男女爵カール・ホイスラーは町娘の結婚式で初夜権を行使さる

笠本

髭剃りのこと

 コマドリのさえずりに目を覚まし、窓を開く。

 初春の早朝の日差しは弱く、流れ込んでくる空気はまだ肌寒さを感じる。


 窓から身を乗り出せば、ひんやりとした風に昨夜の領の予算づくりでぼやけた頭が目覚めていく。


「カール様、おはようございます」


 窓を開く音を聞いたのだろう。コンコンというノックに被せて小姓のトムの声がドアの向こうから聞こえてきた。

「入りなさい」


 栗毛の少年がドアを開け、足元に置いた手桶を拾いあげ、私に差し出してくる。


「ああ、ありがとう、トム」


 先月から私の小姓を務めることになった少年のはねた頭髪をわしゃわしゃと撫で、手桶を受け取る。


 幼い少年に用意させたのは私の身支度のための湯である。

 私が炊事場に行けば済むものを、いまごろは朝食や洗濯の準備に忙しい皆は決して通してはくれまい。壮年の男子となれば無闇に女に素肌を晒すべからず、身支度の様を見せるべからずというのがこの国の教えであるのだ。


 とはいえ本当に人前で行えば、さっと顔をすすぐ程度ですませる私はとがめられてしまうのだけど。


 なぜなら世の大半は女性であるし、ならば希少な男子を愛でるからには自分たち以上に身なりに気を使うべきであるし、そこには情熱が注がれはずだというのが、彼女たちの常識なのだから。私には大人しく従う他にない。


 そう、ここは女たちの王国なのだから。


「おっと」

 窓辺においた桶からは湯気が漂い、風になびく。せっかくの熱が消えないように私は窓を閉める。

 湯に手布を浸し、絞ったものを広げ、トムの顔に張り付けてやる。


 ふひゃあと可愛らしい悲鳴をあげて身じろぐ少年をつかまえ、顔を拭う。私の前に従者が身支度を整えるべきであろう。目やにを取り、はねた髪を押さえつける。

 トムはくすぐったがりながらも、嬉しそうにされるがままになっていた。


 我がホイスラー家は貴重な男だからと甘やかす家風ではないのだけど、まだ幼い少年を親元から離して下働きをさせるというのは、どうしてもかつての故郷(※1)の感覚を残す身としては思うところがある。


 これが少年の身を守るためだと分かっていても。


 しばし顔を覆う手布の温かさを楽しんでいるトムをおき、私も顔を洗う。

 壁に据えた曇った鏡を頼りに危なげな剃刀で髭を整えていく。


 口髭とあご髭を6:4の比率になるように、こわごわと調整せねばならない。私も世間の男たちに習ってさっくりと全て剃り落としたい所であるが、世にも珍しい男の領主である私は貫禄の必要やら慣習やらに縛られそうもいかないのである。 (※2)


 なにせこの髭はありがたくもたかが地方の小領主である私、カール男女爵のために宮廷の行儀作法を司る儀装師がそのセンスを存分に発揮して古書から発掘してくださったスタイルなのだから。


 男だてらに領主を目指した私を受け入れ教育を許してくれた母と、後ろ盾となって数多の有象を抑えてくれた国王陛下と。


 今も王都で賑やかしくやっているだろう二人に感謝を捧げつつ、かなめのあご髭のわずかな撥ねを成功させる。 

 カモミールの軟膏を剃り跡に塗る。ふと手についた残りをトムの鼻の下に擦り付け、ひげを作ってやる。


 果たして少年はこれで自分も一人前なのだとばかりに誇らしげな表情を見せた。




※1 かつての故郷

 カール男女爵が多用した言い回し。米料理や険しい山河や桜景色に言及していることから、我が国や龍昌国への憧憬を示したものと思われる。王国ではこの頃に東方遠征団が帰還し、大陸東方にある種の理想郷を望むオリエンタルブームが巻き起こっていた。


※2

 この時代、髭はその男子が性交が可能であることを示す印であった。これは実際の生殖器の発達ではなく、家長や領主がその男子に対しての通いの希望を受け付けるという意味である。そのため年若く髭が生える場合は必ず剃らなければならなかった。

 逆に明らかな成人が髭を剃る場合は法の定めた分の子を成した証であり、通いの義務から解放されていることを示していた。

 但しこの時代、特に都市部においては男性が少数の女性たちに対し貞操を捧げるという意味で早くに髭をそることがブームとなっていた。違法であるが罰則は緩く、男性の方も髭を残すことを恥と考えるようになり、有名無実化していた。

 しかし前述の通り、上流社会の男性の間では変わらず髭が一種のステータスとして機能し続ける。

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