏休みの最終日でよ。一秒たりとも無駄にしたくねぇんだわ。用件があるなら手短に……」
『お嬢様が、3年半ぶりに日本に戻られる』
どことなく疲れた声が、スマホから聞こえたのと、ほぼ同時に。
車のクラクションが、背後で鳴った。
振り返ると、陽炎の向こうにタクシーが佇んでいる。
後部ドアが開く。
中から現れたのは、一人の少女だった。
小柄な身体に纏うのは、夏の空に浮かぶ積乱雲をちぎってきたかのような、純白のロングワンピース。
それに負けないくらい白い肌と、色素の薄い髪は、身体に半分流れる北欧の血の証左だ。
全体的に儚げな印象の、品の良い外見。
それとは対照的に、丸く大きな瞳は、活力の光に満ち満ちている。
「やぁ、竜司。久しぶり!」
歩行障碍者用の補助ステッキをカツカツと鳴らしながら、少女が歩いてくる。
それは芝居がかった身振りは、舞台上のミュージカル俳優の様だった。
「…………お前、
その名を口にすると、少女はドヤ顔でふふん、と胸を張った。
「そう。君の親愛なる隣人、
姫崎唯愛。
物心ついた頃から付き合いのある幼馴染で……まぁ、その他にも色々と縁のある相手だ。
最後に会ったのは、もう4年近く前になる。
「あぁ、驚いた。記憶の中と身長がほとんど変わってねぇんだもんよ」
「失敬だな、ボクは早熟だったんだよ。周りの背丈がボクに追い付いたから、目立たなくなっただけさ」
追いつかれるどころか、明らかに周回遅れにされてんじゃねーか。
『……い……おい、愚弟!』
スマホの存在を思い出し、耳に当てる。
即座に『替われ』の一言を受け、唯愛にスマホを渡す。
兄貴との会話は、数ラリーも保たない。
というより、鬱陶しそうな顔をした唯愛の方が、早々に切った。
「……お前、何でこんなとこにいんだよ? アメリカの新学期は9月スタートだから、そろそろハイスクールの入学式だろ」
「そのために帰国したんだよ。ボク、高校は日本の学校に通うことにしたから」
「はぁ? 通うってどこから……あ、世田谷の本邸か」
「いや、あそこは今、新婚ホヤホヤの姉夫婦が暮らす愛の巣だから、空気を読んで流石に避けたよ。ボクの新居は、そこ」
そう言って唯愛が指差したのは、三鷹駅から徒歩一分の距離にあるタワーマンション。
俺の済むボロアパートからも良く見える、この辺りで一番高い建物だ。
「あそこに一部屋取ったんだ」
ビジネスホテルみたいなノリで言いやがる。
あそこは築浅だ。安くても7000~8000万。上部屋なら、億はくだらないだろう。
それを仮の宿感覚でぽんと買えるほどの資産が、こいつの実家にはある。
姫崎グループ。
ホテル経営を主幹に、不動産や都市開発といった事業を複合的に展開している、日本有数の大企業だ。
唯愛は、その創業家の末娘。
俗に言う、セレブってやつだ。
「そこでお願いなんだけど、荷解きの手伝いをしてもらえないかな」
「……貴重な夏休み最終日に?」
「そう言わずに。お代は弾むよ」
唯愛の視線が、俺の全身をサッと撫でる。
頭からつま先まで、185cm。
筋肉にはそこそこ自信あり。
人相は、あまりよろしくない。街を歩いていると、何人かに一人は目を逸らす。
自分で染めた安い色の金髪に、ピアサーが怖くて妥協で付けてるイヤーカフ。
我ながら、今時珍しいくらいにコテコテのヤンキー崩れだ。
頭からつま先まで一通り観察してから、唯愛は続ける。
「ラーメン屋のアルバイトをクビになったばかりなんだから、稼げる時に稼いでおいた方がいいんじゃない?」
「待て」
何気ない唯愛の言葉に、俺はすかさず切り返した。
……どういうことだ?
確かに俺は今日、バイト先のラーメン屋で
だがそれを、帰国したばかりのこいつがどうして知ってるのか。
「お前、俺をこっそり監視してたんじゃねぇだろうな」
「まさか。初歩的な推理だよ」
そう言うと、唯愛は俺が手にしているビニール袋に、補助ステッキを向けた。
「その中の靴は、厨房用のコックシューズだ。底がグリッドソールであることから、水や油で滑りやすい床を想定して選ばれたものだと分かる」
杖の先が、俺の足元に移動する。
「次にズボン。膝までは綺麗だけど、その下、裾の方になるとぐっしょりと湿ってる。これは前掛けのさらに下、床に近い高さで頻繁に水が跳ねている証拠だ。
つまり、湯切りの必要がある麺料理をメインとする店だと考えられる」
「なら、うどん屋でも蕎麦屋でもいいだろ。何でラーメン屋って……」
「ラードの染みも、一緒に残ってるから」
「……クビになったことを言い当てられたのは?」
「小脇に抱えてるの、無料の求人情報誌だよね」
気を良くしたのか、唯愛は得意げに続ける。
「もののついでだ、クビになった理由も当ててみせよう。
ズバリ、悪質なクレーマーから店を守ろうと矢面に立ったら、思いのほか騒ぎが大きくなってしまい、トカゲの尻尾切りにあった。
……と見たけど、どうだろう?」
ご名答。
店を訪れては、卓上のつまようじをラーメンにぶちまけていくカスハラ客。
毎日続く嫌がらせに、とうとう我慢の限界になってそいつを店から追い出したら、店長からクビを言い渡されたのだ。
何が「お客様相手にやり過ぎ」だ。日和見主義者め。
そんな弱腰だから、頭のおかしいのに目をつけられるんだ。
今後も同じような嫌がらせは続くだろうが、もう知ったこっちゃねぇ。
……ごほん。
「あーあー、分かったよ、降参だ降参。何だ、それも推理ってやつか?」
ハンズアップした俺に、唯愛は「いいや」と悪戯っぽく笑った。
「ボクはただ、よーく知ってるだけさ。
三善竜司という男が、どこへ行っても貧乏くじを引かされる、可哀想な星の下に生まれていることをね」
「……さいですか」
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