結婚祝いを整えるのこと

 教会の鐘が聞こえてきて外に目をやると、すでに日は高く登っていた。

 もうこんな時間かと定例の事務仕事を切り上げることにして執務室を出た。


 通路の先の部屋からトムとラフィドの声が聞こえてきて、そちらに足を運ぶ。

 ドアを開けばラフィドが部屋に積まれた木箱の中身を机に広げているところであった。

 紐で縛られた香木の束と、ばらしているのが数本。

 漏れてきた会話からすると、トムに物の計算を教えているようであった。


「これはカール様、いま結婚祝いの品をっていたところでして」


 我がホイスラー家の家宰を務めるラフィドが言う。

 褐色の肌に黒曜石のごとくの鮮やかな黒髪に年を経てわずかに白が混ざる顎髭。深く彫り込まれた顔立ちと細身の長身。相変わらずただ立つだけで絵になる男である。


 異国の風貌であるのは彼が三十年前の第二次巡礼軍の遠征でキナーン王国から連れてこられた奴隷だからである。

 今のトムと同じ頃にはるか彼方のこの地まで連れてこられた彼が、小さきとは言え貴族家で家宰の地位を得るのは並大抵の苦労ではなかったろう。


 いや、キナーン王国は男でも教育を受けられるのが普通であると聞く。多くは語らぬが彼の地の雅な教養を持ち合わせている節もあり、むしろ女爵家など役不足なのかもしれないが。

 子種がなかったがために最初の家から出され、貧乏女爵のホイスラー家に迎えられたのは私にとっても幸運であった。教育を持つ男は決して家を不幸にしないことを示してくれたのだから。


 最初こそ男が大きな顔をするなどと反感をかっていたというが、今は文字通り我が家の顔役でもある。

 そばに立つトムも彼にすっかり心を許しているのが分かる。


 私自身も物心が戻る前の子どもの頃はラフィドが父なのではと願ってもいたくらいである。残念ながら長じるにつれ私の身体は熊のようにがっしりとしてしまい、どうやら母が手をつけたのは粗野で知られる北方の男であるようだったが。


「メアリーの結婚式の品か。それは私が届けよう」

 今日はこの町で育った娘の結婚式があるのである。このような小さな町であるので、私も多少は知っている娘である。この町の冠婚葬祭であれば領主の名で祝いを贈るのは常のことであるし、直に顔を出すのも喜ばれよう。


「となれば品の格を落としても大丈夫ですな」

 そう言ってラフィドは香木を箱にしまう。


 領主が出るのならむしろ地位に相応しい品を用意すべきであろうに、珍しき男女爵ならば催事の受けが良いのだからその分は費えを減らしてもよかろう、というのがラフィドの主張である。貧しき我が家がそれでも回るのはまことに彼のような有能な家宰のおかげである。


「香木を下げるなら、代わりに蜂蜜でよいだろう。秋に仕入れたのがまだ残っていたな」

「小瓶ならばよいでしょう」


 ラフィドが棚から蜂蜜の入った瓶を取り出す。


「はちみつだ!」

 とトムが目を輝かせた。


「それと人魚の鱗で作ったアクセサリがあったろう。それも付けよう。たしか昔メアリーと海がどれだけ広いだとかそんな話をした覚えがある」


 王都のかつての友たちから送られた装飾品だ。数はあったし、私のような無骨な男がつけるより人魚も喜ぶであろう。

 ラフィドが承知しましたと言って別の部屋にアクセサリを取りに行った。


「カール様は人魚を見たことがあるんですか?」

「遠い昔に見たことがあるな。鱗はなかったが中々愛嬌がある生き物だった」


 トムの問いにそう答えると怪訝な顔をするので、慌てて人魚の怖さを念押ししておく。


「いいかい、人魚は広大な海の支配者なんだ。歌声を聞いたらすぐに逃げないと海の中に引きずり込まれてしまうんだ。これは川や町の中だって同じなのだから」


 へええ、と海というものが想像できずにいるトムに、むしろ川や町で歌声で注意をひく女の怖さをようく教えておく。


 そこへラフィドが鱗の装飾品を持ってきた。

「なかなか上物に思えますな」


 彼が手にするのは深紫ふかむらさき色に輝く鱗を使ったイヤリングである。

 何の鱗をどう加工すればこのような光沢を得られるのか。王都の職人の作である。


「蜂蜜と人魚の縁物ゆかりものであれば贈物に相応しいだろう」


 自然の生き物のほとんどが男女のつがいであったり、男を頂点とするハレムを形成していたりと、神の定めた摂理を満たさぬなか。

 蜂は王と多数の兵、そして繁殖のための僅かな雄蜂という摂理を守った神聖なる生き物である。

 人魚も海の支配者とされており、語られるのは女の姿ばかりである。それに多産の象徴である魚を半身にしていて、難破の原因と恐れられる反面、その具象 はこういう縁起物の扱いである。


「あの悪童たちには勿体ないと思いますがね」

 家宰として町民と距離が近いラフィドは主役の二人共に面識があるようだ。


 メアリーはこの町で鍛冶師として修行を重ね、親方の引退を控えて代理を任せられるほどになった腕前の娘だ。

 お相手の顔は知らぬが、然るべき筋から話が通ってきた式である。きっと大勢に笑顔で祝福される結婚式が開かれるだろう。


 それでは私ももう少し上等の服に着替えようと部屋を出るところで、妙にそわそわしているトムの姿に気づく。


「トムもお供をしなさい」

 少年の望み通りの言葉をかけてやれば、

「はいっ!」

 と元気よい返事が返ってきた。


 ラフィドはまあ仕方あるまいと肩をすくめる。


「但し浮かれた女たちがいっぱいいるのだから、決して一人になってはいけないよ。それとラフィドはズボンはもっと長いものを出してやりなさい」


 トムにくれぐれも酔っ払いや、歌と踊りで目を引こうとする芸人に近づかないように言い聞かせる。

 それに今のように足首をさらした格好は女たちの劣情を誘ってしまうことを注意する。 


 町の治安の良さだけは私の誇るところだけど、男の子は用心をするに越したことは無いのである。

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